諏訪に鎮座する神々を巡る!信濃國一之宮「諏訪大社」四社まいり

諏訪に鎮座する神々を巡る!信濃國一之宮「諏訪大社」四社まいり

更新日:2017/02/08 10:59

和山 光一のプロフィール写真 和山 光一 ブロガー
信州の真中に位置する諏訪でまず参拝したいのが、信濃國の一之宮「諏訪大社」。末社を含め全国25,000社に及ぶお諏訪様と呼ばれる諏訪神社の総本社です。諏訪湖を挟んで南北に上社と下社があり、南に「上社本宮」「上社前宮」、北に「下社春宮」「下社秋宮」の2社4宮からなる日本でも珍しい4社体制をもつ神社なのです。その起源は『古事記』の国譲りの神話まで遡ることができます。ひとときタイムスリップしてみませんか。

諏訪大社「下社春宮」は獅子、鶏、竹、籠などの彫刻が見事

諏訪大社「下社春宮」は獅子、鶏、竹、籠などの彫刻が見事

写真:和山 光一

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国道20号線から石の鳥居をくぐり、社頭から真直ぐ800m程伸びる通りはかつては春宮の専用道路で、下社の大祝金刺一族を始め多くの武士達が流鏑馬を競った馬場です。途中の御手洗川に架る下馬橋は室町時代の建立で、その形から太鼓橋の名もあります。ここより神域として、春宮参拝の折りには殿様でも駕籠や馬から降りなければなりませんでした。建築様式は鎌倉時代のもので1730年代の元文年間に修築されましたが、下社では最も古い建物で遷座祭の折に神輿はこの橋を渡るとのことです。入口の御影石の大鳥居は万治二年(1656)建立と推定され、境外にある万治の石仏と同じ作者と言われています。

諏訪大社「下社春宮」は獅子、鶏、竹、籠などの彫刻が見事

写真:和山 光一

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諏訪大社下社の最初の鎮座地とも伝えられている「下社春宮」。祭祀・拝礼を行うための建物は、中央の二重楼門づくりの弊拝殿、左右に建つ片拝殿ともに国の重要文化財に指定されています。拝殿の正面後方のご神木(杉の木)がご神体で、本殿を持たない原初的な神社形態なのです。

下社の春宮と秋宮の社殿の建替が諏訪藩に依って計画された際、同じ絵図面が与えられたため、社殿の構造・配置が大きさこそ違うものの全く同じ「対の宮」になっています。同じ絵図面で2人の名匠が競い合って造られたものですが、幣拝殿などの細部に施された彫刻はまったく異質で、大隈流と立川流という江戸時代を代表する二つの流派の宮大工によって、春秋両社の建築は彫刻に於て技が競われています。春宮の社殿は大隈流の地元の宮大工柴宮(村田)長左衛門矩重が請負い、秋宮より後から着工して一年早く安永9年(1780)に完成しました。

諏訪大社「下社春宮」は獅子、鶏、竹、籠などの彫刻が見事

写真:和山 光一

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砥川にかかる赤い橋を渡った近くに鎮座する謎の石仏が、万治三年と彫られていることから「万治の石仏」といわれているものです。春宮に鳥居を造ろうと石にノミを打ち入れたところ、そこから血が出たために造作を中止し、代わりに阿弥陀仏を刻んだのがこの摩訶不思議な石仏とされます。長い間一般にはあまり知られていなかったユーモラスな形の石仏ですが、世にでるきっかけをつくったのが今は亡き岡本太郎画伯。下諏訪の歴史的情緒を愛し、しばしば訪れた画伯が、昭和49年の諏訪大社御柱祭に来た時、これを見て、「世界中歩いているが、こんな面白いものを見たことがない」と絶賛、新聞や雑誌に書かれ、一躍有名になったのです。

大きな注連縄をつけた神楽殿と日本最大の狛犬が目を引く「下社秋宮」

大きな注連縄をつけた神楽殿と日本最大の狛犬が目を引く「下社秋宮」

写真:和山 光一

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春宮から中山道を東へ1Km、甲州街道との分岐点である交通の要衡として発展してきた下諏訪宿に鎮座するのが「下社秋宮」。下社秋宮は観光地としても有名な場所ですが、立地的にも、霧が峰の龍脈が留まる龍穴(大地のエネルギーがみなぎる場所)のパワースポットなのです。正面の鳥居をくぐるとまず目に付く正面の大きな木は、寝入の杉と呼ばれる樹令は約八百年の大きな杉の木です。丑三つ時になると枝を下げて寝入りいびきが聞こえるといわれています。

