佐賀の城。古代と近世、ふたつの名城を一日で廻ろう!吉野ヶ里遺跡・佐賀城

佐賀の城。古代と近世、ふたつの名城を一日で廻ろう!吉野ヶ里遺跡・佐賀城

更新日:2017/03/13 10:20

後藤 徹雄のプロフィール写真 後藤 徹雄 フォトグラファー
名城の定義はいろいろあるが、日本城郭協会が指定した「日本百名城」は見ておくべき城跡の指針として、あらゆる年代層に受け入れられている。今回はその中から、佐賀県の名城をふたつご紹介しよう。ひとつは古代の城跡、そしてもうひとつが近世城郭。しかも一日で廻れるうれしい旅だ。では、早速出掛けてみよう。

弥生時代の遺跡「吉野ヶ里」は「お城」の始まりだった!

弥生時代の遺跡「吉野ヶ里」は「お城」の始まりだった!

写真:後藤 徹雄

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吉野ヶ里遺跡は、佐賀県神埼(かんざき)市から吉野ヶ里町にかけて広がる丘陵地帯で発見された、弥生時代の集落遺跡だ。平成元年(1989年)の発見当時、「ついに邪馬台国発見か!」と大きな話題にもなった。それは吉野ヶ里遺跡が魏志倭人伝の邪馬台国の描写にある、宮室、楼観(物見櫓)、城柵などを備えていたからである。ただし、その後の調査で邪馬台国とは築造年代が違うことが判明した。それでもここが弥生時代最大級の集落遺跡であることの価値は揺るぎないものである。

教科書で習ったとおり、弥生時代に始まった稲作によって、人は定住し農耕社会へと移行し、集落は「ムラ」となり、さらに「クニ」へと発展した。その過程で貧富の差が生まれ、やがて社会階級の差となり、集落間の争いも多発。そのために居住区を守るための設備が作られるようになったという。

弥生時代の遺跡「吉野ヶ里」は「お城」の始まりだった!

写真:後藤 徹雄

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吉野ヶ里ではV字形の断面をした空堀が居住区を囲み、さらに土塁と柵が設置されていた。このように掘で囲んだ集落を環濠集落と呼ぶ。さらに逆茂木や乱杭という防御施設も確認されている。

弥生時代の遺跡「吉野ヶ里」は「お城」の始まりだった!

写真:後藤 徹雄

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吉野ヶ里遺跡は物見櫓や外敵から集落を守るための防御的施設を持つことから、我が国における「城」の始まりと見なされ、日本城郭協会により、日本百名城に指定されている。弥生時代の集落遺跡であると同時に、日本の城郭の原型としても貴重な遺跡ということである。

復元された集落を歩けば、それはまさに弥生時代へのタイムトリップ!

復元された集落を歩けば、それはまさに弥生時代へのタイムトリップ!

写真:後藤 徹雄

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入場ゲートをくぐり、さらに居住区まで歩けば、城柵や物見櫓、住居、倉庫などが復元されていて、それはまさに弥生時代へのタイムトリップ! とにかく広大な遺跡で、視界に現代の建物などが入ってこないので気分が削がれることもない!

復元された集落を歩けば、それはまさに弥生時代へのタイムトリップ!

写真:後藤 徹雄

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この吉野ヶ里遺跡は弥生時代後期の後半、BC3世紀頃の集落最盛期の姿を復元したものだ。巨大な主祭殿も木造復元されていて、内部には当時の祭祀の様子が再現されている。
JR佐賀駅からわずか3駅で吉野ヶ里公園駅。古代遺跡と聞いて想像するよりずっと近くで、日本の国の始まりと、さらに城郭の始まりに触れることが出来る佐賀県の代表的なスポットなのだ。

市内へ戻って、幕末の雄藩、鍋島氏の近世城郭「佐賀城」へ!

市内へ戻って、幕末の雄藩、鍋島氏の近世城郭「佐賀城」へ!

