イタリアの詩人ダンテ・アリギエーリが残した叙事詩『神曲』に隠された暗号。フィレンツェの病院で目を覚ましたラングドン教授が突然命を狙われるところから映画は始まります。フィレンツェを出発し、ヴェネチア、イスタンブールなどを巡り、ボッティチェリらの美術品や建築から暗号を読み解きながら、秘められた謎を解き明かしていく壮大なスケールで描かれる物語です。
その物語のカギを握るのがこちら、ユネスコ世界遺産にも登録されており700年以上の歴史を持つ「ヴェッキオ宮殿」。フィレンツェ観光の人気スポットとしても知られ、大きな時計塔が目印の建物として、フィレンツェの代表的シンボルとなっています。初めはフィレンツェ共和国の政庁舎として使われていましたが、1550年から1565年の間に、ジョルジョ・ヴァザーリによって部分的に改築され、現在はフィレンツェ市庁舎として使われています。
さて、このヴェッキオ宮殿には物語のキーとなる「Cerca trova」という文字が描かれた絵がありましたね。それがこのヴェッキオ宮殿の500人大広間にある、1553年にヴァザーリによって描かれたフレスコ画『マルチャーノ・デッラ・キアーナの戦い』です。兵士の1人が持つ旗にある、"Cerca trova"。実際にここで見つけてみてはいかがですか?そして「真実は死者の目を通して見える」とは・・・?!
現在ヴェッキオ宮殿は観光客が以前にも増して訪れており、ガイドが隠し通路を案内するツアーを行っているんですよ!Secret Passage Tourと呼ばれるツアーで、ラングドン教授が秘密の通路を通って逃げましたが、普段は入れない隠し部屋や隠し通路などを見て回ることができるのです!こんなツアーに参加したら、映画に入り込んだ気分になってしまうかも?!
「真実は死者の目を通して見える」という言葉に導かれてラングドン教授とシエナが訪れた場所が「サン・ジョヴァンニ洗礼堂 (Battistero di San Giovanni) 」。こちらはあのミケランジェロが「天国の扉」と賞賛した門があることでも有名ですね。実はルネサンス美術の幕開けのきっかけとなった洗礼堂なんです!こちらの洗礼堂は最も歴史のある建物で、11世紀にフィレンツェを守る聖人サン・ジョバンニ(聖ヨハネ)に捧げられたものです。
「洗礼堂」と言われてもなかなかピンとこない方も多いのではないでしょうか。洗礼堂とは洗礼の儀式を行うための聖堂に付属した建築物で、アプスの部分に洗礼盤が置かれていました。アプスとは古代メソポタミア神話の神様で、地下に広がると考えられ、地上のすべての水の源をなす淡水を神格化した存在です。太古に海水を神格化した蛇形の女神ティアマットと夫婦になり、この両者からすべての神々が生じたとされています。 4世紀頃からドーム型の建造を持ち始め、そのプランは八角形になっています。昔は全身を水に濡らして洗礼していたことから、これだけ巨大な洗礼堂が必要だったのです。
さて、ここにはダンテのデスマスクの謎が隠されていました。洗礼盤の水の中にマスクは沈んでいて、拭き取ると「裏切り者のヴェネツィアの総督擦を探せ、彼は馬の首を断ち切った」という謎のメッセージが浮かび上がります。二人はここから高速鉄道に乗って今度はヴェネツィアを目指すのです。
「裏切り者のヴェネツィアの総督擦を探せ、彼は馬の首を断ち切った」というメッセージをもとに、二人がやってきたヴェネツィアサンマルコ寺院。このサンマルコ寺院の「クアドリガ」によって、物語はがさらに発展していきます。
「クアトリガ」、初めて聞く方も多いのではないでしょうか?!クアドリガまたはクワドリガ(quadriga)は、4頭の並行する馬に引かせたローマ帝国時代の車またはチャリオットです。チャリオットとは古代の戦闘に使われた戦闘用馬車のことです。「勝利のクァドリガ」の異名を持ち、「サン・マルコの馬」という古代の彫刻を意味しています。古代のクアドリガの彫刻としては、唯一現存しているもので、元々はコンスタンティノープル競馬場の建物の上にありました。1204年にヴェネツィアの十字軍が持ち去り、サン・マルコ寺院に設置しました。1797年、ナポレオンがパリに持ち去ったのですが、1815年ヴェネツィアに返還されました。本物は1980年代に博物館に移されており、現在サン・マルコ寺院にあるのはレプリカです。
