亀の背に乗った大きな観音様!?「長崎・四福寺」でパワスポ福巡り

亀の背に乗った大きな観音様!?「長崎・四福寺」でパワスポ福巡り

更新日:2017/06/19 09:36

江戸時代、海外との唯一の窓口であった長崎。外国人が居住を許された唯一の町でもありました。中でも中国との交流が盛んであったため、17世紀後半には長崎市民の6人に1人が中国人でした。

その中国の人たちが建立、帰依したお寺が今も長崎市内に残されています。福済寺、聖福寺、興福寺、崇福寺です。これらのお寺を総称して長崎四福寺と呼びます。この四福寺で歴史とロマン、情緒を感じながら福巡りをしてみませんか。

坂本龍馬が宿泊した長崎最大の唐寺・福済寺

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江戸時代初期、キリスト教の信仰が禁止されたことに伴い、キリシタンでないことを証明するために必ずどこかのお寺の檀家となることが義務付けられました。それは長崎に住む中国人も例外ではなく、中国人による中国の寺を建てる必要性に迫られました。これが唐寺建立の背景です。

寛永5年(1628年)に福建省の僧・覺海(かくかい)が来日し、航海や漁業の守護神である媽祖を祀るために庵室を結んだのがこの福済寺の始まりです。その後、福建省の名僧・蘊謙(うんけん)が長崎の華僑に招へいされると、福済寺の諸堂が建立、整備されて長崎で最大の唐寺となりました。

幕末には勝海舟に同行して長崎を訪れた坂本龍馬が約1か月ほど宿泊したお寺としても知られています。大柄な龍馬と小柄な海舟が相撲を取ったといわれ、その様子は「まるで鶴にタカがちょっととまったようだった」と伝わっています。

坂本龍馬が宿泊した長崎最大の唐寺・福済寺
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明治43年(1910年)には本堂や前堂、回廊など8棟が国宝に指定された他、国宝級の絵画などを所蔵していたことから文化財の宝庫と呼ばれた唐寺でした。しかし、昭和20年(1945年)の原爆投下により長崎最大の唐寺といわれた大伽藍は全て焼失しました。

見どころは亀の背に乗った大きな観音様です。昭和54年(1979年)に原爆被災者や戦没者の冥福を祈る目的で、かつて国宝の本堂(大雄宝殿)が建っていた跡に、建てられました。正式には万国霊廟長崎観音(ばんこくれいびょうながさきかんのん)という観音様は地上34m、重さ35tもあり、その内部には巨大なフーコーの振り子が取り付けられています。

江戸時代当時の大伽藍は焼失しましたが、長崎歴史文化博物館に当時の模型が展示されていますので、その大きさを窺い知ることができます。

坂本龍馬が福を授かった聖福寺は、映画「解夏」の舞台としても有名!

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さだまさしさん原作の映画「解夏」のロケ地となった聖福寺。街中にあるにもかかわらず、とても静寂で心落ち着くスポットです。この聖福寺は延宝5年(1677年)に長崎の名僧・鉄心道胖(てっしんどうはん)が開いたお寺です。

大雄宝殿と呼ばれる本殿や長崎市最大の梵鐘がある鐘楼など4棟が国の重要文化財に指定されています。築300年を超えるこれら建物は老朽化が激しいのですが、当時の中国建築様式と日本の建築様式がうまく調和しており、建築史的観点から価値の高い必見の寺院です。

坂本龍馬が福を授かった聖福寺は、映画「解夏」の舞台としても有名!
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聖福寺は寺院建築だけでなく瓦塀と呼ばれる珍しい塀も見所の一つです。これは聖福寺の末寺が廃寺となる際に、廃材の屋根瓦の一部を積んで塀にしたものです。廃材の再利用とはいえ、よくよく見ると鬼瓦などの瓦もあり、芸術的な塀になっています。

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そしてこの聖福寺も坂本龍馬と所縁のあるお寺なのです。坂本龍馬率いる海援隊の「いろは丸」と紀州藩の「明光丸」が瀬戸内海で衝突した事件で、その賠償金を巡っての談判が行われた場所が聖福寺だったのです。

当時、徳川御三家の紀州藩に外様大名の土佐藩が談判に臨むこと自体が前代未聞といわれ、文字通り命懸けの談判だったようです。国際法を駆使した坂本龍馬ら土佐藩は、現在の貨幣価値で25億円とも42億円ともいわれる賠償金を勝ち得ました。そういう意味では聖福寺は坂本龍馬や土佐藩に福をもたらしたと言ってもよいでしょう。

