“石見銀山遺跡とその文化的景観”として世界遺産に登録され、歴史的な町並みが残り、どこか懐かしさの漂う、 島根県大田市(おおだし)大森町。
その大森町の氏神として、大国主命(おおくにぬしのみこと)が祀られているのが「城上神社(きがみじんじゃ)」。JR大田市駅からバスで約26分、仁万(にま)駅から約15分、“大森代官所跡”バス停で下車して、徒歩約1分の場所とアクセスも簡単です。
様々な木々が生い茂り、緑の豊かな「城上神社」。その昔はさらに多くの木々があり森のような場所であった事から、“大森”という町の名称が付いたとも言われています。
こちらが「城上神社」の拝殿です。重層式で、四方向に傾斜のある寄棟造(よせむねつくり)と切妻造(きりづまづくり)が組み合わさった入母屋造(いりもやづくり)と呼ばれる屋根の構造で瓦葺き。東京“亀戸天満宮(かめいどてんまんぐう)”を手本としたと伝わっています。
901年〜923年、延喜(えんぎ)年間には、「城上神社」は、現在の仁摩町(にまちょう)馬路(まじ)の城上山にあり、1434年(永享6年)に当時この地域を治めていた大内氏により大森町の愛宕山(あたごさん)へと移されました。1577年(天正5年)に、次にこの地を治めていた毛利氏によって、現在の位置へと変わり、造営されます。
こちらが「城上神社」の拝殿内です。四角く囲まれた板の間と天井。そして、一際目を引く、極彩色の天井絵“鳴き龍”。まずは、その姿をじっくりと拝んでみて下さい。
また「城上神社」には、江戸時代に“石見銀山”の初代代官に就いた大久保長安(おおくぼ ながやす、1545年〜1613年)ゆかりの能面も収蔵。当時の“石見銀山”の様々な人物との関わりも垣間見えます。
「城上神社」は、1800年(寛政12年)の大火により焼失してしまいますが、1812年(文化9年)に現在の拝殿が再建されます。
そして、1818年(文化15年)に三瓶山(さんべさん)の近くに住む絵師・梶谷円隣斎守休(かじたにえんりんさい もりやす、生没年不詳)によって、拝殿の天井に鮮やかな色彩の龍が描かれたのです。
こちらの板の間に一人ずつ入り、神前に向かってやや後方の丸印の位置で正座をします。それから、柏手を四つ打ってみましょう。すると、どうでしょう。綺麗な音色が聞こえてきます。聞こえにくい場合には、少し強めに区切って柏手を打ってみて下さい。
この“鳴き龍”は、天井の構造と関係しています。基本的に天井は水平にすると錯覚により、下に垂れて見えてしまいます。そのため、上に湾曲させて、見た目を水平と感じさせる建築方法が取られます。
つまり、その下で音を鳴らすと、丸みを帯びた天井が拡散する音を集約、音の鳴った地点へ向けて跳ね返す、これが繰り返されているのです。“鳴き龍”は音が天井と板の間を往復反射する事で起こっているのです。
その昔、海防の神として崇められていた「城上神社」の境内には、大きな“亀石”と呼ばれる石が残されています。その“亀石”にまつわる伝説も残っているので、併せてチェックしてみてはいかがでしょうか。
また実は縁結びの地としても知られており、ハートのマークのついた小さな祠(ほこら)や縁結びの葉をつけた梛(なぎ)の木などがあるので、そちらもお見逃し無く。
以上、極彩色の“鳴き龍”やその町名の由来にもなったと言われる島根県大田市の大森町にある「城上神社」の御紹介でした。
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