さあ、物語は急展開!実はシエナにはある秘密がありましたね。二人は別々にトルコのイスタンブール、アヤソフィアに向かうのです。
物語は段々とクライマックスへ進んでいきます。イスタンブールに訪れたラングドン教授が最初に目指した場所、それがアヤソフィアです。イスタンブールに数ある観光名所の中でも、最大の見どころの一つといっても過言ではないでしょう。東ローマ帝国(ビザンチン帝国)時代に、正統派キリスト教の大聖堂としての建設を起源とし、帝国第一の格式を誇る教会です。コンスタンティノープル総主教座の所在地であったのですが、1204年から1261年まではラテン帝国支配下においてローマ・カトリックの教徒大聖堂とされていたこともありました。その後は1453年5月29日から1931年までの長期間にわたりモスクとして改築を繰り返し使用されて現在の特徴的な姿となり、1935年から博物館として使用されています。
映画では、十字軍としてコンスタンチノープルへ訪れたヴェニス総督、エンリコ・ダンドーロのアヤソフィアにある墓を求めてアヤソフィアに来るという場面です。ここでラングドン教授は耳を澄まし水の音を聞き、遂に物語の最後、地下の貯水池にたどり着くのです。
映画の中に登場する地下宮殿。あまりの美しさに単なる映画のセットや、作り話のように感じた方も多いのでは?!こちらは地下宮殿とは呼ばれていますが、実は東ローマ帝国の大貯水槽、バシリカ・シスタン (Basilica Cistern) 。トルコ語では「地下宮殿」を意味するイェレバタン・サラユ (Yerebatan Sarayı) 、あるいは「地下貯水池」を意味するイェレバタン・サルヌジュ (Yerebatan Sarnıcı) という名前でも呼ばれています。
この貯水池は、東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌスによって建設されたもので、現存する東ローマ帝国の貯水池としては最大のものです。ジェームズ・ボンドの映画『007 ロシアより愛をこめて』の撮影場所としても使われて、その後、補修作業を行った後に1980年から一般公開されています。イスタンブールの歴史地区として世界遺産にも登録され、かつてはこの貯水池は裁判や商業活動にも利用されていたんですよ!貯水槽は長さ138m・幅65mの長方形の空間で、高さ9m、1列12本で28列、合計336本の大理石円柱を備え、それぞれが煉瓦造の交差ヴォールトを支えています。これによってなんと78,000立方メートルの水を貯えることができるのです。
映画の中でも暗闇にライトアップされ浮かび上がるメデューサの柱はミステリアスでエキゾチックですね。この柱は顔が向かい合わないように横向きや上下逆さになって設置されていて、 メデューサの目の魔力を封じ込めるためだとか、多神教から一神教への移行時代に封じ込めるためだとか諸説あります。魚も泳いでいて、とても足元が滑りやすいのですが、アヤソフィアの近くにあるので是非訪れたい場所。さて、ラングドン教授は人類を救えたのでしょうか?!
いかがでしたか?!これからフィレンツェやヴェネツィア、トルコに出かける方は映画を観てから行くと、ただ観光するよりもまた違った面白さが味わえるはずです。初めて来た場所なのに知っているような、そんな不思議な感覚が味わえます。
「インフェルノ」公開もあり、さらににぎわっているフィレンツェ、やイスタンブール。是非ダンテの謎を追ったつもりになって、旅も楽しんでくださいね!
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