たくさんの日本初が持ち込まれた、日本最古の黄檗宗の寺院・興福寺

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元和6年(1620年)に中国より招かれた真円により開かれた興福寺は、日本で最初の唐寺といわれています。
その後、2代目の住持となった黙子如定(もくすにょじょう)はたびたび氾濫する中島川の橋が流されるのを見かねて、中国から石工をを呼び寄せて眼鏡橋を架橋した高僧です。

朱塗りの山門が大きな特徴で、長崎では「あか寺」と呼ばれ親しまれています。山門に向かって右側に描かれている肖像は黄檗宗を開いた隠元禅師です。

たくさんの日本初が持ち込まれた、日本最古の黄檗宗の寺院・興福寺
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興福寺は聖福寺と同様、本堂となる大雄宝殿は国の重要文化財となる他、鐘庫楼や山門など文化財を多く擁する日本で最古の黄檗宗の寺院です。黄檗宗は京都・宇治にある萬福寺が本山なのですが、黄檗宗を開いた隠元禅師はこの興福寺に4代目の住持として招聘されたため、黄檗宗発祥の地ともいわれているのです。

隠元禅師はご存知の通り、その名の通りインゲン豆を伝えた高僧ですが、その他にもスイカやナス、蓮根なども日本に持ち込んだといわれ、現在の精進料理も普茶料理として隠元禅師が伝えました。

煎茶の開祖ともいわれる隠元禅師に一目会おうと、この興福寺には多くの人たちが列をなしたと言います。新しい流行を持ち込んだ隠元禅師は時の将軍・徳川家綱も会見し、後水尾法皇や各地の大名までもが帰依して崇敬されました。

大河ドラマ「龍馬伝」のロケ地で有名な崇福寺には国宝が2つも!

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竜宮城を想像させるような楼門。これが崇福寺の三門(正式には三解脱門)で別名を竜宮門といい国の重要文化財にも指定されています。崇福寺は寛永6年(1629年)に在長崎の華僑らが創建、中国僧の超然(ちょうねん)禅師が住持として招かれました。

興福寺の住持として招かれた高僧・隠元禅師もこの崇福寺に4代目住持として務めました。

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九州にある国宝の建築物は6件あります。県別にみるとその内訳は熊本1件、大分2件、長崎3件となっており、長崎にある国宝3件のうち1件は大浦天主堂、あとの2件はなんと!この崇福寺にあるのです。

その1つ目の国宝が写真の第一峰門です。この門の軒下の構造組物に特徴があります。中国の寧波で切組まれた木材を複数の船に積み分けて長崎に持ち込まれ、再び再建された複雑で巧緻な構造は日本はもちろん本場・中国でも稀だそうです。

大河ドラマ「龍馬伝」では、福山雅治さん演じる坂本龍馬が仲間たちとこの階段を上り門を潜ったシーンまだ記憶に新しいところです。

大河ドラマ「龍馬伝」のロケ地で有名な崇福寺には国宝が2つも!
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2つ目の国宝は日本の寺院の本殿に相当する大雄宝殿です。当初は第一峰門と同じように中国で切組みされた木材を複数の船で運び込み、平屋建て(単層)の構造で建造されたものが、日本人大工の手によって上層部分が増築されて2階建ての構造になりました。

上層は日本様式、下層は中国様式という和華折衷の調和がとれた見事な建物で、長崎市内に残る最古の建築物です。

大河ドラマ「龍馬伝」では、福山雅治さん演じる坂本龍馬と伊勢谷友介さん演じる高杉晋作が密会する場面にも使われ、今も福山ファンが訪れるスポットでもあります。

境内にある売店では、福山雅治さんの「福」にあやかった蝙蝠(コウモリ)のお札が人気です。なんでも中国語では蝙蝠の「蝠」という字は「福」と同じ発音で、幸福を表す縁起物であることから、第一峰門の扉には蝙蝠のデザインがなされています。また、長崎カステラの元祖「福砂屋」さんの商標も蝙蝠がデザインされたものです。

四福寺をお詣りして福を授かろう!

長崎のパワースポットは眼鏡橋やグラバー園などのハートストーンだけではありません。四福寺と呼ばれる福済寺、聖福寺、興福寺、崇福寺は江戸時代、本国と異国の地を往復する中国商人や船乗りたちの旅の安全を守り、また異国の地で過ごす中国の人たちの生活を永らく見守り続けてきました。これら四つの福寺、四福寺もまたパワースポットなのです。

長崎の四福寺は国宝や重要文化財など見どころが満載な中国様式のお寺ですが、ただ見学するだけではもったいないです。お詣りしたら手を合わせて福を授かってみませんか。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2016/11/16−2016/11/20 訪問

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