大森と海苔との関わりは、冶承四年(1180年)まで遡ります。源義経が平泉から鎌倉へ向かう途中、多摩川を船で渡ろうとしたところ強風で船が押し流されてしまい、大森沖を漂流してしまいました。海上の平穏を祈念したところ風がおさまり、大森にある三輪厳島神社に到着したといいます。そして義経は、神の加護に感謝して神社の社殿を修理したという伝説があります。こののちに、水神を祭り、浜辺に注連竹(しめたけ)を立てた際に付着していた黒い海藻が海苔だったといわれています。この海苔は、鎌倉の将軍に献上したのを始まりとして、江戸幕府にも献上されました。
住宅街にひっそりと佇むようにある小さな神社ですが、今でも、海苔にゆかりのある神社として、大森の海苔問屋や地元の人たちから信仰を集め親しまれています。
海苔の養殖が始まったのは江戸時代初期のころだといわれています。当時、手に入りにくかった海苔は、高級食材として扱われてきましたが、養殖によって市場への流通量が増え、庶民にも親しまれる食べ物になりました。江戸時代中期には、四角い板海苔が作られるようになり、海苔巻きや屋台ずしと呼ばれる店が江戸に登場するようになりました。大森は全国でも有数の海苔の生産地となり、大森での海苔の養殖技術は日本全国に広まりましたが、残念ながら、昭和37年の東京湾の埋め立て開発をきっかけに海苔養殖は終了しました。
その後、海苔作りの貴重な資料は「大田区郷土博物館」に所蔵されていましたが、2008年に「大田ふるさとの浜辺公園」内の「大森 海苔のふるさと館」に移されました。「海のそばで展示してほしい」という地域の人の声があったためだそうです。
2階展示室で見ることのできる「大田海苔劇場」は、海苔養殖産業の歴史をドラマ仕立てで分かりやすく、一目瞭然で解説してあるのが特徴です。その他、海苔養殖で使われた様々な道具の展示や、海苔下駄体験コーナーなど子どもから大人まで楽しむことができます!ご家族で訪れてみてはいかがでしょうか?
国の重要文化財にも指定されている「伊藤丸」は、昭和30年代に造船された最後の海苔船。海苔づくりの歴史と雰囲気を感じることができますよ。
3階の展望・休憩コーナーには、誰でも利用できるテーブルコーナーがあり、持参したお弁当も食べることができるのでおススメです。大きな窓からは「大森ふるさとの浜辺公園」を見渡すこともできますよ。海苔の歴史を体感した後に、足を運んでみるのをおススメします!
「大森ふるさとの浜辺公園」は、大田区内を流れている川の河口部分を埋め立てて作られた東京都内では初の区立の海浜公園。人口海浜や人工干潟などもあり、磯遊びや水遊びができる人気のスポットです。その他、公園内には長いローラー滑り台もあり家族連れで楽しむこともできますよ。
古くから海苔の文化が受け継がれてきた土地であった大森の海岸は、埋め立てられてきれいに整備されてしまいました。けれども、当時の面影を感じながら散策してみると、また違った風景に感じられるかもしれませんね。ぜひ、海苔の文化を感じに訪れてみてください。
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(2024/4/26更新)
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