「唐津城」は初代唐津藩主の寺沢広高(てらさわ ひろたか、1563年〜1633年)が1602年(慶長7年)から築城を始め、1608年(慶長13年)に完成したと言われています。また「唐津城」と共に城下町も整備され、現在でも唐津には江戸時代の町名や町割りがほとんど変わらずに残っています。
「唐津城」へのアクセスは、唐津駅の北口にあるバス停から唐津市内線の“東コース”バスに乗車して約8分、“唐津城入口”で降車すれば簡単に到着。また唐津駅から徒歩でも約20分で向かえるので、市内の観光を兼ねて、のんびり散策するのもオススメです。
唐津湾から「唐津城」を望むと“海城”、また“舞鶴城”とも称される理由が分かります。春には桜が彩りを添えるので、距離を置いて遠景としての「唐津城」も楽しめます。
「唐津城」の石段を登り続けると、最終的に藤棚に辿り着きます。「唐津城」入り口から天守閣までの石段の数は、231段。エレベーターも設置されているので、石段を登るのが厳しいかな、といった方も安心です。エレベーターの料金や利用時間など詳しい情報は下部の関連MEMOにあります公式サイトへのリンクより御確認下さい。
毎年4月下旬から5月の上旬に掛けて、樹齢100年以上の紫藤が「唐津城」に文字通り、花を添えます。桜に続いて紫藤の花も観賞出来るので、春頃には開花情報をチェックして訪れてみてはいかがでしょうか。
※天守閣は2016年10月から展示改修工事のため休館中ですが、「唐津城」の“舞鶴公園”は散策可能となっています。
「唐津城」の東側に広がるのが、静岡の“三保の松原”、福井の“気比の松原”と共に日本三大松原のひとつと称される“虹の松原”です。唐津湾に沿って約4.5キロメートルの長さに渡って松原が生い茂っています。
「唐津城」を築城した初代唐津藩主の寺沢広高が潮風や飛砂から農地を守るために植林したのが“虹の松原”の始まりと伝わっています。唐津の歴史と併せて、雄大な“虹の松原”もじっくりと堪能してみてはいかがでしょうか。
長崎医専教授として勤務していた歌人・斎藤茂吉(さいとう もきち、1882年〜1953年)は喀血後の療養を兼ねて、1920年(大正9年)8月30日に長崎から唐津を訪れます。
そして、次の歌を詠みます。
「松浦河 月あかくして 人の世のかなしみさへも 隠さふべしや」
松浦河は「唐津城」の東側を通って唐津湾に流れ込む“松浦川”のこと。斎藤茂吉は、この唐津詠歌の他に24首を残して、9月11日に温泉で有名な古湯(ふるゆ)の地へと向いました。
歌人が歌に詠んだ景観を是非、楽しんでみて下さい。
1877年(明治10年)に本丸の一部が“舞鶴公園”として一般に公開され、1966年(昭和41年)には天守台に慶長様式の5層の天守閣が建設されました。
2016年10月から改修工事のため休館中の「唐津城」の天守閣ですが、展示内容を一新し、魅力的な演出や多くの人が利用しやすい環境を整えたユニバーサルデザインの導入などが行われ、2017年の夏頃にリニューアルオープンを予定しています。
2008年(平成20年)から石垣の修復が行われている「唐津城」では、様々な歴史的遺産も発見され、さらに文化的価値の評価が期待されています。今後の動向にも注目ですね。
「唐津城」の周辺には先述の“虹の松原”の他に、近代和風建築の“旧高取邸”や辰野金吾(たつの きんご、1854年〜1919年)の故郷に唯一残る“辰野式”建築の“旧唐津銀行”と観光スポットも豊富です。併せて巡ってみてはいかがでしょうか。
以上、桜や藤といった花々を始め、“虹の松原”などの唐津の眺望を堪能出来る佐賀県唐津市にある「唐津城」の御紹介でした。
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(2024/4/24更新)
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