壮観な“五百羅漢”と龍の天井絵!島根県大田市「羅漢寺」

壮観な“五百羅漢”と龍の天井絵!島根県大田市「羅漢寺」

更新日:2017/01/27 17:15

世界遺産“石見銀山”のある島根県大田市大森町。当時の銀鉱山で働く人々の生活や文化など多くの歴史やゆかりのスポットが残されています。その中でも特に壮観で見応えのある場所が“五百羅漢”を有する「羅漢寺」です。
石を組み合わせて作られた“反り橋”や本堂の天井に描かれた龍の逸話など、その由来や歴史に触れながら、無量寿院「羅漢寺」を御紹介致します。

「羅漢寺」の概要とアクセス

「羅漢寺」の概要とアクセス
地図を見る

島根県大田市(おおだし)のJR仁万(にま)駅からバスで約17分、大田市駅からバスで約28分の場所にあるのが世界遺産“石見銀山遺跡(いわみぎんざんいせき)とその文化的景観”の構成資産の一つでもある“五百羅漢”で有名な「羅漢寺」。

正式には、石室山(いしむろさん)無量寿院「羅漢寺」と言い、1764年(明和元年)に創建された高野山真言宗の寺院です。東側に“五百羅漢”のある石窟(せっくつ)、道を挟んで西側に「羅漢寺」の本堂となっています。

大きな駐車場のある“石見銀山公園”から徒歩約1分なので、車の利用者も安心してアクセスが可能です。

“五百羅漢”と石窟の扉

“五百羅漢”と石窟の扉
地図を見る

「羅漢寺」の“五百羅漢”は、銀山で亡くなった人々の霊と先祖の霊を供養するために造営されたものです。1741年〜1743年、寛保年間に月海浄印(げっかいじょういん、生年不詳〜1759年)の呼び掛けにより始まりました。

完成に先立つ1764年(明和元年)、“五百羅漢”の安置される石窟(せくつ)の正面に「羅漢寺」が建立され、月海浄印が初代住職となりました。

“五百羅漢”は笑っていたり、泣いていたり様々な表情が彫られているので、一つ一つじっくりと拝観してみてはいかがでしょうか。

“五百羅漢”と石窟の扉
地図を見る

“五百羅漢”には三つの石窟があり、左右の石窟には透かし彫りの施された鮮やかな朱色の扉が取り付けられています。それぞれ異なったデザインとなっているので、そちらも是非、チェックしてみて下さい。

石塔“大宝篋印塔”と石造りの“反り橋”

石塔“大宝篋印塔”と石造りの“反り橋”
地図を見る

「羅漢寺」の“五百羅漢”は当時の大森代官や役人、石見銀山の住人、さらに第八代将軍・徳川吉宗(とくがわ よしむね、1684年〜1751年)の次男で国学者・歌人の田安宗武(たやす むねたけ、1715年〜1771年)やその女中など多くの援助もあり完成に至りました。

そのため、石窟の隣には田安宗武の菩薩を供養するための石塔、“大宝篋印塔(だいほうきょういんとう)”が建立されています。高さは約5.5メートル。“五百羅漢”と同じく島根県大田市温泉津町(ゆのつちょう)福光(ふくみつ)の凝灰岩(ぎょうかいがん)を使った“反り橋”と共にその景観を味わえます。

「羅漢寺」の本堂

「羅漢寺」の本堂
地図を見る

こちらが「羅漢寺」の本堂となります。過去・現在・未来の三世の悪因を断ち除く降三世(ごうさんぜ)明王、国家の平安と全ての人々を守護する大元帥(だいげんすい)明王を安置されています。ともに秘仏で室町時代に製作されたもの。本尊は阿弥陀如来となっています。

また、本堂の天井絵も見応えがあります。そこには初代住職の月海浄印と龍の伝説が残っています。

天井に描かれた龍の伝説

天井に描かれた龍の伝説
地図を見る

その昔、“石見銀山”では毎夜、龍が現れて住人たちを襲っていました。そこで月海浄印が立ち向かいます。真言密教の法力を用いて退治し、「羅漢寺」の本堂に護摩の灰で描いて、龍を封印したのです。

また後日談として、年月と共に灰が薄れ、封印が解けそうになった際、中島という絵師が描き直したとされています。一説ではその名前は葛飾北斎(かつしか ほくさい、1760年〜1849年)の雅号なのではないかとも言われています。

島根県大田市大森町「羅漢寺」のまとめ

本記事の写真は許可のもと撮影したものですが、“五百羅漢”や「羅漢寺」の境内では写真や動画の撮影は禁止となっていますので、その情景や雰囲気などは記録ではなく、しっかりと心の記憶に残しておきましょう。

その他に、伝説の龍が住みついていたとされる湧き水“三百水”や“開運吉祥弁財天”もあります。そちらも是非、チェックしてみて下さい。

以上、壮観な“五百羅漢”を参拝できる島根県大田市大森町にある「羅漢寺」の御紹介でした。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/12/27 訪問

- PR -

条件を指定して検索

- PR -

この記事に関するお問い合わせ

- 広告 -