円明院は「婦人公論」に、平成28年に2回(1/26号、7/26号)も取り上げられたお寺です。1/26号では福島県で唯一、しかも開運、金運、恋愛運、健康運、浄化すべての項目にご利益があると紹介されています。
「婦人公論」には「奇跡のお寺」とも書かれています。東日本大震災のためお寺の周辺は津波によって甚大な被害を受け、大半が荒地になっています。ところが津波は不思議な事にお寺の玄関付近で止まり、寺には津波被害が全くなかったのです。このことから「奇跡のお寺」といわれています。
お寺とは亡くなった方へのご供養というのが常識とされますが、「円明院」は「生きている人の為のお寺」となっています。
現在の泉智教(いずみ ちきょう)住職は円明院で生まれ育ちましたが、最初はお寺を継がないで社会に出られました。事業を興して成功しましたが、バブル崩壊と共に貧乏のどん底に突き落とされ、病気で7年療養し、自殺未遂3回という壮絶な人生経験をお持ちです。第29代目である住職は「人生1回やり直しはなし、楽しく生きて幸せになる」を日頃より掲げており、しかも住職の講話は面白いと参拝者の間で評判です。
「円明院」は、健康祈願、当選祈願、良縁祈願、商売繁盛祈願、大浄化祈願という5つの祈願が出来るお寺です。体験談集はお寺の本堂に掲示、常置されています。
「圓明院」は明治5年(1872年)、明治維新後の法令である太政官布告で修験宗が廃止されるまで羽黒山(山形県)を本山とする羽黒派修験に属していました。廃止後「圓明院」は比叡山延暦寺の天台宗派に改宗し現在に至ります。
地元漁師から船の安全、大漁祈願などを叶えるお寺として信仰され、賑わってきました。昭和17年5月1日、飛び火による火災から円明院の本堂が全焼。戦争中で材料不足だった事から、奥の院の毘沙門天にお願いし、奥の院を解体して本堂の一部として使用する事になりました。復興した本堂で現在、御法要・御祭事が執り行われています。
円明院で願いが叶ったなどと口コミで広がり、東日本大震災前には大型バスが参拝者を乗せて何台も訪れ、宗教家も大勢見えたとの事です。
初めての人は土曜日・日曜日限定、昼12時からの泉住職の講話を必ず受ける必要があります。住職よりお祈りの仕方、円明院の事、運気好転の出来る生き方の話を聞きます。受付は当日の朝9時頃から始まり、11時半までには終える必要があります。
「円明院」では、大浄化塔→受付・本堂→奥の院といいう順序で参拝します。運気好転参拝浄財として1000円、その他に願い事がある人は2000円からの浄財を納める必要があります。浄財を納める封筒は本堂にあり、所定事項を記入し浄財を入れて提出します。
初めての人は泉住職の講話後、住職の案内で奥の院へ参拝となります。奥の院を降りる時刻はだいたい15時頃です。奥の院までは山道をおよそ10分ほど歩きます。山門をくぐり、過去坂、現在坂、未来坂を歩きます。途中休憩できるベンチもあります。
奥の院に到着後、約1時間ほど自由に過ごす事が出来ます。ビニールシートなどの敷物を持参する必要があります。参拝者は横になったり、塩・水・酒・通帳などを持参し、エネルギーをチャージする事が多いです。
参拝が2回目以上の人は、曜日時間を問わず参拝出来る時間内にて、本堂参拝後そのまま奥の院へ向かう事が出来ます。
土日には早朝特別参拝も行われています。受付は7時から、奥の院にて7時半から祈願を開始します。奥の院での早朝のご来光は天気が良ければ素晴らしいです。
参拝者の中には何十回、何百回と訪れている人がおります。「婦人公論」に取り上げられ、運気好転に評判の奇跡のお寺「円明院」に出かけてみませんか?
この記事の関連MEMO
- PR -
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索