写真:井伊 たびを
地図を見る印旛沼(千葉県)の西方にある「泉福寺」の開基や沿革が、明らかではないが真言宗の寺院である。記録によれば、弘治2年(1556年)に焼失して、その後再建されたとされている。だが、この境内に現存する「薬師堂」が、その手法から判断して、室町時代末期ものだろうとされることから、多分「泉福寺」自体の創建も、その時代のものだろうとされている。
写真:井伊 たびを
地図を見るそもそも「薬師堂」とは、薬師如来を本尊とする仏堂の呼称だ。薬師如来は大乗仏教において、「病気平癒」などの御利益がある仏として信仰されており、特にわが国で広く信仰を集めている仏様のひとつである。
わが国において、「薬師如来」を本尊とする寺院や、仏堂が各地に存在する。ただし、薬師如来を本尊とする仏堂がすべて「薬師堂」と呼称されるわけではないのも事実だ。寺院ごとにさまざまな名称で呼ばれている。
ところで、重要文化財に指定されている「薬師堂」で、なおかつ著名なものに限定すれば、近畿地方に比較的多く現存するが、関東地方には、近県を含めても現存するものは数えるほどだ。千葉県にはもうひとつ、桃山時代に建立された「石堂寺薬師堂(千葉県南房総市)」がある。それと、新潟県上越市にある「平等寺薬師堂(新潟県上越市)」と、ここ「泉福寺薬師堂」ぐらいである。
写真:井伊 たびを
地図を見る日の光を浴びて浮かび上がる御堂には、思わず手を合わせたくなる神々しさがある。四季折々の美しさがあるが、特に銀杏の色づく季節は、その色彩ハーモニーが織りなす時空に、言葉をも奪われてしまう。御堂は、正面を東に向けた方三間、茅葺き寄棟造りだ。正面三間に両開きの桟唐戸を、両側面前寄りと背面中央に引違い戸を設け、そのほかは板壁造りである。
写真:井伊 たびを
地図を見る御堂の裏手に回り込んで拝しても、その凛とした佇まいに揺るぎはない。360度、全方向から鑑賞できる御堂には、何度となく回って見たい魅力がある。ところで、このお堂、昭和56年の解体修理の折に、貞享2年(1685年)に現在の地に移築されたことがわかった。300年あまりの時空を超えて、ここにあると想えば感慨もひとしおだろう。
ところで、残念ながら御堂の内部は拝見できないが、境内にある案内版によれば、前一間を外陣(げじん)とし、現在は内陣との境がなく、開放しているが、もとは中敷居を入れ建具があったようだ。内陣には来迎柱を立て、来迎壁、須弥台を設けその上に厨子を安置しているらしい。
写真:井伊 たびを
地図を見る境内の周りには石仏がずらりと並び、印西大師・七十四番の大師堂と、昭和26年の印西大師結願の記念碑が建てられている。四国八十八ヶ所巡業とはちがい、印西大師では年によって出発する寺と結願の寺が変わたようだ。昭和26年は、この寺が巡業の最後だったようだ。
「泉福寺薬師堂」は、表通りから、まったく見つけることができない。駐車場の用意があるので車で訪れるのがお勧めだが、入り組んだところにあるので、行きつくのが少し困難かもしれない。目標とする目印は「宗像(むなかた)小学校」だ。小学校の裏手に位置するので、小学校を回り込む格好になる。
もしも、公共交通機関を利用するなら、北総開発鉄道「印旛日本医大」駅から、宗像循環バスで「中里」下車徒歩3分である。
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(2024/3/19更新)
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