隨心院 小野梅園は、京都市営地下鉄東西線「小野」駅から東方向約600m(徒歩15分弱)に位置します。「小野」駅までは、「烏丸御池」駅から「約18分、JR京都駅からだとJR山科駅で市営地下鉄に乗り換えて約25分ほどです。車なら、名神京都東ICから約10分ほどです。
京都の梅の名所は、青谷梅林、城南宮神苑 楽水苑、北野天満宮 、梅宮大社 などがありますが、お寺の境内に「梅林」としてこれだけの本数がまとまっているのは、この小野梅園だけです。
名勝と称される小野梅園の梅林には約230本もの梅の木が植えられていて、3月中旬過ぎの満開の時期には、色鮮やかな紅梅、落ち着いた色の白梅のほか、「はねず色」と呼ばれる薄紅色の梅が咲き乱れています。
朱華(はねず)とは、黄色がかった薄い赤色のことです。万葉集にこのはねず色を歌った、女性歌人の大伴坂上郎女の「思わじと言ひてしものを朱華色の移ろひやすきわが心かも」という歌があるように、古来からの伝統色です。
小野梅園には、はねず色の梅の木が多くあり、紅梅、白梅、ゆきやなぎなどの色とりどりの花とあわせて、春の色を楽しむことができます。このはねず梅に因み、隨心院では、毎年、梅の見頃の時期(三月最終日曜日)に「はねず踊り」と呼ばれる催しが行われています。
隨心院は、991年(正暦2年)の創建。古くは牛皮山曼荼羅寺と、称されたそうです。小野小町邸跡といわれ、小町所縁の化粧井戸、文塚などがあります。1229年(寛喜元年)に後堀河天皇により門跡寺院(皇族や摂家出身者が住持として入寺する寺院)になっています。
山内には、桃山時代の建築の本堂、九条家ゆかりと伝えられる薬医門、表玄関、表書院 、能の間、江戸時代初期の建立の奥書院、などの建物の他に、狩野派絵師により装飾されている花鳥山水の図、虎の図などの襖絵があり、特に本堂前庭園が額縁絵として楽しめます。
写真は表玄関から見た「九条家ゆかりと伝えられる薬医門」です。
隨心院の位置する京都山科区の小野地区は、7世紀前半から平安時代中期にかけて活躍した氏族である小野氏の根拠地とされ、随心院はその小野氏の血縁とされている「小野小町」ゆかりの寺としても知られています。
小野小町は平安時代前期9世紀頃の女流歌人としても知られていて、小倉百人一首の「花の色は移りにけりないたずらに、わが身世にふるながめせしまに」は、有名な和歌です。平安時代前期の「六歌仙」(遍昭,在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大伴黒主)のひとりでもあります。美女として伝えられていて、今は使いませんが美人のことを「××小町」などと言うのもこの小野小町からきています。
そんな、小野小町ゆかりの隨心院には、境内の中の竹林に文塚などが点在する小町庭苑、小町化粧井戸などが残されていて、小町をあしらった装飾もあちらこちらで見ることができます。
写真は、拝観入口の庫裡に飾られている「小野小町像の屏風」です。
屏風と、襖絵の模様と色合い、そして畳が、お寺の雰囲気をよく表しています。
隨心院では、毎年、梅の見頃の時期(三月最終日曜日)に「はねず踊り」と呼ばれる催しが行われています。
「小野小町の美しさに魂を奪われた深草の少将が、深草からこの小野まで約5Kmを百夜通って満願の百日目の日の晩、大雪のため途中で凍死してしまった」という伝説があり、「はねず踊り」の日に、小野小町と深草少将のこの恋を、美しいはねず衣裳と菅笠を身に着けた少女達が、土地の童唄と踊りで披露します。
市営地下鉄小野駅をはさんで逆の西方向には、四季の花が美しい勧修寺(かじゅうじ)、隣の醍醐駅からは(豊臣秀吉による「醍醐の花見」の行われた地としても知られている)世界遺産の醍醐寺に行けます。
京都市内の現在の繁華街の四条河原町や京都駅近辺から少し南に離れた、山科区の小野地区あたりを、春の訪れとともに歩いて、隨心院 小野梅園で、小野小町伝説を辿りながら満開の梅も楽しんでみませんか?
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(2024/4/19更新)
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