岐阜県中津川市を流れる、木曽川の右岸の小高い山の上に築かれていた「苗木城」。築城時期については諸説ありますが、16世紀前期〜中期頃と言われています。もともとこのあたりを拠点としていた遠山氏が江戸時代を通じ城主として治めました。
1万石しかない小藩ながら、天守を構えた珍しい城として知られており、藩の財政がひっ迫していたため城の壁は白漆喰ではなく赤土がむき出しになっていたとか。そのため別名「赤壁城」とも呼ばれています。
江戸時代の城跡として当時のまま保存されているため、一部足場の悪いところもあります。崖のようになっている場所や階段や石垣には柵がないので、お子様連れの方など見学の際には十分に気を付けて見学をして下さい。
まずは大矢倉跡へ。武器庫や矢狭間が設けられ、侵入を防ぐための防衛の最前線としての役割があります。苗木城最大の櫓建築で3階建であったそうです。
江戸時代当時のまま、とのことですが石垣の状態は良く、実際に上がってみることができるのも嬉しいポイント。大きな岩の周囲に石を積み上げ石垣として見事に調和しています。もともとあった石を使ったのか運んだのかは定かではありませんが、恐らく前者でしょう。
大矢倉跡は少し離れたところから見てみると、その魅力が分かります。天守に上がっていく階段の途中で振り返ってみて下さい。
まるで規則正しく積み上げられたブロックのよう!もしくはマチュピチュといえなくもない?!(感じ方には個人差がありますが、「岐阜のマチュピチュ」なのでそのスケール感での想定でお願いします)
大矢倉跡の石垣も立派ですが、大門跡の苔むした石垣も素敵です。こちらの石垣にも巨岩が組み込まれて積まれた部分があるので必見です。
大門は二の丸と三の丸を隔てる形で設置され、こちらから先は武士と特別の用事のある人以外は入ることが許されていなかったそう。続く二の丸、本丸を守る迫力ある石垣に圧倒されます。
苗木城の天守は巨岩の上に建っています。実際に天守があった場所まで上ってみると、こんな崖のような場所によく造ったなぁと率直に思ってしまう、そんな限られたスペースに建てられています。
明治時代に入って天守は取り壊され、現在は展望台のような櫓が組まれていて実際に上がることができます。この展望台の柱は「懸造り」という工法で2年もの歳月をかけて再現されました。
櫓を支える巨岩には柱を立てるための穴がくりぬかれており、昔天守があった際に実際に柱を立てるために開けられた穴だというから驚きです。ぜひ近くで柱が立てられている部分を観察して頂きたいです。
展望台からは、木曽川や恵那山、中津川市街が一望でき、とてもすがすがしいです!標高432m、木曽川からの高低差は170mで、時には雲海を見ることもできます。
「お城や石垣に興味がない」なんて方も、この景色は一見の価値ありです!それに天守までぐるぐると周回するような形で上っていくので、とってもいい運動になりますよ。
ゆっくり見て廻ると所要1時間ぐらいの見ごたえのある城跡です。トイレや水道は風穴門付近に1か所あるのみです。夏場などは特に飲み物を携帯されることをお勧めします。
また足場が悪い部分もありますので、お子様からは目を離さず、歩きやすい靴で散策されることをお勧めいたします。当時あった城の復元想像図が看板にありますので、このイメージ図を思い浮かべながら石垣や遺構を見るとより想像しやすいかもしれませんね。
まだまだメジャーな観光スポットとは言い難い「苗木城跡」ですが、訪れる方も多くはなく、ひっそりゆっくりと散策することができるのは大変お勧めできるポイントです。
また巨岩を利用した石垣は全国的にも大変珍しく、眺望も抜群とあらば一見の価値ありです!近くには馬籠宿や恵那峡もあり、合わせて観光プランを立ててみてはいかがでしょうか。
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