写真:後藤 徹雄

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古代への旅のあとは、時を一気に千数百年下ろう。もちろんJR線で3駅の旅である。佐賀市内へ戻り、佐賀藩三十五万石、鍋島氏の居城「佐賀城」を目指すと、先ずは現存の「鯱の門」が旅人を迎えてくれる。屋根に青銅製の鯱が一対乗っていることでその名があり、門扉に残る弾痕が1874年(明治7年)の佐賀の乱での激戦を物語っている。

佐賀藩の歴史を振り返ってみると、戦国期までこの地を支配していたのは龍造寺氏で、鍋島氏は龍造寺氏の重臣の一人に過ぎなかった。中央で羽柴秀吉が天下統一に向けて躍進するその時代の当主は龍造寺隆信。この隆信が天正12年、島津・有馬氏との沖田畷(なわて)の合戦で戦死してしまい、その後、鍋島直茂が実権を握ることになる。

市内へ戻って、幕末の雄藩、鍋島氏の近世城郭「佐賀城」へ!

写真:後藤 徹雄

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龍造寺氏の居城だった村中城を直茂が拡張改修し城名も改める。さらに1608年、子の勝茂が初代佐賀藩主となると総普請を開始、四層の天守も建てられた。その壮大な天守は1726年(享保11年)の火災で失われ、その後再建されることはなかった。一説に、幕府への遠慮があったともいわれている。しかし、今も高さ9mもある立派な天守台が残っていて往時が偲ばれる。

桜の名所として、さらに石垣の美しさに魅せられる名城「佐賀城」

桜の名所として、さらに石垣の美しさに魅せられる名城「佐賀城」

写真:後藤 徹雄

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佐賀城の見どころのひとつ、それが石垣の美しさだ。本丸には石垣が多用されており、自然石と切石を巧みに組み合わせた構築美に魅せられる。また桜の名所でもあり、季節には花と石垣という日本の城郭の美しさに目を奪われることだろう。

桜の名所として、さらに石垣の美しさに魅せられる名城「佐賀城」

写真:後藤 徹雄

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佐賀城では、鍋島直正が1838年(天保9年)に再建した本丸御殿が伝統工法によって忠実に復元されている。一の間から四の間まで遭わせて320畳という大空間は必見の価値がある。

ぎょ!どう見ても『エイリアン』! 佐賀県推薦!!有明海の怪魚「ワラスボ」、食べられるのだ!

ぎょ!どう見ても『エイリアン』! 佐賀県推薦!!有明海の怪魚「ワラスボ」、食べられるのだ!

写真:後藤 徹雄

では、最後に佐賀県も推奨している珍味「ワラスボ」を紹介しよう。
「ワラスボ」はハゼ科の魚で、日本では有明海にだけ生息する。地元佐賀県ではムツゴロウと並び食用として漁獲されている有明海の珍魚。そのワラスボを干物にしたものがお土産店で売られており、佐賀空港でも買うことができる。強烈に印象に残るお土産として、また佐賀、有明海の珍味として一押しの一品だ!

ぎょ!どう見ても『エイリアン』! 佐賀県推薦!!有明海の怪魚「ワラスボ」、食べられるのだ!

写真:後藤 徹雄

新鮮なワラスボは、刺身など生食も可能だが、干物にしたものが一般的。炙って食す場合は木槌などで軽く叩いて柔らかくしておく。簡単なのは そのまま2〜3cmに折って、油で軽く素揚げするだけ!いわゆる骨煎餅「ホネセン」だ。

頭の部分など最初はちょっと勇気が要るが、口に入れてみるとカリカリと食べやすい。香ばしくてコクのある味はビールのお摘みに最適。
ただ、このワラスボ、絶滅の危険が増大している種でもあり、将来的に食べ続けられる保証はない。有明海の幸をいまのうちに味わっておきたいものだ。

まとめ

古代の遺跡から近世城郭への時間旅行!
城郭ファン、とくにスタンプラリーに参加中のファンにはうれしい、一日で二城の旅がお勧めだ。

掲載内容は執筆時点のものです。

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