写真:フルリーナ YOC
地図を見る映画「ブラザーサン・シスタームーン」などで広くその生涯を知られる聖フランチェスコ。彼が聖痕を受けた場・ヴェルナ修道院は多くの巡礼者を集める聖地。修道院が建つ険しい岩山ヴェルナ山は、美しい自然に囲まれたトスカーナ東部“フォレステ・カゼンティネジ国立公園”に位置しています。
このヴェルナ山は、フランチェスコの説教を聴き感動したキウージ領主オルランド侯爵が1213年5月8日、彼に寄贈しました。
写真:フルリーナ YOC
地図を見る写真はヴェルナ山の上に建てられた修道院の木の十字架。その向うは切り立った崖となっていて、麓の村々を一望に見渡す大パノラマ。
太陽や月・星・風・雲・大地・そして死までをも「ブラザーサン・シスタームーン・・・」と歌い、自然や小鳥達の中にも神の愛と神秘を見、その愛に生きた聖フランチェスコ。この十字架の傍らに立ち、空と大地を見ていると、聖フランチェスコの風が体を吹き抜けていくよう。
写真:フルリーナ YOC
地図を見るヴェルナ山修道院の聖域は一般にも開放され、世界中から多くの巡礼者や旅人が訪れます。La Vernaと書かれた門を入ると、緑生い茂る林と参道が修道院まで続きます。
写真:フルリーナ YOC
地図を見るアッシジの裕福な織物商の息子として誕生したフランチェスコは、吟遊詩人と騎士に憧れ友人たちと遊ぶのが大好きな若者でした。やがて彼は騎士を夢見てペルージャ戦争中に参加。しかし戦地での大病を経て帰還後は、享楽的生活に空しさを覚えるように。彼は次第に独り洞窟等に籠り祈り、貧しい病者への奉仕を行うようになります。
ある日アッシジのダミアーノ教会で祈っていた彼は「私の教会を建て直しなさい」というキリストの声を聞き、ダミアーノの修復を開始。持ち物も家も捨てボロ布一枚を羽織り、極貧のハンセン氏病の人々に奉仕し祈る托鉢修道の生活へと身を投じます。
やがて志を同じくする若者達が彼のもとに集まり、1210年教皇の認可のもと「小さき兄弟団」を設立。しかし会が大きくなるにつれ、徹底した清貧を目指す厳格な会則について不協和音が生じます。フランチェスコがヴェルナ山を贈られたのは、ちょうどその頃。彼はこの山の狭い岩場や洞窟に隠遁し、イエスの十字架の苦しみを想起しながら祈るようになります。
この写真は、フランチェスコが篭り祈った「サッソ・スピッコ」へ入り口。大地が裂け、岩と岩がいくつもの小さな空間を作っています。
写真:フルリーナ YOC
地図を見るフランチェスコは、サッソ・スピッコに篭り祈り始めると、何日も何日も祈り続けました。この岩はその隠遁中に寝床として使っていた岩のベッド。身を屈めないと入れないほど狭く、寝ることなど到底困難なスペースに驚きます。最も貧しき者・小さき者でありたい、イエス・キリストが示された謙遜と愛に倣って生きたいと願い祈り働いた、フランチェスコの精神が胸に迫る岩のベッドです。
写真:フルリーナ YOC
地図を見るここは「サッソ・スピッコ」の中でも大きな洞穴。大地が裂けたような崖に、驚くべきバランスで巨大な石が乗っています。
1224年フランチェスコは、8月15日から始まる大天使ミカエルの四旬節を、40日40夜の断食と激しい苦行と祈りの中で過ごします。その間、悪魔と闘い崖に突き落とされそうになり、掴んだ岩場が窪む奇跡が起こったと伝えられています。ここはそんな伝説を思い起される場所。
そしてその断食中の9月14日、フランチェスコの両手・両足・脇腹に聖痕(キリストが十字架で負った傷)が現れました。
写真:フルリーナ YOC
地図を見る写真左に見える鐘楼のある教会は「サンタ マリア デッリ アンジェリ教会」。この教会の門から祭壇に通じるアーチの道の部分は聖フランシスコの指示によって1216年から1218年の間に建てられ、サンクチュアリの中で最も古い教会。この聖堂の祭壇は、ルネッサンスの彩色テラコッタの名匠A・D・ロッビアの手による「聖母マリアの被昇天」。ヴェルナ修道院にはA・D・ロッビアとロッビア一族による貴重な彩色テラコッタ作品が数多く使われています。
写真:フルリーナ YOC
地図を見るここは15世紀初め、フランチェスコが最初に建てた簡素な木製小屋の跡地に建てられた「聖マリア・マッダレーナ礼拝堂」 。祭壇の石はかつてフランチェスコが粗末な食事を取った小屋のテーブル。この小屋でフランチェスコが祈っている時、イエスが現れ、石のテーブル上に座りフランチェスコと話したと伝えられます。サンクチュアリの中でも特に大切にされる聖なる場所です。
写真:フルリーナ YOC
