大阪の太子町にある叡福寺には「聖徳太子」が今も眠る

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大阪の太子町にある叡福寺には「聖徳太子」が今も眠る

大阪の太子町にある叡福寺には「聖徳太子」が今も眠る

更新日:2017/05/11 19:11

Masahiro Tokitoのプロフィール写真 Masahiro Tokito 旅好きブロガー

歴史の教科書において古代史の英雄として名が挙がる聖徳太子。かつては日本紙幣にもその姿が描かれるほど多くの日本人に知られる人物です。彼の業績は日本の歴史に多大な影響を与えたと言われています。そんな聖徳太子といえばゆかりの地が奈良県に数多く知られていますが、実はここ大阪にもゆかりの地があるのです。

今回は大阪にある聖徳太子が眠る「叡福寺」をご紹介しましょう。

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「聖徳廊」の文字が掲げられている南大門

「聖徳廊」の文字が掲げられている南大門

写真:Masahiro Tokito

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「叡福寺」の寺伝によると、聖徳太子は生前にこの場所を墓所と定めたそうです。推古天皇29年(621年)、穴穂部間人皇女(聖徳太子の母)が没するとここに葬られました。翌年には、相次いで亡くなった聖徳太子と膳部菩岐々美郎女(聖徳太子の妻)が追葬されたといわれています。聖徳太子が亡くなった後、伯母にあたる推古天皇が土地建物を寄進して、墓守りの住む堂を建てたのが叡福寺の始まり。

その叡福寺の南大門は朱色が美しいのが特徴で、その両サイドを仁王様が睨みをきかせています。

「聖徳廊」の文字が掲げられている南大門

写真:Masahiro Tokito

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南大門をくぐるとそこには広い敷地とこれから紹介する建物があります。
まずは手を洗ってお清めを。龍から水が流れています。

叡福寺は聖徳太子ゆかりの寺として、歴代の天皇や時の権力者に愛されていたそうです。日本で仏教の興隆に尽力したため、日本仏教の開祖として賛仰されました。空海・良忍・親鸞・日蓮・一遍など新仏教の開祖となった今も歴史の教科書に名を連ねる僧たちが参籠したことが知られています。
そんな偉大な人物たちもこうしてここで手を清めていたのでしょうか。

重要文化財の多宝塔

重要文化財の多宝塔

写真:Masahiro Tokito

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南大門を入って直ぐ左側に「多宝塔」が建っています。
現存の「多宝塔」は承応元年(1652年)に江戸の豪商三谷三九郎によって再建されました。多宝塔の内部には釈迦尊像や大日如来像等が安置されているんだとか。残念なことに非公開のため実際にそれらを見ることができません。
こちらの多宝塔は重要文化財に指定されています。それだけ価値があるんだろうと思いますが、やはり内部が非常に気になる存在です。

府指定文化財の金堂

府指定文化財の金堂

写真:Masahiro Tokito

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続いてこちらが「金堂」です。こちらは如意輪観音を本尊としています。この金堂の小屋裏の残されていた棟札から、享保17年(1732)に再建されたことが明らかとなりました。この棟札と共に大阪府指定文化財となっています。

天正2年(1574年)、織田信長による兵火で叡福寺の建物は大きな被害を受けてしまい、古代の建物は残っていないそうです。非常に残念な話ですが再建されていることが時の権力者や多くの人々から聖徳太子が愛されている証拠なのかもしれません。

聖徳太子御廟・北古墳

聖徳太子御廟・北古墳

写真:Masahiro Tokito

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聖徳太子御廟は叡福寺境内の北側にあり、磯長山の丘陵を利用した円墳で「叡福寺北古墳」ともよばれています。墳丘の高さは7.2m、直径は54.3m、内部は横穴式石室。

その石室の最深部に聖徳太子の生母である穴穂部間人皇后の石棺があり、前面右側に聖徳太子の石棺、そして左側に聖徳太子の妃・膳部菩岐々美郎女の乾漆棺が安置されていると伝えられています。また、この埋葬形態は「三骨一廟式」と呼ばれています。

聖徳太子御廟・北古墳

写真:Masahiro Tokito

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明治12年の御廟改修の際の記録から石室の形を復元できるそうです。それによると築造時期は7世紀前半から中頃とされ、お寺の伝承と矛盾しないとか。気になる詳細は、宝物館で見ることができます。

そして注目なのが写真にも写っているのですが、御廟の周囲には二重の石列が巡らされています。これは弘法大師が築いたと言われる聖地と俗界をへだてる結界石で490本もあるとされ、全てに観音の梵字が刻まれています。
こちらに、あの聖徳太子が眠られていると思うと歴史ロマンが好きな人にはたまらない場所です。

おわりに

叡福寺はいかがでしたでしょうか?お寺のゆかりもさることながら、やはり聖徳太子のお墓とされている御廟があるというだけで神聖さや歴史深さが段違いのように感じられる場所です。それが天皇や時の権力者が大事にしてきた目に見えない「何か」なのかもしれません。

写真では伝えられない、けれど古代から伝わる「何か」を実際に肌で感じてみてはいかがでしょうか。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2016/09/07 訪問

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