新世界遺産・和歌山県田辺市「鬪鶏神社」に酉年の干支参り!勝運をゲット

新世界遺産・和歌山県田辺市「鬪鶏神社」に酉年の干支参り!勝運をゲット

更新日:2016/12/09 09:10

SHIZUKOのプロフィール写真 SHIZUKO 舞台演出者
「紀伊山地の霊場と参詣道」として、和歌山・奈良・三重の3県に渡る熊野古道が世界遺産に登録されたのは2004年7月。それぞれ別の宗教形態を持つ3霊場を繋ぐ熊野古道は、世界的にとても貴重な文化遺産です。登録から12年、2016年10月に、前回は世界遺産認定されていなかった22箇所が世界遺産として新たに追加登録されました。まずは、中辺路のスタート地点にある和歌山県田辺市にある鬪鶏神社に行ってみましょう。

源平合戦の勝敗を予測した紅白の鶏

源平合戦の勝敗を予測した紅白の鶏

写真:SHIZUKO

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鬪鶏(とうけい)神社という名前はとても珍しく、全国に8万8千社以上ある神社の中で、唯一の名前を持つ神社です。簡単な漢字に置き換えると鬪鶏=闘鶏で、鶏が闘うという意味となります。なぜそんな珍しい名前になったのか。大体の予想通り、何らかの理由で鶏が闘ったという縁起が想像できます。その理由とは。

時は12世紀、平安時代末期。世に源平合戦と呼ばれる5年にわたる戦乱の時期。瀬戸内海を統括していた熊野水軍の領主・熊野別当湛増(武蔵坊弁慶の父)が、平氏、源氏のどちらからも応援を頼まれる。当時、彼は平氏派だったが、世の情勢を鑑みるにどちらの味方をするか決めかね、神前で紅白の鶏を戦わせ神意を問うた。赤旗の平家、白旗の源氏。その結果はなんと、7度の戦い全てに白い鶏が勝利。結果、湛増は熊野水軍を率いて壇ノ浦の戦いに赴き、源氏を勝利に導きました。というのが、この神社の名前の由来です。

この由来から勝運の神様としても信仰されています。
人生のターニングポイントに立った時、何かを決断しなくてはならない時、ここにお参りして、手を合わせて念じれば、神様が背中をエイッと押して下さるかもしれません。

海から山へ世界遺産・熊野古道が繋がった!

海から山へ世界遺産・熊野古道が繋がった!

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2016年10月、世界遺産に追加登録され、晴れて鬪鶏神社が新世界遺産となったことで、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」が初めて海から山へと繋がりました。

というのも、広大な紀伊山地に点在する「熊野三山」「高野山」「吉野・大峰」の3霊場を繋ぐ参詣道が2004年に世界遺産認定されたときは、文化的価値が高い遺跡であるにもかかわらず、世界遺産条件や地元の方との調整が完了できず、未登録の部分がありました。熊野古道は、江戸時代の熊野詣ブームが去った後、多くの道が生活道としても利用されてきました。結果、生活の利便のための手が加えられ、古道の姿をとどめていない部分があるのも当然のこと。そこで2010年から、和歌山県が地元の方と協力し、遺跡の調査・発掘に取り掛かり、2016年10月、晴れて22箇所40.1キロの道が追加登録されたのです。

あらたに登録され、世界遺産となった和歌山県田辺市にある鬪鶏神社は、都から熊野詣でにやってくる人々が、初めて海沿いを離れ、山へと入っていく大切な場所にある神社です。熊野古道の入り口である海沿いの鬪鶏神社が世界遺産に追加されたことで、やっと、熊野古道中辺路が海から山につながったのです。その価値は、とてつもなく大きなことといえます。

熊野三山の別宮的存在の鬪鶏神社

熊野三山の別宮的存在の鬪鶏神社

写真:SHIZUKO

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紀伊田辺駅から続く参道を徒歩5分。鬪鶏神社に到着。二の鳥居をくぐって進むと、一の鳥居の前に直線的に伸びる長い広場があります。ここは、馬場。450余年続く田辺祭りの際に流鏑馬が行われていた場所です。が、今は、諸事情により馬が走ることがなくなった場所。この馬場から、神社の後ろにそびえる仮庵山(かりおやま)までが世界遺産に追加登録されました。

