旧満州の玄関口「大連」 -旧日本橋から空中リフトまで‐

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旧満州の玄関口「大連」 -旧日本橋から空中リフトまで‐

旧満州の玄関口「大連」 -旧日本橋から空中リフトまで‐

更新日:2017/05/08 10:17

飛騨屋 勘左衛門のプロフィール写真 飛騨屋 勘左衛門 時空写真家(特に国内外における定点写真、近現代の遺構、鉄道、動植物等)

大連といえば、かつては旧満州の玄関口として水陸の交通要所として知られたところ。戦後中国の東北地方として生まれ変わった現在もそのことに変わりはありません。 
今回は旧日本橋(現在の勝利橋)からはじめて、日本統治時代の建造物と旧ロシア人街、古色蒼然とした路面電車と国道を跨ぐ「空中リフト」を御紹介しましょう。

大連の街歩きは「大連の日本橋」から

写真:飛騨屋 勘左衛門

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1905(明治38)年2月11日にロシア統治時代の「ダルニー」から「大連」へ名称が変更され、日本の本格的な統治が始まりました。

日本橋は現在の中山広場(旧、大広場)から西北へ上海路(旧、大山通)を直進した先に存在します。この橋は現在は「勝利橋」と呼ばれ、大連港と大連駅とを結ぶ鉄道を跨ぐ陸橋で、今もそのまま残っています。そのまま渡れば、旧ロシア人街(団結街)へ入ってゆきます。

写真:飛騨屋 勘左衛門

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橋上から東側(旧ロシア人街へ向かって右側)を俯瞰したもので、ディーゼル機関車が客車の入れ替え中の光景です。この先には大連港の埠頭があり、かつては多くの線路が貨物用として通じていましたが、今は陸上交通に置き換わり撤去されています。

大連観光の定番、「旧ロシア人街」

写真:飛騨屋 勘左衛門

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日露戦争で日本が勝利するまでは、大連はダルニーと呼ばれるロシア人の街でした。
旧日本橋である勝利橋を渡ると旧ロシア人街の入り口が見えてきます。2000年以降に観光スポットとして団結路を中心に復元がなされた。街路の両側にはロシア語が併記された土産物屋や歴史的建造物、ホテルが並んでいます。全長300mほどのまっすぐな街並みですので、お店を冷やかしながらそぞろ歩きをするには格好の場所でしょう。

写真:飛騨屋 勘左衛門

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突き当りには戦前の満蒙資源館(のちの大連市自然博物館)の建物がありますが、今は使用されていません。

日本統治時代は当時の満州における鉱産・林産・農産・畜産とそれらの加工品にかかわる標本や模型、図表を収集、陳列展示していました。
古い建物ですので今のうちに写真として記録しておかれてはいかがですか?

日本統治時代の面影を残す「旧大連ヤマトホテル」(大連賓館)

写真:飛騨屋 勘左衛門

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旧大連ヤマトホテルは中山広場(旧大広場)の南方の一角を占める古色豊かな洋館で、日本統治時代は南満州鉄道会社の経営による大連を代表するホテルでした。当時の建物のまま現在も現役の大連賓館として鋭意営業中です。

東京の帝国ホテルと並び称されるほどの有名なホテルで、他に旅順をはじめ長春(旧新京)、瀋陽(旧奉天)、哈爾浜などにもあり、今も名を変えて営業中のものも存在します。
2階にはゆったりとくつろげる喫茶室があり、中山広場を眺めることができます。また、戦前の大連の市街図等もフロントで購入することができます。見学するだけでも面白いですが、宿泊してしまうのが手っ取り早くその雰囲気を味わう方法でしょう。

写真:飛騨屋 勘左衛門

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旧ヤマトホテルの大連賓館2階喫茶室から撮影した中山広場(旧大広場)。大連賓館2階の喫茶室からは中山広場を俯瞰することができます。
正面のバロック様式の建物は中国銀行大連分行(旧横浜正金銀行大連支店)で竣工は1909(明治42)年です。

