写真:ふるかわ かずみ
地図を見る大山祇神社の見どころはなんといってもこの樹齢2600年の大楠!
高さ17メートル、根回り20メートルの立派な巨木は、国の天然記念物としても指定されています。
大山祇神社のご祭神である大山積大神(おおやまづみのおおかみ)の子孫である、小千命(おちのみこ)が約2600年前に植樹されて以来、地域と共に悠久の時を経て今に至ります。
また、このご神木を含めこのあたり一帯は「クスノキ群」と呼ばれ、次に紹介する「能因法師雨乞いの楠」や、伊藤博文が参拝した際に記念に植えたという楠など、希少な原始林エリアとして、歴史あるクスの巨木を数多く残しています。
写真:ふるかわ かずみ
地図を見る先ほどの大楠とは別に、その手前左手にあるこちらの「雨乞いの楠」はさらにその歴史は古く3000年前のものとされ、まさに日本最古の楠とされています。
後冷泉天皇の時代(1066年)に干ばつが続き、当時伊予国司・藤原範国が遣わせた能因法師(のういんほうし)による雨乞いの祈願をしたところ、三日三晩雨が降ったという言い伝えが残っています。
現在は枯死して腐朽していますが、迫力ある名残を間近で感じることができます。
写真:ふるかわ かずみ
地図を見る大山祇神社の歴史はかなり古いとされ、はっきりといつの創建かはわかっていません。
ご祭神である大山積大神は、イザナギ・イザナミの夫婦神の子で、天孫降臨をした瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の奥さんの木花開耶姫尊(このはなさくやひめ)の父神でもあります。
また、記紀神話の中でもあるように、本来はその字のごとく「山の神」ですが、またの名を和多志大神(わたしのおおかみ)とも言われ、海上安全の守り神として海の神としての色合いも強く、山と海を兼ねた神となっています。
また、その立地や海上守護の神ということで、村上水軍も厚く信仰していたほか、多くの武士からも軍神の神として崇敬されていました。
写真:ふるかわ かずみ
地図を見るさきほどご紹介した鳥居の写真は二の鳥居となります。一の鳥居はここから直線で海の方向に進んだところにあり、瀬戸内海に面して建てられています。
その二の鳥居のすぐ手前左手にある石柱に注目。
そこに書かれた文字は、初代内閣総理大臣の伊藤博文が昭和42年に参拝した際に書いたとされる石柱です。また、鳥居に飾られた扁額(へんがく)の文字をよく見ると、「大山積大明神」と書かれ、同じ読み方でも「づみ」の字が違うのもおもしろいですね。
写真:ふるかわ かずみ
地図を見る2010年に再建された写真の高さ12メートルの総門は、すべてヒノキで作られています。神社にはたいてい色鮮やか、もしくは落ち着いた楼門を多く見かけますが、こちらは自然の飴色の風合いもやさしく、見るだけで癒されます。
写真:ふるかわ かずみ
地図を見るさきほどの総門をくぐると広い境内が広がります。
最近ではここで舞台を組んで能や歌舞伎などのイベントも催されているようです。
自然光が差し込み、まさに気持ちよいこちらの空間では、たっぷり神社と自然のパワーを取り込みましょう。
しばらくまっすぐ歩くと写真の神門がお出迎え。こちらの神門は見た目にもまだ新しさが伝わってきますが、2016年12月に355年ぶりに建て替えられたばかりだそう。くぐるときにも新しい、まっさらな気持ちで参拝に臨みましょう。
写真:ふるかわ かずみ
地図を見るさて、神門をくぐると正面には茅葺屋根が落ち着いた雰囲気を醸し出していて、境内も自然あふれる気で充満しています。
写真は拝殿ですがその裏手の本殿共に、国の重要文化財となっています。本殿は三間社流造(さんげんしゃながれつくり)となっていて、京都の金閣寺と同じ造りということ。
大山祇神社は、全国約1万社以上ある大山祇神社、そして三島神社の総本社となります。
厳密には本社、上津社、下津社の三社からなり、それぞれオオヤマヅミノカミ、姫神・オオイカヅチノカミ、姫神・タカオカミノカミが祀られています。大三島の名前の由来も、この三神を祭っていることからという説もあります。
せっかくなら、三社きっちりお参りしましょう。
かつて源義経が壇ノ浦で戦った際の甲冑をはじめ、数々の甲冑や刀が奉納、展示されている宝物館は、歴史好きな人にはたまらないお宝をたくさん見ることができます。
また、ここ神社だけでなく美味しいグルメ巡りなど、島時間を楽しむのもおすすめですよ!
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(2024/4/18更新)
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