地図を見るこちらは聖フランチェスコの聖遺物と、フランチェスコの修道服。どんな寒い冬でも、ぼろ布一枚を纏い裸足で過ごした、彼の徹底した清貧の生活が偲ばれます。正面の聖遺物中央の青銅製の容器には、彼の傷を保護した麻布が納められておりフランチェスコの聖血が赤く見てとれます。聖痕の日には、十字架行列でこの聖血を聖痕礼拝堂まで運びます。
写真:フルリーナ YOC
地図を見るその聖遺物が納められているのがこのバジリカ。この聖堂はルネッサンス様式のバジリカで1348年着工し1509年完成。バジリカとは教皇に認められた重要な教会堂や大聖堂のことで、ヴェルナのバジリカはローマ教皇も訪れるカトリックにとってとても重要な教会です。
写真:フルリーナ YOC
地図を見るヴェルナ修道院ではブラザー(修道士)達が厳格な清貧と祈りの生活を守っています。ここでは、なかなか垣間見ることのできないその生活を、ひと時、一緒に体験できます。そのために、ぜひ15時までにヴェルナに到着しましょう。15時になるとブラザー達が十字架を担ぎ、この聖痕の回廊を通り、聖痕礼拝堂まで運ぶ行列があるのです。
この十字架行列は1431年から毎日欠かすことなく行われ、一般のゲストも参加できます。まずバジリカでの礼拝の後、十字架を持ったブラザーを先頭にブラザー達・巡礼者・一般ゲストが後に続き、聖痕礼拝堂に移動、そこで礼拝の後再びバジリカまで十字架を運びます。
十字架を運ぶ聖痕の回廊には、21枚のフランシスコの生涯を描いたフレスコ画。「聖痕の回廊」には凛とした空気が満ち、心が研ぎ澄まされるよう。
写真:フルリーナ YOC
地図を見るここは、その十字架が運ばれる聖痕礼拝堂。祭壇はA・D・ロッビアによる「磔刑」。赤いマーブルに保護されたガラスの下は、フランチェスコが聖痕を受けた地。サンクチュアリの心臓部ともいうべき場所です。聖なる霊気が満ちる聖堂で行われる礼拝と、聖堂に満ちるブラザーの歌声は荘厳で、深い感動に包まれます。
ぜひ十字架行列と聖痕礼拝堂での礼拝に参加してみて下さい。ただし、行列も礼拝もブラザーや信徒にとって、この上なく大切で神聖な儀式。カメラ・ビデオ撮影と私語は慎み、静かにその感動を心と目のアルバムに焼き付けてくださいね。
写真:フルリーナ YOC
地図を見る修道院には巡礼者用のゲストハウスがあり、誰でも泊まることが出来ます。一流ホテルのように豪華ではありませんが、歴史ある修道院の部屋や食堂は重厚で素敵。世話をしてくれるシスター達も優しくて、心に温かな感動を与えてくれます。
部屋も質素ではありますが広くて快適。バス・トイレも付いていて、のんびり寛げます。
写真:フルリーナ YOC
地図を見る食事は2食付。豪華ではないけれど、新鮮な食材を使い心のこもった美味しい食事でお代りも可。食事時以外もカフェカウンターでエスプレッソやカプチーノ等を頼めます。さすがイタリアの修道院のカフェは安くて美味しい!また敷地内のショップでは、ブラザーやシスター手作りのロザリオやクロス、修道院レシピの石鹸や化粧品、伝統のお菓子や蜂蜜も売っています。
愛されることより愛することを、理解されるより理解することを求めた聖フランチェスコ。聖地ヴェルナにはフランチェスコの愛の風が爽やかに吹いています。私が皆さんにお伝えできるのはこの聖地の特別な魅力のほんの一部分。ぜひ皆さん自身の眼と体で、聖フランチェスコの聖なる風に吹かれてみて下さい。
修道院まではビッビエナ(Bibbiena)駅からバスかタクシーでアクセス。駅へは電車でアレッツォ乗り換えで行く方法と、フィレンツェからバスでBibbienaまで向う方法があり、フィレンツェからのバス路線は美しいトスカーナの風景の中を通るのでお勧め。
夏のハイシーズンには修道院終点のバスがありますが、シーズンオフのバスは手前の村・Chiusi della verna 止まりになります。現在は冬時間の時刻表なので、修道院まで行くバスの時刻表が出ましたら情報を更新いたします。修道院までは長い坂道になるので、歩くのが苦手な方はバスが修道院まで行くハイシーズンがオススメ。もしくはタクシーで。ビッビエナからタクシーを使う時はタクシーが少ないので予約を入れたほうが安心。詳細はMEMOをご参照ください。
それでは皆さん。Buon Viaggio!
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(2024/3/29更新)
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