鹿沼市街を抜け県道58号線を進むと目に飛び込んでくる巨大な大鳥居。これは古峯神社の一の鳥居で、ここから先が神域ということを表しています。この鉄筋製の巨大な鳥居は寛政9年(1797年)に建立された初代の大鳥居から数えて四代目で、昭和49年に建立されました。大鳥居の脇にある記念碑の文字は竣工式にも参加された三笠宮寛仁親王の御直筆によるもので古峯神社の神格の高さが窺えます。そびえ立つ鳥居の奥には天狗が棲むような山が見え、古峯神社へと向かう険しい山道が続きます。
大鳥居を拝し、6キロメートルほど山道を車で走るといよいよ古峯神社が姿を現します。古峯神社の歴史は遥か遠い昔にまでさかのぼります。神社の御由緒によると、なんと1300年前に隼人という人物が祭神・日本武尊(ヤマトタケルノミコト)を都からこの古峯ヶ原の地に招来して祀ったのが始めとされています。
また世界遺産でもある日光山との深い繋がりもあります。天平神護二年(766年)に日光開山を成し遂げた奈良時代の僧侶・勝道上人はその偉業を成し遂げる前にこの古峯ヶ原に籠り修行をしたとされています。そのため日光山の全ての僧侶は勝道上人にあやかって年々古峯ヶ原に登り、修行をするという慣例が明治時代まで行われていました。
元は仏教の修行場であった古峯ヶ原が現在の古峯神社となったのは明治時代のはじめのことでした。政府が仏教と神道を分けるために出した神仏分離令によって仏具を廃し、現在の日本武尊を主祭神とした神社となったのです。
標高700メートルの地点に鎮座し、山下を流れる大芦川の源流近くに社を構える古峯神社。周囲を背の高い杉の木に囲まれ、傍には小川がせせらぎ、境内を森閑とした雰囲気が包んでいます。
拝殿は伝統的な茅葺屋根です。山奥という立地にも関わらず全国各地から多くの参拝客が訪れます。日本武尊が敵の策略で炎に囲まれた時、周囲の草を斬り払い、逆に火をつけて向かってくる炎の勢いを打ち消して窮地を脱出したという焼津の伝説から、御祭神である日本武尊は火防の霊験があるとして古来、多くの崇敬を受けてきました。
拝殿でお参りを済ませた後、履物を脱いで神社の中に入ります。一歩足を踏み入れるとたくさんの天狗の面が目に飛び込んできます。参籠室や廊下にも所狭しと天狗の面が飾られ、小さい子供が見たら泣きだしてしまいそうです。
なぜこんなに天狗が祀られているのかというと、天狗は御祭神の日本武尊の使いであり、崇敬者に降りかかる災厄を飛翔して払ってくれると考えられているからです。神社内にある天狗の面や像はほとんどが崇敬者からの奉納によるもので古峯神社がその長い歴史においてどれほど人々の信仰を集めていたかが目に見えてよく分かります。
ところで「天狗」というと皆さんはまず最初にどんな姿を思い浮かべるでしょうか。おそらく多くの人が鼻の高い真っ赤な顔をした姿を思い浮かべたと思います。一方で写真のように猛禽類のような鋭い嘴を持った「烏天狗」という種類もいます。実は昔の人々は「天狗」というとこの烏天狗を想像していました。鼻の高い天狗が現れだしたのは江戸時代ごろと言われています。
神社やお寺に参拝した証として頂ける御朱印は最近若い女の子の間でもブームとなり、メディアでその名を聞く機会も多くなってきています。そんななか、ここ古峯神社では御朱印帳の見開きを使って天狗の絵が描かれるというダイナミックな御朱印が大きな話題となっています。天狗御朱印とよばれるこれらの御朱印を目当てに遠くから参拝に来る人も多いのです。この天狗の絵は書き手によって個性があり、可愛らしいものから朱と墨の二色を使って描かれる本格的なものまで非常にバリエーション豊かです。
その日神社に来ている書き手の中から好きな天狗を選ぶこともできますが敢えてお任せにして、御朱印帳を開いた時にどんな天狗がいるかわくわくしながら待つというのもおすすめです。初穂料:500円。
古峯神社の授与所ではオリジナルの御朱印帳も販売されています。青色とピンク色の二色があり、天狗のもつ団扇がデザインされています。初穂料:1000円。
古峯神社では参籠室と呼ばれる宿泊施設が兼ね備えてあり、宿泊することもできます。天狗たちに見守られて明かす夜は特別な経験となること間違いなしです。もちろん、宿泊はせずに境内に足を踏みいれ、拝殿に参拝し、神社内を見学するだけでも日常とは違う不思議な雰囲気を十分に味わうことができます。道の脇から本当に天狗が現れるのではないかと思ってしまうような、鬱蒼とした老杉に囲まれた山道を車で進み、標高700メートルの高地に現れる古峯ヶ原。そこにはおよそ1300年の歴史を持ち、全国各地から崇敬を集めてきた古社がたくさんの天狗たちとともに参拝者を待っています。
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