写真:麻生 のりこ
地図を見る「旧近衛邸」は西尾市歴史公園の玄関口ともいえる鍮石門(ちゅうじゃくもん)をくぐり、椿園を歩き小さな門を通り抜けた先に建っています。気持ちよく開け放たれた玄関から中に入ると、まず4畳半の前室が。邸内では西尾産の抹茶で一服できるので、飲みたい方はここで注文するとスムーズでしょう。夏季には冷やし抹茶も注文可能です(2016年9月現在、和菓子付きで400円)。
前室左手から書院内部へ入ると、正面は畳廊下が、そして右側には一の間が広がります。摂家とは平安時代に権力を握った藤原道長を祖とする5つの格式高い公家のことで、摂政・関白、太政大臣はこの五摂家の中から選ばれていました。例外は豊臣氏だけなんですよ。
写真:麻生 のりこ
地図を見る書院部分は一の間と二の間からなり、一の間は10畳、二の間は8畳の広さです。二間続きの室内は東側と南側に畳廊下(入側)がついています。室内からは西尾城の本丸丑寅櫓が見えるので、正座して抹茶を飲めば殿さま気分が味わえるかも!? なお、畳廊下には椅子席もあるので、抹茶はそちらで楽しむこともできます。
江戸時代末期に公家のトップクラス・摂家筆頭の近衛家別邸として京都に建てられたこの邸宅は、華美な装飾を抑え簡潔さを美とする数寄屋造り。二間合わせて18畳ですが実際より広く感じるのは、畳廊下とこの簡潔さが生み出したものかもしれませんね。
建築の際にスポンサーとなったのは外様大名の雄、薩摩藩・島津家。当時の近衛家当主・近衛忠房は正室に薩摩藩主の姫である貞姫を迎え入れ、その縁から島津家が建てました。
写真:麻生 のりこ
地図を見る一の間、二の間はそれぞれに床(とこ)が設けられています。写真は一の間の床ですが、高めな床框(とこがまち)と漆喰塗りの壁が特徴です。また数寄屋造りならではの意匠として長押を省略し、磨いた丸太の皮が柱の四隅に残るように削り残した面皮柱(めんかわばしら)を多用。続く二の間の床には格調高く地袋棚が組み込まれています。
季節の和菓子とともに抹茶で一服したり休憩した後に、室内に施されている天袋絵画など数々の意匠をごらんくださいね。落ち着いた雰囲気の中から、上流公家の雅やかな文化や近衛家の格式の高さを感じることができるでしょう。
写真:麻生 のりこ
地図を見る畳廊下を邸宅の奥へと歩いていくと、左手に茶室があります。茶室部分は手前に3畳の次の間が、そして襖を開ければ6畳の茶室。一の間と同じように床框が高く、床前が手前座となる「亭主床」と呼ばれる構成です。
室内には公家の茶室らしく花釘や、床の脇壁には花明窓(はなあかりまど)が用いられています。茶室への出入り口となる躙り口(にじりぐち)は2枚1組の障子に見えますが、実は上下に分かれていて下の障子を上げることにより外から出入り可能となります。この茶室で貞姫もお茶を嗜んだかもしれませんね。
写真:麻生 のりこ
地図を見る書院や畳廊下から外を眺めると、木立の向こうにはお城が見えます。これは西尾城ではなく1996年(平成8)に復元された本丸丑寅櫓。西尾城は全国的にも珍しく、二の丸に天守が築かれていました。現在は天守台跡が残されています。
庭には白砂利で水の流れを表現した枯山水も。晴れた日には日差しを受けて白砂利がまぶしく照り返し、まさに水のよう。外へ出てのんびりと散策も楽しめます。
枯山水部分近くには白砂利で表された西尾城の遺構の1つ・丸馬出(まるうまだし)跡が残されています。この丸馬出は戦国時代末期の16世紀後半に築かれたとのこと。庭園の風景に馴染んでいるので見落とさないように、ご注意を。
緑豊かな公園内に建つ「旧近衛邸」は、明治時代に入り近衛家の手から離れ宮家の別邸となりました。さらに紆余曲折を経て現在地へ移築再建されました。
遠く鹿児島から京都の公家へ嫁いだ貞姫ゆかりの数寄屋造りの書院に座り、西尾特産の抹茶を楽しみながら贅沢なひとときを過ごしてみてはいかがでしょうか。
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(2024/4/27更新)
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