志賀直哉が「暗夜行路」を執筆した地!千葉・我孫子市街を散策

志賀直哉が「暗夜行路」を執筆した地!千葉・我孫子市街を散策

更新日:2017/05/01 16:08

井伊 たびをのプロフィール写真 井伊 たびを 社寺ナビゲーター、狛犬愛好家
大正時代、この地で志賀直哉は代表作を執筆した。彼の誘いで武者小路実篤も移り住み、彼らが暮らしていた千葉県我孫子市。当時、その豊かな自然環境に魅せられ、この地に移り住んだ文化人は多かった。講道館柔道を興した嘉納治五郎が別荘を構え、その勧めで「民藝」の創始者・柳宗悦も移り住み、やがて白樺派の文化人が、挙って住むようになった。かつて「北の鎌倉」と呼ばれた我孫子市街を散策する「文学散歩」はいかがだろう?

我孫子駅南口「我孫子市ゆかりの文化人」のモニュメント

我孫子駅南口「我孫子市ゆかりの文化人」のモニュメント

写真:井伊 たびを

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千葉県我孫子市は、かつて「手賀沼」のほとりに栄えた「水戸街道」の宿場町。成田山新勝寺参詣へ行き交う人々の分岐地で、街道の要所でもあった。現在では、首都圏へ通勤通学する人々に人気のあるベットタウンである。さらに昨年(2015年)春、JR東日本「上野東京ライン」の開通後は、東京駅から40分足らずというアクセスのよさで、その人気を維持している。

ところで我孫子市は、かつて「北の鎌倉」とも呼ばれた。手賀沼を見渡せ静かな環境は、別荘地として人気を博した。大正時代には、多くの文化人が移り住み、彼らから愛された。JR常磐線「我孫子駅南口」に降り立てば、「我孫子市ゆかりの文化人」のモニュメントがある。その案内文と当時の彼らの面影を記憶しつつ、そぞろ歩きの散策に出発しよう!

かつて白樺派の文人たちも通い愛した「天神坂」

かつて白樺派の文人たちも通い愛した「天神坂」

写真:井伊 たびを

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我孫子駅南口から、まっすぐに延びる手賀沼へ通じる緩やかな坂道を200mほど進めば、左手に接骨医がある。その医院を左に曲がり、その道に沿って大きく右にカーブすれば、「旧嘉納治五郎別荘跡」を見つける。その向かいの邸宅には、治五郎の甥でもある柳宗悦がかつて住んでいた。治五郎は、この場所に高くそびえる三本のスダジイを指して、この邸宅を「三樹荘」と名付けた。

文人たちの憩いの場となっていたその「三樹荘」と、そこへ通じる椎の実の降るこの「天神坂」は、彼らからこよなく愛されていた。

現存するこの「天神坂」は、我孫子市により石段に整備され、行き交う人々の憩いの道となっている。趣のある緩やかなカーブを歩めば、かつての文人たちの息吹が蘇ってきそうな心も和む坂道である。

文人たちの直筆原稿も展示している「白樺文学館」

文人たちの直筆原稿も展示している「白樺文学館」

写真:井伊 たびを

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天神坂を下り切り、「ハケの道」と呼ばれる道を、左手(東方向)へ歩めば、この「我孫子市立白樺文学館」に辿り着ける。ちなみに、この「ハケの道」が、手賀沼を埋め立てる前まで沼の岸辺だった。

こちらでは、志賀直哉、柳宗悦、武者小路実篤ら、白樺派の文人たちの偉大な足跡を知ることができる。2階の展示室には、文人たちの直筆原稿や書簡、さらには「ロダンの彫刻」や、バーナード・リーチ、棟方志功などの作品が展示されている。

小説の神様・志賀直哉が「暗夜行路」など執筆した書斎

小説の神様・志賀直哉が「暗夜行路」など執筆した書斎

写真:井伊 たびを

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「ハケの道」をはさんで、「白樺文学館」の斜め向かいに位置する、志賀直哉邸跡には、こちらの「書斎」だけが残されている。

志賀直哉は、ここ我孫子へ移り住む前、父との確執に悩み、小説の執筆も思うように進まなかったようだが、大正4年(1915年)この地に居を構えてからは静かな環境の下、柳宗悦や武者小路実篤と感性を高めあい、心に癒しを得てこの書斎で、再度創作への意欲を蘇らせた。

この地を離れる大正12年(1923年)までの8年間に、数々の小説を著した。大正6年には、長年不和であった父親との和解を題材にした小説「和解」や「城崎にて」を、大正9年には「小僧の神様」を、さらにその翌年から大正12年までには、彼の唯一の長編小説で名作「暗夜行路」の大部分を、この書斎で執筆した。

人生という「暗夜」を、「時」の流れに身を「任せ」、与えられた運命に「謙虚」に従っていこうとする主人公「時任謙作」のキャラクター創作や、プロットはこの書斎で練られたのだ。

彼の小説の中には、「雪の日」や「流行感冒」など、ここ我孫子を題材にした小説も多く、当時の我孫子の情景をしのぶ貴重な資料となっている。

なお、この書斎の内部公開は、年末年始を除く土曜日と日曜日(雨天の場合は中止)だけなのでご注意のこと。

散策がてら「ココでしか手に入らない!」大正煎餅をゲット!

散策がてら「ココでしか手に入らない!」大正煎餅をゲット!

写真:井伊 たびを

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散策の途中、ぜひ寄り道したいお店がある。およそ半世紀になる大正煎餅屋さんの「木川商店」。昭和レトロを醸し出す店構えに、つい引き込まれる人も多いのではないだろうか?

白樺文学館や志賀直哉邸跡地から歩いて5分足らず。なつかしい木製のガラス扉を横にスライドさせて開けると、香ばしい煎餅の香りが飛び込んでくる。昔、どこの駄菓子屋さんにもあった大きな丸い口のガラス瓶には、およそ30種類ほどのお煎餅が並べられている。

うるち米やもち米から作るお煎餅を、そろえているので種類が多くなるとか。これだけあれば、お好みの煎餅に出合えるだろう。

こちらのお煎餅は、すべて敷地内の工場で手作りされている。よって、大量生産ができないので、スーパーなどでの販売はしていないとか。まさに「ココでしか手にはいらない!」お煎餅なのだ。

「物語の生まれる街」にふさわしく文人たちの別荘跡が多い

我孫子市街には、嘉納治五郎別荘跡、旧武者小路実篤邸、志賀直哉別荘跡のほかに、
旧村川別荘(旧村川堅固別荘)や、楚人冠公園(旧杉村楚人冠邸)、岡田武松邸跡(現近隣センターふさの風)、近衛文麿別荘跡(現近隣センターこもれび)などがある。

もしも、お時間に余裕があれば、「白樺文学館」より東へ、歩いて15分ほどのところに、腰下疾患にご利益があるとされる「子之神大黒天延寿院」がある。寄り道されてはいかがだろう?さらには、その先に進めば「鳥の博物館」も、オススメできる博物館である。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/12/03 訪問

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