一の鳥居をくぐり、明るく開放的な境内に入ると、普通の神社とちょっと様子が違うことにすぐ気付くはず。一般的な神社は、鳥居をくぐると正面に拝殿・本殿があるのですが、ここでは右側の側面に国指定史跡の社殿が並んでいます。6棟の本殿が横一列に並ぶ非常に珍しいお社の配置や建物の形式が、熊野三山の社殿と類似しており、強い関係性を示しています。また、こちらの社殿は、江戸時代に再建されたもので、6社殿揃って残っていることは文化的にもとても高い価値があるものです。

向い側には、樹齢1200年余の大きな楠のご神木。人々はこの楠に延命長寿・無病息災を祈ります。また、葉を歯痛の箇所に当てると、歯痛が治るとも信じられています。

境内には、縁起にちなんだ鶏の像や、弁慶・湛増親子の像があります。神社の由来を知ってから、その地を訪ねると楽しみが倍増しますね。

田辺のうまい昼ごはん「あがら丼」でお腹も満足

田辺のうまい昼ごはん「あがら丼」でお腹も満足

写真:SHIZUKO

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熊野古道と呼ばれる熊野三山の参詣道は、大きく分けて5ルートあります。天皇やお公家さんが歩いた、都から大阪湾沿いを進み田辺の鬪鶏神社から山中へ入る中辺路、山中へ入らず海沿いを進む大辺路。高野山から熊野三山を目指す小辺路。東国から伊勢参りにやってきた庶民が歩いた伊勢路。修験者を中心に、厳しい道を進む大峰奥掛け道。

和歌山県田辺市にある鬪鶏神社は、中辺路と大辺路の分岐点。参詣道が交わる華やかな町。街中には、今も大きな石造りの道標が行くべき道を示しています。

いろんな文化が交流した場所だけに、今でも生き生きと人々が行き交う駅前から続く繁華街。細い路地が残る町はとても風情があります。その中でも、とりわけ大きくどっしりとした店構えの「銀ちろ本店」。こちらでいただけるのが「あがら丼」。釜揚げしらすご飯と地魚のお造りなどの料理がセットされた超人気のメニューです。

「あがら丼」は、季節ごとの新鮮な海の幸や、熊野牛やうめ鶏などの山の幸を気軽にランチタイムに食べたいという観光客の要望から生まれた田辺市ご自慢のご当地丼。新鮮な魚介を中心に市内10箇所のお店が腕によりをかけて提供していますから、食べ歩いてみるのも楽しいでしょう。

お土産には、菓匠二宮の「闘鶏まんじゅう」

お土産には、菓匠二宮の「闘鶏まんじゅう」

写真:SHIZUKO

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鬪鶏神社の参道沿いにある老舗の和菓子店・菓匠二宮に一歩足を踏み入れると目に飛び込んでくる「闘鶏まんじゅう」。赤と白の鶏をかたどった三角形のお饅頭。表情一つ一つは手書きされ、とっても可愛い。赤はみなべ町の梅ジャムを使った梅あん、白は田辺市産のゆずで作ったペーストを使ったゆずあん。梅あんは後味がさっぱりとしたさわやかな甘さ、ゆずあんはゆずの香りがとっても良くて、どちらも大人気。

食べ終わった後、箱は「とんとん相撲」の土俵になり、鶏の力士を組み立てて「関トリ」による相撲が楽しめるという仕掛け。最後まで楽しんでもらいたいという作り手の心温まるおもてなしです。

世界遺産の仲間入りを果たした鬪鶏神社

駅から徒歩5分と、とてもアクセスのいい鬪鶏神社。結婚式や七五三などの行事ごとだけではなく、地元の氏神さまとして、多くの人々がお参りに来られます。参道を中心とした街歩きも楽しいもの。

この地は、熊野三山の別宮的な存在であるため、鬪鶏神社に参れば、熊野三山に参詣したのと同じとここで引き返した人も多いとか。人生のターニングポインに立った時には、ぜひ、この神社にお参りください。どちらかを選ばなければいけない時、心静かに祈れば、きっと神様が道を示してくださることでしょう。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/11/17−2016/11/18 訪問

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