写真:井伊 たびを
地図を見る東京都中央区日本橋にある「笠間稲荷神社 東京別社」は、“紋三郎稲荷”とも呼ばれ、かつて旧笠間藩主牧野氏の邸内社であった。牧野成貞が五代将軍綱吉から、下屋敷として拝領したとされる、このあたり一帯の土地は、21,269坪(約7万平米)あった。
その邸内には広大な屋敷と庭園、泉池を設け、築山には稲荷・山王・八幡を祀っていた。その後、替え地が行なわれ、延享4年(1747年)に、牧野貞通が笠間に入封すると、御本社「笠間稲荷神社」を祈願所とした。安政6年(1859年)には、御分霊を現在の地に合祀奉斎し崇敬した。
初午(はつうま)の日には、日本橋界隈の市民に門戸を開けて、参拝を許したといわれている。 廃藩後、牧野公邸は本所緑町に移転し、明治21年(1888年)には牧野家の願いにより、茨城の御本社が奉祀することになった。
写真:井伊 たびを
地図を見る大正12年(1923年)9月の“関東大震災”で、社殿を焼失したが、直ちに再建されている。さらに、昭和20年(1945年)3月の“東京大空襲”でも、社殿を焼失している。このときの復興には、大変苦慮したようだが、昭和28年(1954年)9月には、拝殿の再建を果たしている。その後、昭和32年(1957年)には社務所を、翌年に玉垣、昭和53年(1978年)には幣殿を完成させ、現在にいたっている。
写真:井伊 たびを
地図を見る当別社は、日本橋を中心に“紋三郎稲荷”として篤い信仰を集めると共に、京浜地区の「笠間稲荷神社」の崇敬者に参拝の利便を計っている。茨城県の御本社に行く機会が少ない人々にとって、東京でお参りできる、その存在価値は大きい。
写真:井伊 たびを
地図を見る御祭神は、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)で、ご利益は、「五穀豊穣」「商売繁盛」「健康長寿」「道を示す」などである。さすが、お稲荷さま!手水舎の背面板にも、おキツネ様!が元気に飛び跳ねている。オフィス街にあるためか、最近では“立身出世”を祈願にくる参拝客も多いとか。
写真:井伊 たびを
地図を見るご祭神とともに、本殿に向かって左側に七福神の一神である、“寿老人”が祀られている。寿老人には、「長寿の神」「お導きの神」「幸運の神」として、運命を良い方向に切り開いて下さる御守護がいただける。日本橋七福神巡りの一神として、多くの参拝を受けている。
写真:井伊 たびを
地図を見る稲荷神社といえば、お稲荷さん!境内には、たくさんの“おキツネ様”が勢ぞろいしている。まるで、アメフトのフォーメーションのようだ。特に最前列の“おキツネ様”のあふれる躍動感。まさに、タッチダウンさながらのお姿。全開パワーの力強さを分けてもらおう!
そもそも、“稲荷神”は、「穀物」「農業」の神だが、現代では「産業全般の神」として信仰されるようになっている。
写真:井伊 たびを
地図を見る「運気上昇みくじ」には、“八種の縁起物”のうち運気があがるように、いずれかひとつが納められている。それには、昇り龍、日のぼり、凧あがりなどがある。
「三角みくじ(さんかくみくじ)」は、天然石とおみくじが入っている。ピンクの“ローズクォーツ”をひきあてれば、独身の人なら恋愛運や結婚運、既婚者であれば愛情運を向上してくれる。
「福々鈴みくじ」は、幸せを呼ぶ八種類の鈴が入っている。「おかめ」なら、良縁成就、夫婦円満。「さる」なら、魔がさる、学業成就。もしも「鯛」なら、金運招来、商売繁盛!である。
写真:井伊 たびを
地図を見る特に人気がある「七福神おみくじ」は、ぜひ挑戦してみよう!運よくこちらで“寿老人”を引き当てればラッキーだ。健康な長寿が約束される。でも、あなたはやっぱり打ち出の小槌を持つ“大黒さま”の方がいい!のだろうか?
こちらへは、都営地下鉄新宿線「浜町駅」より徒歩3分が便利だ。清洲橋通りから1本入ったところの「久松警察署」の前で、お社はこじんまりとしている。オフィス街のためか、境内は静かで厳粛な空気が漂っている。
かといって、寂しい感じはまるでなく、ご近所の親子さんだったり、ご夫婦だったり、“日本橋七福神”を巡る人など、誰かしらが訪れてくる。現代でも「地域密着型」が受け継がれている。
訪れるなら、特にオススメは、10月中旬から11月下旬。茨城の「笠間稲荷神社」で開催される日本最古の「菊まつり」にあわせて、こちらでも“菊の花”が飾られる。
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(2024/4/19更新)
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