1時間で巡る京都観光!「坂本龍馬暗殺の地と幕末スポット」

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1時間で巡る京都観光!「坂本龍馬暗殺の地と幕末スポット」

1時間で巡る京都観光!「坂本龍馬暗殺の地と幕末スポット」

更新日:2016/10/24 09:50

旅人間のプロフィール写真 旅人間 トラベルライター、旅ブロガー

三条通から四条通の河原町は京都の繁華街として賑わいを見せていますが、幕末の頃は、この付近には土佐藩邸があり、血気盛んな若き志士たちの多くがこの界隈に住んでいたと言われ、坂本龍馬もそのうちの一人。それでは龍馬が暗殺された近江屋を始め、池田屋事件跡地に残る刀傷など、この周囲にある幕末スポットを紹介しましょう。驚くほど密集していますので、1時間もあれば十分見て回ることが出来るはず!

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古地図を見ると大きさが分かる土佐藩邸

古地図を見ると大きさが分かる土佐藩邸

写真:旅人間

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幕末期の京都の古地図を見ると、高瀬川の西から現在の河原町通にかけ「土州」と大きく書かれた場所があります。この場所こそ土佐藩が京都における活躍の場の本拠地とも言える「土佐藩藩邸」のあった場所。現在は高瀬川沿いに小さく石碑が立っていますが、立誠小学校から坂本龍馬が暗殺された近江屋付近まで広大な敷地であった事が推測できます。

古地図を見ながら京都の町を散策してみると、龍馬暗殺の地は土佐藩邸のすぐ近くであったこと、また池田屋事件の起きた場所なども徒歩で5分ほどの距離、またそのスグ近くには長州屋敷があったことも分かります。石碑は歴史の道標として役に立ちますが、建物や敷地の大きさまでは分かりません。この付近には大きな建物がドン!ドン!ドン!と立ち並び、歩いて数分の範囲内で、龍馬に関する様々なドラマが繰り広げられていたことが分かります。

龍馬も詣でた?土佐藩邸の内にあったと伝わる土佐稲荷

龍馬も詣でた?土佐藩邸の内にあったと伝わる土佐稲荷

写真:旅人間

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かつては土佐藩邸の内にあったと伝わる「土佐稲荷(岬神社)」は、明治維新で屋敷が売却され、明治20(1887)年に現在地に移されたそうです。とは言っても土佐藩邸跡の石碑から西に50mほどの場所に位置し、近隣から近隣への移動だったようですね。

この土佐稲荷は土佐藩邸の鎮守社として祀られたもので、同社に参詣する町人のために藩邸内の通り抜けが許されていたと伝わっています。古地図を見ると、幕末当時の京都は数多くの寺社仏閣がありましたが、現在はその多くが姿を消してしまっています。
時代の流れと共に、多くの寺社仏閣が姿を消す中でこのように移転され、現在に続くのは、土佐藩士だけではなく近隣の人々からも信仰の厚かったと所以のように感じます。龍馬もここに何度も詣でたのではないでしょうか。境内には坂本龍馬像もありますよ。

坂本龍馬寓居跡の酢屋で龍馬を偲ぶ

坂本龍馬寓居跡の酢屋で龍馬を偲ぶ

写真:旅人間

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坂本龍馬ファンなら足を運びたい坂本龍馬寓居跡として知られる材木商「酢屋」は、建物の梁が当時のままに残されている貴重な名所。ここに坂本龍馬をはじめ、海援隊隊士をかくまっていたと言われています。龍馬と言えばヨレヨレの袴で身なりには頓着がないと言ったイメージがありますが、とってもお洒落だったと言う証言も残っているそうですよ。いすれにせよ、そんな龍馬がここを歩いていたと思うとロマンを感じますね。

現在は1階に木工芸品販売「創作木工芸 酢屋」、そして2階には「ギャラリー 龍馬」が設置され、ここは龍馬が大政奉還前の6月24日に龍馬の姉である乙女に5mにも及ぶ長い手紙を書いた場所としても知られています。

三条大橋の擬宝珠に残る刀傷

三条大橋の擬宝珠に残る刀傷

写真:旅人間

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京都を散策する時に、鴨川に架かる橋を歩いて渡る方も多いと思いますが、五条大橋と三条大橋は歴史に時々登場し有名ですね。例えば五条大橋は弁慶と牛若丸が出会った場所として知られ、三条大橋は徳川家康が東海道五十三次の西の起点と定めた事で知られ「東海道中膝栗毛」の主役である弥次郎兵衛と喜多八の像もあります。

幕末に焦点を合わせてみると、この三条大橋の擬宝珠には池田屋事件で付いたとされる刀傷が2ヶ所今も残っていることで知られています。橋の北側も南側も同じく西から数えて2つ目の場所です。この池田屋事件、坂本龍馬は関わっていませんが、海軍操練所の塾生であった北添佶摩と望月亀弥太が関わっていたことで、坂本龍馬が塾頭を務めていた海軍操練所は廃止となってしまうのです。

坂本龍馬暗殺の地の近江屋はもう少し南にあった?

時は慶応3年(1867年)11月15日、坂本龍馬と中岡慎太郎は近江屋で暗殺されました。その実行犯に関しては、新選組犯行説、京都見廻組説、紀州藩士報復説、薩摩藩陰謀説など諸説様々あり、真相は未だ謎に包まれています。

現在、龍馬が暗殺されたとされる場所には「坂本龍馬 中岡慎太郎 遭難之地」と記された石碑が建っていますが、実際に近江屋のあった場所は現在の少し南に位置しているとも言われています。その当時、その場所に碑を建てる許可が下りなかったのが理由だとか…。

近江屋は現在のパチンコ屋さん(2016年10月現在)の辺りにあったようですよ。ただ龍馬の時代の河原町通りは現在のように広くなく、道は狭かったはず。そう考えると厳密にはパチンコ屋前の路上が、その場所なのかもしれませんね。

坂本龍馬暗殺の地の近江屋はもう少し南にあった?

写真:旅人間

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他、この周辺の龍馬にかかわる幕末のポイント

高瀬川の側にある土佐藩邸跡地の石碑から、2〜3分ほど北に向かって歩くと右手に龍馬の妻となった「お龍さんが独身時代に過ごした場所」を記した案内があります。
そこから更に北に向かうと、龍馬と同じ土佐藩出身の「武市瑞山寓居跡」「吉村寅太郎寓居跡」の碑があり、龍馬と一緒に襲われ命を落とした中岡慎太郎に関しては、近江家跡地から南に行った四条河原町の交差点近くに「中岡慎太郎の寓居地跡」の石碑があります。

以上、今回紹介した場所を全部歩いて巡ったとしても所要時間は1時間もあれば十分です。興味のある方は是非散策してみてくださいね。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/09/27 訪問

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