千駄木駅から徒歩7分ほど。谷根千などとも言われるこのあたりは、昔、銀行の頭取や彫刻家高村光雲(光太郎の父)など有識者の邸宅が多く、文京区のなかでもお屋敷街の様相をていしていました。いまでも立派な住宅や古い建築が残る閑静な地域です。
門を通ると前庭の美しい木立の奥に住宅としては大きく重厚な正玄関が見えます。この玄関は主人以上のお客様を迎えるときに使用したといいます。ボランティアさんに出迎えられて、玄関脇のテーブルで入場料を支払います。
玄関の見どころの一つでもある、写真の大きなくぬぎ石で靴をぬぎます。
さらに、畳や木造の床をいためないように靴下を着用しなくてはなりません。ジーパンなど硬い生地のものは裾を一折することも。
また、バッグを下げていると思わぬタイミングで襖や障子など建具をいためることがあるので、預けましょう。貴重品はボランティアさん手作りの布の袋に入れて持ち歩きます。
玄関脇の電話室には、送話器と受話器が分かれている戦前タイプのものですが、なんとダイヤルがついているという大変珍しい電話器があります。番号リストが貼ってあるなど、生活感があります。
旧安田楠雄邸庭園は大正8年(1919年)に豊島園の創始者・藤田好三郎によって作られました。大正12年安田家が買い取り、最後の当主安田楠雄さんが亡くなった翌年(平成8年・1997年)まで安田家の人々が住んでおられたとのこと。
応接室の椅子・テーブル・カーテンなどほとんどの調度は創建時以来のものだそうですが、布製のカーテンまでが大正8年のものとは驚く以外ありません。創建者から受け継いだ人々が大切に使い続けてきたのがよくわかります。
写真手前の小テーブルは、蓋をとると火鉢に早変わり。下の部分には炭を入れておきます。火鉢というのは意外と暖かいものですが、この小さな火鉢は来客が手を温めるのに使っていたそうです。
次は、長い廊下を渡って「残月の間」へ。
季節になると雛人形や五月人形が飾られる残月の間。
地下には防空壕が掘られており、関東大震災があった4月と第二次世界大戦終戦の8月に公開されています。
続いて「茶の間」へ。茶の間は家族がすごした部屋とのこと。障子の中央にガラスがはめられた猫魔(ねこま)障子から庭を眺めることができます。
襖をあけるとなんと水屋が!お茶事を行ったのでしょうね。そういえば茶の間というのは、もともと茶を喫する部屋という意味でしたね。このようなところにも創建者の趣意がいきています。
旧安田楠雄邸はほとんどが大正8年創建当時のまま維持されているのですが、唯一この台所は楠雄氏の奥様が嫁いでこられたときに改装したそうです。当時の最新式システムキッチン!大きな天窓や換気窓、小さいながら冷蔵庫もあります。
左側の小さい家具が冷蔵庫。
電気冷蔵庫ではなく、氷を入れて冷やす仕組みです。
写真手前の床下は全面収納になっていて、深いのでちょっと足元が怖いくらいです。
家族用の階段を上って二階へ。お客さまはもう一つの階段を使います。
二間続きの明るい広々とした客間があります。1.5 畳の幅がある床の間、出書院(写真左奥)、全面ガラス張りの廊下など、見どころ満載です。中でも客間からの庭の眺めは素晴らしい。
大正ガラスという波打つような特徴あるガラス面を通してみると、レトロ感がいやまします。
春の枝垂桜は、わざわざ見に来る人も多く、畳に座してみるのにちょうど良い高さです。
細かいところにも創建者の趣味・アイデアが隠れています。照明デザインや電気のスイッチ、襖の引き手などにも面白さが隠れていますので、ぜひ見つけてください。
東京千駄木の旧安田楠雄邸庭園いかがでしたか。静かな住宅街の古いお屋敷でゆっくり感慨にふけるのもよいものです。ガイドツアーの後は自由に見て回ることができるので、撮影タイミングを逃したところやもう一度見たいところを見るのもよいですね。写真撮影は自由、ただしフラッシュは禁止です。
公開日は水曜日/土曜日とかぎられていますが、ここの運営はボランティアによって成り立っていますので、無理もないことかと思います。
さて、そのボランティアさんのオススメが「夜のお屋敷」。
年に何回か「○○の夕べ」などのイベントで夜間に公開されることがあり、85%が創建時のものという様々な「灯り」を楽しめます。街の灯りも少なく、ほのかに灯る家々の灯……大正時代の「暗さを」感じてほしいとのことです。
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(2024/4/20更新)
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