写真:Hiroko Oji
地図を見るハンガリーの北部に位置するドナウベント地方は、川沿いに歴史のある古い町が点在する地域で、ドナウ川の曲がり角という意味を持っています。その名の通り、直角に近い角度でその流れの向きを変える景観を一望できるのが「ヴィシェグラード(Visegrad)」の町です。
ハンガリーで一番古い砦があり、ハンガリーの発祥地というヴィシェグラードは、中世に黄金時代を極めた後、歴史の舞台からはすっかり姿を消してしまったため、町というほどの町並みは見られない古都です。わずかながらに教会を中心に、丘の麓の国道沿いに赤い屋根の並びが残っていますが、ここでの見所は、何といっても丘の上にある要塞とそこからの眺望!ヴィシェグラードという名前自体が「高い城」という意味があり、ドナウベント観光のハイライトのひとつです。
写真:Hiroko Oji
地図を見るこの町へのアクセスは主にバスか船になります。バスや船が発着するのは国道11号線沿いで、この国道沿いから石畳の坂道を上って行きますと、煉瓦と石造りの頑丈そうな門の奥に建つ塔に出ます。これがシャラモン塔といって、13世紀半ばに建設されたものです。
もともと、アンドラーシュ1世の息子シャラモンが、王位継承の戦いで敗れ、幽閉されていた所で、後にはドナウ川を行き交う航路の監視の役目を担っていました。現在、この塔の内部には、王宮から発見された「ヘラクレスの泉」という、高さ約5メートルのモニュメントが展示されています。
シャラモン塔を越えると、後は山道に繋がり、ひたすら登っていくことになり、ちょっとしたハイキング気分が味わえます。木々の間から見えるドナウ川の風景を励みに、要塞を目指しましょう。ただし、あまり人影のない所ですので、一人で行くには、要注意です。
写真:Hiroko Oji
地図を見るシャラモン塔から約20分ほど山道を登り、最後の木製の階段を上って行くと見えてくるのが、要塞の入り口ともなる門。石造りの厳つい門の麓には駐車場として利用されている広場があり、土産物を売る小屋も並んでいます。
要塞は標高315メートルの丘の頂上にあり、古くから外敵の侵攻を防ぐ要衝地として、その役目を果たしてきました。創建は13世紀と言われていますが、基礎となるものは4世紀頃から少しずつ築かれてきたとのこと。頑丈な石造りの建物内には、どっしりとした跳ね橋や石積みの井戸が残され、戦に使われた武器や鎧兜、王冠のレプリカなどが展示されています。
また、古代人の生活を再現する棟内では、蝋人形を使って、当時の台所用品やテーブル上の食材の様子、別の棟内では農具などが展示されたり、ダンスパーティのような場面が再現される部屋もあります。なかには、ギロチン台や拷問具が置かれ、一瞬ギョッとするところや、城壁沿いには大砲台なども残っており、血生臭さを感じる瞬間もあります。
写真:Hiroko Oji
地図を見る要塞の敷地内は結構広く、天井がなくなり壁だけの部分も多いです。石の通路や壁しか残っていない窓からは、丘陵に囲まれたドナウ川が一望のもと。遠くには直角に曲がるドナウ川まで見渡せます。川のおかげで肥沃な土地となり、美しい景観にも恵まれた、ハンガリー繁栄の源となる地域と言えるのが、このヴィシェグラードを含めたドナウベント地方です。
写真:Hiroko Oji
地図を見る丘の麓にある王宮跡は現在も続く発掘作業が行われています。王宮は14世紀初頭創建された後、増改築が繰り返され、マーチャーシュ1世の時代にルネッサンス様式を導入。350もの部屋が並び、贅沢な装飾で溢れていたとのことで、アンジュー王朝期は、最も国力が充実した時代だったようです。しかし、16世紀にはトルコの侵攻やハプスブルク家統治からの独立戦争などによって、ことごとく破壊されてしまいました。
1934年、偶然に建物の一部が発見されてからは、考古学者らによる本格的な発掘調査が行われ、現在に至っています。敷地内では発掘中の建物や発掘品、建設に関する資料などを見ることができます。
ヴィシェグラードの町は、丘の上にある要塞からの眺望が最大の見どころで、町自体はさほど見るべきものはありません。なので、ドナウベント地方のセンテンドレやエステルゴムの町と組み合わせて訪問されるとよいでしょう。
ブダペストやセンテンドレ、エステルゴムとの間はバスや船で移動できます。特にセンテンドレやエステルゴムを結ぶバスは本数も少なくないので利用しやすいです。MEMOにリンクしておきますので、どうぞご利用くださいね。
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(2024/3/29更新)
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