写真:井伊 たびを
地図を見る千葉県印西市竹袋にある「竹袋稲荷神社」は、京都府にある「伏見稲荷神社(現在は大社)」の勧請による分霊社で、JR成田線「木下駅」から、南東に約1.8Kmの県道64号線沿いにある。
東にある「一の鳥居」をくぐれば、地形の関係か、いきない階段を下ることになる。真っすぐのびる参道を進めば、目の前に苔むした、かなり急な階段が待ち受ける。
だが、ご心配ご無用!足腰にあまり自信のない方は、平坦な参道で導かれる、北側の入口をご利用になれば、拝殿の横側から訪れることもできる。入口は境内の南側にもあるが、こちらは、ほとんど利用されていない。
「伏見稲荷大社」のご祭神は、宇迦之御魂神 (うかのみたまのかみ)をはじめとする五柱だが、「竹袋稲荷神社」は、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)のみの一柱である。
「うかのみたま」とは、日本神話に登場する神。「古事記」では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、「日本書紀」では倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と表記されている。
「稲荷神」は元来、五穀豊穣を司る神様であったが、時代とともに、商売繁昌・産業興隆・家内安全・交通安全・芸能上達の守護神としても信仰されるようになった。
写真:井伊 たびを
地図を見る「竹袋稲荷神社」の創建は不詳であるが、正応元年(1288年)京都伏見稲荷大社より、勧請されたと伝えられている。永徳三年 (1383年)里見家より良材を筏に組み寄進、更に造営された。ゆえにこの地に、「木下(きおろし)」の名称が残っている。
元亀二年(1571年)に再建され、慶長七年(1602年)徳川家康公検知の際には、田方八畝歩 朱印地となった。元和元年(1615年)社殿を修復。承応三年(1654年)再々建の記録が残っている。明和六年(1769年)本殿・拝殿・石段竣工。大正四年(1915年)幣帛料供進の神社に指定された。
現在の「拝殿」は、昭和10年(1935年)に再建された「入母屋造」である。
写真:井伊 たびを
地図を見る「本殿」は、明和6年(1769年)に建立された「一間社流造」である。平成21年(2009年)に改修され、色彩も復元された。「本殿」に施された装飾や彫刻が、より一層雅やかに浮き上がっている。
写真:井伊 たびを
地図を見る「稲荷神社」といえばおキツネさんだが、いたずら防止用の金網の中・・・なんだか、人間さまのいけない面を想起させる。檻に入った動物園のキツネのようで、おキツネさんもなんだか悲しそうでもある。
大正10年(1921年)10月に、石工・杉本清により、建立されている。
写真:井伊 たびを
地図を見る境内の奥に「NPO法人エコネットちば」によって、「ふれあいの小径」が整備されている。野鳥のさえずりを聞きながら、木立を進み行く小径。この恵まれた自然の空間と歴史を活かした環境は、心身ともに憩える場所である。
散策道を100m余進めば「展望広場」が拓ける。そこには、ひと休みできる「東屋」が設けられている。静まり返った自然に浸り、肺胞の空気の入れ替えを試みてはいかがだろう?
竹袋稲荷神社祭礼は、秋の収穫が終わったころ、その年の豊作に感謝するために催されている。享保年間(1716年〜1765年)には正月の元旦、2月の初午の日(稲荷の日)、6月10日を「祭礼の日」とし、2月初午には大祭が行われていた。ところが、現在の祭礼は、毎年10月に3日間かけて行われている。
祭礼当日は、「神田囃子」に導かれるように、木下地区の上町、下町、幸町から、それぞれ1台ずつ山車が、同地区を練り歩き、神輿の出番がくれば、祭礼のクライマックスを迎える。
また、お時間に余裕があれば、神社に面した県道64号線を、国道356号線へS字状の坂を下れば、「木下万葉公園」がある。園内にある国指定天然記念物「木下貝層」を見上げてみては、いかがだろう?当神社から、歩いて5〜6分で辿り着ける。車なら駐車場も用意されている。
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(2024/4/20更新)
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