「走水神社」の御祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)と妻・弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)です。
創建は江戸時代火災に遭い、記録や社宝が消失して詳細は不明ですが、伝説によると、西暦110年10月、日本武尊の父である景行天皇から東征の命を受けた日本武尊が、神奈川県から千葉県にある房総半島へ渡るとき冠を走水の村人に与え、村人は石櫃(いしびつ)に納めて土中に埋め、その上に祀った事によります。日本武尊が房総半島へ船で渡るとき海が大しけで船が沈没しそうになります。妻の弟橘媛命が自ら海に入って海神の怒りをおさめ、日本武尊は無事房総半島へ渡ります。
女性らしくなりたい女性向けのパワスポと言われるのは、夫を助けるために自ら犠牲になった伝説によります。東京湾岸の地名「袖ヶ浦」「袖ヶ浜」などは、弟橘媛命のくしが岸に流れ着いた伝説によって名付けられました。弟橘媛命のくしは走水神社近くにある御所ヶ浜にも流れ着き、地元の人は房総半島への出発前2人が過ごした御所ヶ崎に弟橘媛命を御祭神とする橘神社として創建しました。後に橘神社が明治18年(1885年)軍用地になり、走水神社境内へ移設。明治42年(1909年)、走水神社に合祀されます。
灯籠から階段を上がっていき、正面にある本殿のすぐ左に「別宮」があります。別宮は日本武尊のために弟橘媛命と一緒に自ら犠牲になった従女たちを祀っています。そのため、仕事の人間関係を良くしたい人が、仕事運開運を願って参拝するようになりました。平成25年(2014年)に改築されたばかりです。また御祭神の日本武尊は仕事運上昇に加護を与える神様としても祀られています。
仕事運、更には商売繁盛のパワスポとして有名人、特に地元横須賀出身の小泉元首相やそのご家族が参拝に訪れた事が知られています。またスピリチュアルカウンセラーの江原啓之氏が走水神社を紹介したため、紹介後参拝者が増加しました。
社殿の右には水神社と稲荷社があります。水神社はかつて走水神社裏の清流に河童が住んでいたという河童伝説によります。遭難した人を助けたり、漁業の手引きをしたと言われています。稲荷神社は豊受姫命(とようけひめのかみ)、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を祀っています。
社殿の左側から裏山へ通じる山道を上がっていくと、神明社(天照大御神 あまてらすおおみかみ)、須賀神社(須佐之男命 すさのおのみこと)、諏訪神社(建御名方神 たけみなかたのかみ)の3社があります。また3社へ向かう途中、古代の稲荷神社跡があります。パワーがあると言われる3社へ行くには、舗装されていない山道を数分歩く必要があるため、スニーカーなど歩きやすい靴がおすすめです。
走水神社の手水は富士山から長い年月をかけて湧き出るといわれる、地下30メートルからのミネラル豊かな真水です。お清めの水は容器に入れて持ち帰る事が出来ますが、生活水としての取水は出来ません。また2リットル入りのボトル2本までの制限がありますし、参拝者が多い場合は参拝者の手水としての利用が優先されます。
走水神社には手水舎の右隣に御砂倉があります。入っている砂は以前、橘神社があった場所のものです。縁結びにご利益があります。砂の量は封筒に入る位で十分で、できれば砂を入れる容器は持って行きましょう。砂は家の東西南北の端にそれぞれ少しまき、残りは玄関に置いておいた方がよいです。
古事記、日本書紀の伝説によって創建された走水神社はパワーいっぱいの場所です。神社から見る海岸の景色は晴れていれば素晴らしいです。元首相、有名スピリチュアルカウンセラーも参拝に訪れるパワスポ「走水神社」へ行ってみませんか?
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