写真:乾口 達司
地図を見る畝傍山の山麓に広がる豊かな森に鎮座する橿原神宮。その橿原神宮の南方、近鉄南大阪線の南側に境内を有しているのが、今回、ご紹介する久米寺(くめでら)です。開基は聖徳太子の弟に当たる来目皇子(くめのみこ)。薬師如来のおかげで眼病を治した皇子が、推古天皇2年、その功徳に感謝して当寺を創建したと伝えられています。
一説には、古代ヤマト王権において軍事部門をつかさどっていた久米部の氏寺であったともいわれていますが、いずれにしても古代以来の長い歴史を有する古刹であることには間違いありません。
なかでも、久米寺を代表する人物といえば、境内の一角に立つご覧の人物をあげないわけにはいきません。この人物の名は久米仙人。古代に活躍したとされる伝説上の仙人です。久米仙人に言及した文献は『今昔物語』をはじめとして複数存在しますが、それによると、久米仙人は欽明天皇の時代に大和国・葛城の地に生まれました。やがて神通力を得て自由自在に空を飛べるようになるなど、さまざまな奇跡を起こしますが、ある日、飛行中に川で洗濯をしている美女のふくらはぎに目がくらんで神通力を失い、墜落してしまいます。
久米寺はそんな仙人の暮らしていたところであると伝えられていますが、ユーモアに富んだ、何とも人間臭いエピソードに親しみをおぼえる方も多いのではないでしょうか。
写真:乾口 達司
地図を見る写真は境内の中央に位置する本堂。寛文 3年(1663)に再建されたもので、内陣には巨大な本尊・薬師如来坐像が安置されています。堂内の拝観は有料ですが、外陣からもお顔を拝することは出来るので、目をわずらっている方は特に来目皇子の眼病を治したと伝わるご本尊にお参りください。
写真:乾口 達司
地図を見る境内の一角にはご覧のような巨石群も見られます。これはかつてここに存在した塔の礎石。かの弘法大師・空海はこの塔のなかで真言宗にとってきわめて重要な経典である『大日経』を感得したといわれています。いわば、久米寺は真言宗発祥の地でもあるといえるのです。久米寺ゆかりの人物といえば、久米仙人ばかりがクローズアップされますが、空海にとってもゆかりのあったお寺であること、ご存知でしたか?
写真:乾口 達司
地図を見るそして、現在、上でご紹介した塔跡のすぐ隣りには、ご覧の多宝塔が建っています。こちらの多宝塔は、万治2年(1659)、京都の仁和寺より移築されたもので、現在は国の重要文化財に指定されています。空海が『大日経』を感得した当時の塔はもはや存在しませんが、こちらの多宝塔を眺めながら『大日経』感得のエピソードに思いを馳せると、当時の光景がありありと目に浮かんで来ますよ。
写真:乾口 達司
地図を見る本堂から東門へと歩くと、参道の左手にご覧の石碑が立っています。「虫塚」です。虫塚は、その名のとおり、虫を供養した塚。特に害虫として人間に駆除された哀れな虫たちを対象としたもので、毎年、虫が大量に発生する6月頃には虫を供養する法要もいとなまれます。珍しい塚ゆえ、久米寺に参詣の折はぜひご覧ください。
意外と知られていない久米寺の豊かな歴史をご理解いただけたでしょうか。境内は参拝自由である上、駐車場も完備されているので、アクセスも快適。久米仙人や空海ゆかりの久米寺でその歴史に思いを馳せてみてください。
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(2024/3/19更新)
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