戦前の車両も活躍中!大連の路面電車

写真:飛騨屋 勘左衛門

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大連の市内交通にはバスをはじめ高速鉄道やタクシーなど大都市に相応しいものが整備され、地下鉄もまもなく本格営業を開始予定です。しかし観光客に注目を浴びているのはこの路面電車でしょう。

中でも写真のような日本統治時代に活躍した車両はお勧めです。1937(昭和12)年に日本車両で製造された3000系(旧501型)で今も201区路(華楽広場‐興工街)の主力として5時前から0時近くまで老体にムチ打って頑張っています。乗車して懐かしさを感じる車内から街並みをゆっくり眺めるもよし、自慢のカメラで近代的なビルや日本統治時代の歴史的建設をバックに撮るのもまた一興でしょう。

大連は7、8月でも最高気温が30度を超えることはなく、それ故かこの車両には冷房装置は付いていません。

運賃は大連駅前(大連火車站)を起点に興工街までが1元、同じく華楽広場までが1元ですが、大連駅前を跨いで乗車する場合はさらに1元プラスとなります。運賃は乗車時に料金箱へ払います。

写真:飛騨屋 勘左衛門

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こちらは201区路の終点興工街から風光明媚な星海公園を経由し、七賢路までの12.5kmを走る202路で、201区路の3000系とは対照的に主として3連接の低床型新型車両(DL6W型)が走っています。ほとんどが専用軌道を走ることもあって揺れのない快適な乗り心地を味わうことが出来ます。
運賃は201区路同様1元で、乗車時に払います。

最後は大連労働公園と緑山の大連タワーを結ぶ「空中リフト」で遊ぼう

写真:飛騨屋 勘左衛門

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労働公園は日本統治時代に中央公園と呼ばれた広大な公園で大連駅から南へ約1kmの場所にあります。また公園の南には緑山と呼ばれる小高い丘があり、市街を一望することができます。

公園から緑山までは徒歩で「登山」するのもよいのですが、お勧めは写真のような「空中リフト」を利用する方法です。二人乗りの簡単なつくりですが、標高差約200mの距離を15分程度で結んでいます。途中片側二車線の勝利路東段という交通量の激しい道路を足の下にして跨ぐなどなかなかスリルがあります。

終着の緑山頂上にはカメラマンが待ち構えていて、到着寸前の客を撮影しています。料金を払うと写真をもらうことが出来ますが、いらない場合ははっきりと意思表示(両手でバッテンをつくるなど)しないと、無理やり売りつけられますのでご注意ください。

写真:飛騨屋 勘左衛門

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緑山から北方を望んだ風景です。眼下に労働公園が見え、前方やや右側の緑地が大連賓館の建つ中山広場(旧大広場)、さらにその先には大連港を望むことが出来ます。

帰路はリフトで下るのもいいですが、登山路を降りるのも面白いです。緑山にはカシワが多く、初夏にはハヤシミドリシジミが飛び交っているかもしれません。また、一気に下まで降りることが出来る「滑り台」もあります。ただし汚れてもよい服装でないと、とんでもない目にあいます。

写真:飛騨屋 勘左衛門

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勝利路東段から撮影した空中リフト。女性の方はスカートなどは避けた方がよろしいでしょう。

大連の日本橋から空中リフトまで

如何でしたか。今回は旧満州の玄関口である大連市を旧日本橋から旧ロシア人街、旧ヤマトホテル、路面電車、空中リフトを中心に御紹介しました。
大連にはその他に大連港、旧日本人街、旧南満州鉄道本社屋、足を延ばすと老虎灘(ろうこたん)の海岸や旅順といった歴史上忘れることのできない史跡や景勝地がたくさん存在しますが、今回は市内観光を主眼としてまとめてみました。

大連周水子国際空港から市内へはエアポートバスで20分程度で連絡しています(10元)。また中国東方航空を利用する場合はある程度の遅延が生ずるという前提でプランを立てると、よけいな神経を浪費しないですみます。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/05/03−2015/05/05 訪問

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