写真:花村 桂子
地図を見る竹田神社にまつられているのは、薩摩・島津家中興の祖、島津忠良(日新公・じっしんこう)。日新公は、室町時代の1492年(明応元年)、島津氏の分家・伊作家(現在の日置市吹上町)の生まれ。戦国時代に薩摩、大隅、日向と戦い、南九州の三州統一を手掛けた戦国武将で、島津家発展の礎を築きました。竹田神社の神紋は、島津家の家紋と同じ「丸に十字(丸十)」。のぼりの上で誇らしげにはためいているのが、見えるでしょう。
日新公は、仏教、儒教、神道をきわめ、学問や武芸に秀でた名将。橋を架け、町を整備し、産業を興すなど、善政を施したことから、今も人々に崇敬されています。
写真:花村 桂子
地図を見る竹田神社の境内には、加世田川から引かれた水路が流れ、涼やかな緑の杜がひろがります。楠やかいまきの大木が青々と繁り、癒しのマイナスイオンがあふれているよう。
写真:花村 桂子
地図を見る緑あふれる散歩道は、いぬまき並木が美しい「いにしへの道」へと続きます。陽の光を浴びてきらめく木の葉、緑の枝を揺らして吹き抜ける風。爽やかな空気を、胸いっぱいに吸い込みたくなる癒しスポットです。
写真:花村 桂子
地図を見るいにしへの道には、日新公が詠んだ「日新公いろは歌」の石碑が並んでいます。いろは歌は、人の生きる道を、易しい言葉で説いたもの。薩摩論語とも呼ばれ、薩摩藩独自の青少年教育システム・郷中教育(ごじゅうきょういく)の聖典となりました。明治維新の立役者、西郷隆盛をはじめとする薩摩藩士たちにも、影響を与えたといわれています。
写真:花村 桂子
地図を見るいろは歌を刻んだ石碑には、歌とともに大意を記した案内板が添えられています。四十七首をたどって歩けば、薩摩藩士の心の礎に触れられるよう。ここでは、最初の一首を紹介します。
いにしへの
道を聞きても唱へても
わが行いにせずば
かひなし
(大意)
昔からの立派な教えをいくら聞いても、またどれだけ口先で唱えても、自分で実行しなければ何の役にも立たない。
写真:花村 桂子
地図を見るいにしへの道は、常潤院(じょうじゅういん)跡へと続いています。常潤院は、1552年(天文21年)頃に、日新公が建てた塔頭(たっちゅう・大きな寺の学問所)。
門を護るのは一対の仁王像。明治時代の廃仏毀釈で打ち棄てられていましたが、昭和57年、百十数年ぶりに掘り起こされました。右像背面に享和3年(1803)寄進と刻まれています。
写真:花村 桂子
地図を見る日新公は、この地に葬られています。常潤院跡の墓地には、殉死した2名の武士が共に葬られ、日新公を護るかのように寄り添っています。
竹田神社は、鹿児島市の鹿児島中央駅から約40km。指宿有料道路を通って、50分ほどのドライブです。
薩摩島津家中興の祖・日新公(島津忠良)をまつる「竹田神社」。境内から続く「いにしへの道」は、いぬまき並木が美しい散歩道。「日新公いろは歌」四十七首の石碑を巡って、西郷隆盛をはじめとする薩摩藩士たちの心の礎に触れてみませんか。
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(2024/4/27更新)
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