ベーリック・ホールはイギリス人貿易商のB.R.ベリック氏の邸宅として、1930年に建てられました。広大な敷地に建つ大きな屋敷にはベリック氏と奥さま、そしてご子息の3人が暮らしていたのです。
第2次大戦の影響でベリック一家は10年ほど暮らした館を後にし、カナダへと移住してしまいます。終戦から10年余り経った1956年、館は遺族によって宗教法人カトリック・マリア会に寄付され、2000年までセント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使われていました。その後、横浜市に寄贈され2002年に一般開放されました。
館はスパニッシュスタイルをベースとしており、外壁のスタッコ壁、クワットレフォイルと呼ばれる四つ葉型の小窓、正面の三連アーチ、煙突の上にもあしらわれている瓦屋根など、邸内に足を踏み入れる前から見どころがたくさん!スパニッシュスタイルは建築当時、アメリカ南西部を中心に流行していたため、その姿を見ているとまるで外国の高級住宅街に迷い込んだかのような錯覚を覚えます。
1階は居間や客間、パームルームと呼ばれるサンルーム兼休憩室などが並ぶ、おもてなし空間になっています。邸内に入ってまず目に入る居間はその広さ、美しさにため息がこぼれてしまいました。この場所の注目ポイントは、パームルームに設えられた壁泉です。使われているタイルは京都の泰山で焼かれたオーダーメイドという貴重な逸品です。ライオンが目印のこの壁泉は建物外壁にも付けられているのでぜひ探してみてください。
ダイニングは重厚な化粧梁の組み天井、飾り棚を置くためのアルコーブ(くぼみ)など、モーガンの住宅建築の特徴をいくつも見ることができます。壁は何度も塗り重ねられており当初の色が分からない状態になっていましたが、横浜市が修復工事を行ったときに塗装を丁寧に剥がしていったところ最後に淡緑色の壁が出てきました。ベリック氏が暮らしていた当時のその色は、ダイニングの暖炉の上に見ることができます。
2階は4つの寝室と3つの浴室を有するプライベート空間です。子ども部屋の壁はひときわ美しく印象的な、濃いペパーミントグリーンになっています。これはフレスコ画の技法で塗られたものです。この技法は漆喰が乾くまでに色を塗らなければならないため、スピードが勝負となります。
子ども部屋の壁はこの技法に長けた美術大学の先生と学生たちの手によって、修復が行われました。部屋の壁に触ることはNGですが、構造の説明用に作られたサンプルが展示してあり、そちらは自由に触れることができます。ぜひフレスコ壁の滑らかな感触を体感してみてください。
浴室は子ども用、客用、夫婦用と3つあるのですが、それぞれ壁のタイルや浴槽の色などが違っており、細部にまで住む人、滞在する人のことを考えて丁寧に作られた邸宅ということが伝わってきます。なかでも客用の浴室はブルーを基調としており、1枚ごとに色合いが微妙に違う壁のタイルは、まるで宝石のような美しさです。
4つの寝室でいちばん広いのは夫人の部屋です。シューズクローゼットも完備しており、ベリック氏の妻に対する愛情を感じることができます。その婦人寝室にはサンポーチが併設されているのですが、そこからは大正時代に造られたエリスマン邸、そして明治期に建てられた山手80番館の遺構が見えます。
山手80番館は、関東大震災の被害を受けて基礎部分だけを残し壊れてしまいましたが、往事を偲ぶものとして横浜市はあえて屋敷跡をそのまま残しました。そのためベーリック・ホールのサンポーチは明治・大正・昭和、3つの時代に建てられた洋館を一度に体感できる場所になっているのです。
横浜山手「ベーリック・ホール」までのアクセスはみなとみらい線「元町・中華街」駅、6番出口(アメリカ山公園口)から徒歩8分、バスを利用の場合はJR「桜木町」駅から、神奈川中央交通バス11系統で「元町公園前」下車徒歩1分となります。
横浜市が管理・無料公開している山手の洋館は全部で7館。そのすべてに女性館長が配されており、誰かの家を訪ねたときのようなおもてなしで迎え入れてくれるのが特徴です。ベーリック・ホールの隣には、近代建築の父と呼ばれる名建築家アントニン・レーモンドによる「エリスマン邸」もあります。ベーリック・ホールを訪ねた際には、ゆっくりと山手の洋館めぐりを楽しんでみてはいかがでしょうか。
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(2024/4/26更新)
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