写真:肥後 球磨門
地図を見る「天草キリシタン館」は、熊本県天草市本渡(ほんど)の本渡城跡に整備された殉教公園内に建っています。館内の2階に設けられた展示室では、キリスト教伝来から発展、禁教そして弾圧の歴史が詳しく紹介されています。室内は展示資料を保護するために照明が絞られ、薄暗い展示室になっています。
そこで最初に対面するのが、ガラスケースに収められた世界三大聖旗の一つといわれる陣中旗です。天草・島原の乱で天草四郎が率いた一揆軍が使用していた旗で、血痕やヤリで突かれて裂けた傷が生々しく残り、見た瞬間に身震いするほどの衝撃を受けます。
常時展示されている陣中期はレプリカですが、年に4回、原物が展示されるので、展示期間をキリシタン館のHPで確認して、本物と対面してみてはいかがでしょうか。
写真:肥後 球磨門
地図を見る天草キリシタン館が建つ敷地内に、キリスト像に見守られたキリシタン墓地があります。墓は天草市五和町にあったものをここに移したものです。キリスト像の両側には天草にキリスト教を伝え、天草でその生涯を終えたポルトガル人宣教師ルイス・デ・アルメイダの像と、天草最初の殉教者アダム荒川の碑が立っていて、天草という土地がいかにキリスト教と深いかかわりがあったかということがうかがえます。
芝生の上に建つ十字架の墓標と対峙し、激しく弾圧されながらも信仰を捨てなかった天草キリシタン達の強い信仰心を、とらえてみてはいかがでしょうか。
写真:肥後 球磨門
地図を見る天草キリシタン館入り口の右側に、まだ幼い表情が残る天草四郎像が立っています。彫刻家であった初代天草キリシタン館の館長が史実をもとに彫刻した像で、若干16歳で一揆軍の総大将になった天草四郎とは一体どういう人物だったのかと、見る者の想像を掻き立てる姿をしています。是非ご覧になって、天草四郎について思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。
天草四郎像は、この像の他にも天草のあちこちに建っています。「天草四郎メモリアルホール」にあるシンプルな像、「藍のあまくさ村」にある高さ15mの日本一高い像、そして「松島町パールセンター」に立つ、天から鳩を呼び奇蹟をおこしている姿を表した像など、どれも総大将とは思えない穏やかな顔で立っています。
これらの像は熊本市内方面から天草市に向かう途中に点在しているので、立ち寄って見比べてみてはいかがでしょうか。
写真:肥後 球磨門
地図を見る天草キリシタン館から徒歩5分の場所に「明徳寺」が建っています。天草・島原の乱後の人心平定と、キリスト教からの改宗を目的として建立された曹洞宗の禅寺で、楼門には「仏陀の正法をひろめ耶蘇(キリスト教)の邪宗を破る」という意味の額が掲げられています。楼門に続く石段の上り口には、「異人地蔵」と呼ばれる西洋人のような彫りの深い表情の地蔵が立ち、石段には十字が掘られ「踏み絵」の役目をしていています。
天草キリシタン館からのアクセスでは石段を利用しないので、楼門の前にある石段をいったん下りてください。そして再度、当時キリスト教から改宗した信者の思いで石段を上り、天草キリシタンの歴史に触れてみてはいかがでしょうか。
写真:肥後 球磨門
地図を見る天草キリシタン館から車で5分ほどのところに、町山口川に架かる「祇園橋」があります。石造りの桁橋(けたばし)としては国内最大級といわれ、国の重要文化財に指定されている橋です。柱状の石を組み合わせた橋は長さ28.6m、幅3.3mで天保3年(1832年)に建造されました。
建造から遡ること200年。1637年に勃発した天草・島原の乱で、最大の激戦地となったのがこの祗園橋周辺といわれ、町山口川は戦死者でせき止められたと伝えられています。
長い角柱の石が歩道に敷き詰められた橋は渡ることができます。橋を渡って川の中ほどで川風を受けながら、天草キリシタンの歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
天草・島原の乱で天草の人口は半減したといわれるほど、キリシタンが多かった天草の歴史は、そのままキリシタンの歴史といっても過言ではないでしょう。「天草キリシタン館」は、天草キリシタンの歴史を知るおススメの施設です。
天草にはこのほかにも、天草キリシタン館から車で30分ほどにある河浦町の「天草コレジオ館」や、そこから20分ほどの大江天主堂近くにある「ロザリオ館」でも、天草キリシタンの歴史や文化に触れることができます。ぜひ時間を作って訪問することをおススメします。
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(2024/4/19更新)
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