その先に青銅製としては日本一の大きさを誇る狛犬(170cm)を両脇に従え、大注連縄は出雲大社型で日本一の長さ(7.5m)を持つ神楽殿は、三方切妻造りで天保6年(1835)、江戸時代中期の名匠、立川和四郎二代目富昌の作で、荘厳な雰囲気を漂わせて迎えてくれています。

大きな注連縄をつけた神楽殿と日本最大の狛犬が目を引く「下社秋宮」

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社殿は春宮と同じ造りながら立川流の立川和四郎初代富棟の手によって安永10年(1781)に落成しました。拝殿奥の神明造りの建物は御柱の際に片方ずつ立て替えられる東西の宝殿があり、その奥に御神木であるイチイの古木が聳えています。下社は御神木を御神体として拝し、古代祭祀の形式を今に残しているのです。社殿の四隅には正面向かって右手前より時計回りに一の柱、二の柱、三の柱、四の柱が建っています。

大きな注連縄をつけた神楽殿と日本最大の狛犬が目を引く「下社秋宮」

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鳥居をくぐって、緩やかな階段を登りきった右手に、下社秋宮は温泉の湧出地でもあり、境内に温泉が湧き出ている全国でも珍しい御神湯の手水舎があります。湯口は竜神伝説にちなんで竜の口、かなり熱い天然温泉が流れ出ています。

諏訪信仰発祥の地「上社 前宮」

諏訪信仰発祥の地「上社 前宮」

写真:和山 光一

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御柱街道を少し入ったところに御祭神が最初に居を構えられ、諏訪信仰発祥の地と伝えられているのが「上社 前宮」。その昔諏訪大社の祭祀を司る建御名方命の子孫とされる現人神の大祝(おおほうり)の居宅である神殿があった社務所あたりは神原と呼ばれていました。豊富な水や日照が得られる良き地で昔のままの素朴な原風景が広がっています。写真の鳥居左は十間廊といい、様々な神事を行う場所で、4月15日の御頭祭は最も需要でかつては鹿の頭75頭や山海の幸が積み上げられていました。右奥にあるのは内御玉殿といい即位した大祝が神宝である「真澄の鏡」を胸に飾り、「弥栄の鈴」を打ち振って民の前におでましになったお社です。

諏訪信仰発祥の地「上社 前宮」

写真:和山 光一

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前宮御本殿は、内御玉殿から200m程坂道を上り集落を抜けると、鬱蒼とした木々に囲まれた山の中腹にひっそりと立っています。古くは神殿に付属したお社で前宮だけに本殿があり、本宮や春宮、秋宮にはありません。左側に諏訪明神が降りたとされる石があり諏訪大社発祥の地とされる由縁のひとつです。4社いずれも御柱を見ることができますが、4本すべての御柱を見て触れられるのはここ上社の前宮だけです。

諏訪信仰発祥の地「上社 前宮」

写真:和山 光一

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四之御柱付近には約1km先の御手洗川上流から湧き出た“水眼(すいが)の清流”が流れ、古くから御神水として大切にされてきました。

神体山を拝するための独特の社殿配置「上社本宮」

神体山を拝するための独特の社殿配置「上社本宮」

写真:和山 光一

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上社本宮は、四社からなる諏訪大社の中核で、品格ある聖域。本州を東西分断する大断層、糸魚川・静岡構造線の中央部上にあり、大地のエネルギーが凝縮されている神霊磁場(上社本宮が断層上)です。

上社は建御名方神を祭神とし、古くは風の神、水の神、農耕・狩猟の神として信仰を集めていました。中世以降は東国第一の軍神として崇拝され、武田信玄をはじめ多くの名将たちが戦勝を祈願し、全国各地に分霊を持ち帰ったとされていて、そのため全国に一万余りの御分社が祀られています。

