加藤清正のパワースポット再来か!熊谷「星渓園」の奇跡の石

加藤清正のパワースポット再来か!熊谷「星渓園」の奇跡の石

更新日:2016/11/24 18:15

Naoyuki 金井のプロフィール写真 Naoyuki 金井 神社・グルメナビゲーター
戦国武将・加藤清正と云えば、あの熊本城を築城した武将ですが、明治神宮にあるパワースポット"清正の井戸"と云えばよりお判りでしょう。その後、清正ブームは終焉を迎えましたが、そのブームの再来かと云われる井戸ならぬ「清正の石」が"暑いぞ熊谷"でお馴染の埼玉県熊谷市の市指定名勝「星渓園」にあったのです。
清正ブームの再来なるか、秀吉、家康にも伝わった"奇跡の石"をご紹介いたします。

清らかな湧水のある景観

清らかな湧水のある景観

写真:Naoyuki 金井

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「星渓園」とは、初代埼玉県議会議長で熊谷の発展に尽力した竹井澹如翁が慶応年間から明治初年にかけて《玉の池》と呼ばれる場所に造った別邸です。その別邸には、玉の池を中心に築山や小島、そして橋を作り、各種の木竹を植えて名石を配し、休憩用の池亭を設けた素晴らしい回遊式庭園が造られました。

この《玉の池》とは、元和9(1623)年の洪水により荒川の堤防が決壊して堤内の土砂が押流されて窪地ができ、荒川扇状地の玉のようなきれいな伏流水がこんこんと湧き出たことから玉の池と呼ばれるようになりました。そして、この玉の池の湧き水は熊谷市街の中心部を流れる星川の源流となるほどの貴重な湧水でした。しかし、昭和30年代には湧水も枯れ、現在は井戸水などを流し込んで星渓園の景観を保ち、星川は荒川の水を流し込んで水位を保っています。

社交の場から憩いの場へ

社交の場から憩いの場へ

写真:Naoyuki 金井

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園内には、別邸として三つの建物があります。
《星渓寮》は、一の間、二の間、茶室などがある三棟の建物の中心的建物で、《松風庵》は、二部屋からなる庵室になっており、澹如翁筆「松風庵」の木彫額があります。そして《積翠閣》は、和室と洋室からなる高床式の建物で、月見台がある眺望のよいのが特徴です。これらの建物では、茶席や花見・小会合などが催され、庭園では野点も行われました。

この別邸を活用した澹如翁は、昭憲皇太后を始め大隈重信、徳富蘇峰等多くの名士を招いてロビー活動を展開しました。特に政治への関心と地方実力者の育成のため大隈を始めとした板垣退助、陸奥宗光などの中央政界の大物と親交を温め、熊谷県誕生を成し遂げ熊谷の産業に貢献したのです。
その後、昭和25年に星渓園を熊谷市が譲り受け、昭和29年に市の名勝に指定され一般に公開されました。

縁を呼ぶ縁結びの袖振り石

縁を呼ぶ縁結びの袖振り石

写真:Naoyuki 金井

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星渓園の中心的建物の星渓寮の庭に不思議な形をした石があります。一見すると何の形か分かりにくいですが、元々同じ形のものが左右対称にもう一つあり、振袖の形に見えることから《袖振り石》と呼ばれています。

この袖振り石は、清正が秀吉の朝鮮出兵により朝鮮から持ち帰り秀吉に献上されたもので、珍しい石に喜んだ秀吉は大阪城に設置し、その後、大阪城に入城した家康が、秀吉のモノと云えども捨てるには惜しいと家臣の松平忠吉に授けました。この松平忠吉が現在の行田市にあたる「のぼうの城」で名高い忍藩主となり、明治維新により澹如翁が譲り受け玉の池に配しました。

振袖の形ながらあえて「袖振り石」と呼ばれる訳は、"道の行きすがりに袖が触れ合うような、偶然でほんのささやかな出会いでも、それは前世からの深い縁で起こることなので、人との絆を大事にしなさい"という故事「袖振り合うも多生の縁」に由来しているからです。
"縁結びの袖振り石"と囁かれ、地元では清正のパワーストーンとして知られています。

秀吉、家康の天下への天柱石

秀吉、家康の天下への天柱石

写真:Naoyuki 金井

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清正が朝鮮から持ち帰ったパワーストーンはこれだけではありません。
袖振り石のすぐ近くにある長細い石《天柱石》もまた秀吉に献上されたものです。日本で天柱石というと、天から落ちて地上に突き刺さったような巨石を云うのですが、朝鮮ではこの形をそう呼んだのか、巨石の一部だったのかは定かではありませんが、そう呼ばれています。

この天柱石もまた"天からの授かりものの石"として秀吉は大いに喜び、袖振り石同様大阪城に配置しました。その後、天下人となった家康や、忍藩主となった松平忠吉の出世を与えた「開運の天柱石」と噂されていたのです。
この天柱石は、袖振り石の脇にある2ヶの他に、園内に全部で5ヶ配置されています。残りの3ヶを見つけて大いなる開運を授かってください。

石に成り損なった珪化木

石に成り損なった珪化木

写真:Naoyuki 金井

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園内にはパワーストーンに成り損ねた興味深い石「珪化木の門」があります。
"珪化木"とは、土砂に埋もれた樹木の細胞に珪酸成分が浸みこみ、膨大な年月をかけて樹木の形のまま化石化したもので、植物の化石の一形態をいいます。

保存状態の良いものは年輪や木の形状までもが保存されます。石炭とほぼ同じ場所に出土し、一部が石炭や、石炭に近い状態になっているものもあることから「石炭に成り損なった木」と呼ばれています。
日本各地で産出されますが、最近では乱獲もあってかなり減少しており、岩手県一戸町の根反の大珪化木は国の特別天然記念物に指定されるなど、各地に天然記念物に指定されているものがあります。
こちらは記念物ではありませんが、これも一つのパワーストーンなのです。

清正ブームの再来になるのか、奇跡の石が奇跡を起こす!?

地元では知られた清正のパワースポットですが、全国は言わずもがな、埼玉県民でも知っている方は少ないのが現状です。しかし徐々にメディアでも取り上げられるようになり、"知る人ぞ知るパワースポット"になりつつあります。
しかし、全国的に著名になるのも結構ですが、清正の井戸のように多くの人が訪れた結果、負のパワーになって終焉を迎えた経緯がありますので、ここは知る人ぞ知る程度が良いのかもしれません。
本当に奇跡の石が奇跡を起こすのか、一度、あなたの五感で感じ取ってみてはいかがですか。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2016/10/23 訪問

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