神体山を拝するための独特の社殿配置「上社本宮」

写真:和山 光一

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一の鳥居からが参道となっており布橋に続く入口門があります。前宮経由で繋がる御神体の守屋山のエネルギーを、廊下を通じて門から拝殿に引き込む構造になっています。その布橋といわれる全長67mの回廊を抜けて拝殿に向かいます。長い回廊には上社の神紋(諏訪梶)が柱ごとに施されています。途中山側にあたる左手には、東宝殿、西宝殿そしてその中間には慶長13年(1608)に徳川家康が家臣大久保石見守長安に命じ、国家の安泰を祈願して造営寄進したと言う四脚門、別名勅使門があります。かつて禁足地の神聖な地であり、神仏習合時代以前の神社信仰の形態を知る貴重な建造物です。

参道に対して拝殿が違う方向を向いているので、「願い事を大きな声で言わないと届かない」との伝承がありますよ。

神体山を拝するための独特の社殿配置「上社本宮」

写真:和山 光一

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神殿はなく代わりに御神山とされるのが守屋山(1650m)です。上社本宮の境内すぐそばまで中部地方唯一と言われる原生林に抱かれる如くに迫っていて、神聖な地として神職以外の立ち入りを一切禁じています。一説には「硯石」という大きな磐座がひとつあるといわれています。磐座とは神様の御霊の宿るもの、降臨されるとされる巨石で古くからの自然信仰を表しています。

現在の建物は天保二年から九年(1838)迄八年の歳月を要して社殿が落成し、立川流の代表的建築物と言われています。幣拝殿の左右に片拝殿が並ぶ本殿を持たない、諏訪造りという独持の様式になっています。

諏訪住民の情熱が一気に注がれる「御柱祭」

諏訪住民の情熱が一気に注がれる「御柱祭」

写真:和山 光一

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諏訪市・岡谷市・茅野市・下諏訪町等諏訪地方6市町村20万人の氏子が力を合わせて成し遂げる天下の大祭「御柱祭」、正式には「諏訪大社式年造営御柱大祭」といい、7年目ごとの寅と申の年に御社殿を造り替える祭事です。建築技術を伝える目的と新たに神が甦るという意味を持ちます。本殿のない諏訪大社では、御社殿の四隅に大木を曳き立ててそこに神が宿るとされています。諏訪大社は2社4宮で構成され、4本ずつ、計16本の柱が立てられることになります。

柱となるのは直径約1m、長さ約17m、重さ約12tにもなる巨木で、この巨木を山から切り出し、人力のみで里へと曳き、各社殿を囲むように建てます。

諏訪住民の情熱が一気に注がれる「御柱祭」

写真:和山 光一

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上社山出しの見せ場は「木落し」と最後の難所「宮川の川越し」。下社の山出しの見せ場は「萩倉の大曲」とその後に待ち構える「木落し」です。これら難所を人力で乗り越えて延々と巨木を曳き歩く様から天下の奇祭ともいわれ、迫力ある勇壮な祭りです。2016年から下社の「木落し」は観覧が予約制に変更されているので注意してください。

それぞれの境内に曳きつけられた巨木にはロープやワイヤーが巻きつけられ、氏子と観衆に見守られるなか建御柱が始まります。垂直に立てられた巨木は神となるのです。

「御神渡り」は、諏訪大社の神様の恋の通い路

上社と下社に分かれている理由は、ある時建御名方神と八坂刀売神がケンカをし、怒った八坂刀売神は下社に渡り別居してしまったといいます。けれど建御名方神は夜には湖を渡ってこっそり会いにいくようになったといわれます。古い時代から今でいう「通い婚」スタイルです。その通った足後が諏訪湖の氷の亀裂として現れると伝えられ、「御神渡り」とされてきました。諏訪湖が全面結氷した時に起きる自然現象で、氷が割れ山脈のように連なり、長さは数キロにもなり、この氷の亀裂の盛り上がり方などから、その年の天候や、農作物のことを占います。

この不思議な光景を昔の人々は神の仕業として畏敬の念を抱き、始点と終点に祭りをする清らかな場所として柱立てをし、そこにお宮をたてたのです。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2015/02/07−2017/01/29 訪問

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