2泊3日で巡るみちのく「四寺廻廊」で特別な御朱印と色紙を手に入れよう!

2泊3日で巡るみちのく「四寺廻廊」で特別な御朱印と色紙を手に入れよう!

更新日:2016/10/13 17:40

彰 伴治のプロフィール写真 彰 伴治 温泉ソムリエマスター、平泉世界遺産ネット検定1級、三陸鉄道ネット検定1級、岩手おもてなしネット検定1級
東北には数多くの名刹・古刹がありますが、その中に比叡山延暦寺の高僧「円仁」が開き後に松尾芭蕉が訪れたお寺が四つ存在します。それは山形県「立石寺」、松島の「瑞巌寺」、そして平泉の「毛越寺」と「中尊寺」です。この四つのお寺を廻り御朱印を集めると最後のお寺の御住職の色紙が頂けるのが「四寺廻廊(しじかいろう)」。専用の御朱印帳に専用の御朱印そして特別な色紙が頂ける、とてもありがたい巡礼の旅をご紹介します。

「四寺廻廊」とは

「四寺廻廊」とは

写真:彰 伴治

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日本仏教の母なる山である比叡山延暦寺の高僧であり、死後日本で初の大師号・慈覚大師の諡号(しごう)が授けられた「円仁」は、平安時代の815年(弘仁六年)21歳の時に出家した後、864年(貞観六年)に70歳で亡くなるまでの間、何度もみちのく東北を訪れ数多くのお寺を開きました。

「四寺廻廊」の対象となる四つのお寺はそれぞれ、日本三景松島の「瑞巌寺」が828年(天長五年)、世界遺産平泉の「毛越寺」と「中尊寺」が850年(嘉祥三年)、そして山寺の愛称で親しまれる山形県の「立石寺」が860年(貞観二年)の開山です。

そして円仁が没してから約800年の後、江戸時代の1689年(元禄二年)に「おくのほそ道」で知られる「松尾芭蕉」は弟子の曽良と共にみちのくを旅し、6月27日に瑞巌寺、6月29日に毛越寺と中尊寺に、そして7月13日に立石寺に参拝しました。

これらの四つのお寺に参拝し「専用の御朱印帳」に「専用の御朱印」を頂いて廻るのが四寺廻廊。四つ全てを廻ると結願(けちがん)し最後のお寺の「御住職の色紙」が頂けます。この旅は特別な御朱印や色紙が頂けるとてもありがたい旅であるだけでなく、江戸時代に芭蕉が旅した足跡を辿るロマンの旅でもあります。

四寺廻廊は山形、宮城、岩手の三県にまたがるので、時間に追われないためには三日間で廻るのがお勧めです。今回は二泊三日を想定したルートでご案内致します。

まず始めに慈覚大師円仁が眠る「山寺 立石寺」へ

まず始めに慈覚大師円仁が眠る「山寺 立石寺」へ

写真:彰 伴治

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四寺廻廊ではお寺を廻る順番に決まりはありませんが、最初に参拝するお寺としては「立石寺」がお勧めです。東京駅6:32発の新幹線に乗り、仙台駅で8:15発の仙山線快速に乗り換え「山寺駅」到着が9:13。駅から登山口(立石寺では境内入口を登山口と言います。)までは徒歩7分です。1000段を超える石段を登るので参拝には3時間は見ておきたいところです。

山寺の愛称で親しまれるこのお寺は、開祖である円仁の遺骨が「入定窟(にゅうじょうくつ)」に安置されている、四寺の中でも最も深いゆかりのあるお寺です。また、芭蕉は「閑さや 岩にしみ入る蝉の声」の名句を残しました。1000段を超える石段の参道の途中に、この句をしたためた短冊を埋めて石塚を建てたせみ塚があり句碑が建てられています。

四寺廻廊では最初に参拝したお寺で御朱印帳を頂き旅をスタートします。立石寺では登山口から76段石段を登ったところにある根本中堂の御朱印所で頂きます。

参拝後は翌日参拝する「瑞巌寺」がある松島まで電車で移動しホテルに宿泊します。山寺駅から仙山線で仙台駅まで戻り、仙石線に乗り換えて瑞巌寺最寄駅の「松島海岸駅」までの所要時間は約2時間です。

松島ではチェックインまで時間に余裕があれば"円通院"や"五大堂"などを楽しまれると良いでしょう。瑞巌寺は閉門時刻が早く10月は16:30、11月は16:00、12月は15:30で、閉門の30分前までに入らないといけないので時間に余裕がなく、二日目に参拝されることをお勧めします。

伊達政宗が再興した「瑞巌寺」

伊達政宗が再興した「瑞巌寺」

写真:彰 伴治

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二日目は日本三景松島の「瑞巌寺」に参拝します。

円仁は3000名もの学生や堂衆を引き連れこのお寺を開きますが、その後一旦荒廃してしまいます。しかし伊達正宗がこの地を治める様になると、その重要性が見直され桃山文化の粋を集めた伽藍が再興されます。四寺廻廊の御朱印の材料となった臥龍梅(がりゅうばい)の木は、伊達正宗が朝鮮出兵の際に鉢植えにして持ち帰り、当寺落慶の際に自ら手植えしたものです。

松島では芭蕉の弟子の曽良が「松島や 鶴に身を借れほととぎす」の句を残しています。芭蕉が「松島や ああ松島や松島や」と詠んだという説がありますがこれは間違いで、この句は後に別人により詠まれたものです。しかし、芭蕉が松島のあまりの絶景に句が浮かばなかったというのは事実の様です。

四寺廻廊の御朱印は、境内有料エリアに入ってすぐの受付にある御朱印所で頂けます。

瑞巌寺参拝後は松島の他の名所・旧跡や遊覧船などを楽しんだ後、平泉へ移動しホテルに宿泊します。平泉へは東北本線で「松島駅」から一ノ関駅を経由し「平泉駅」まで約2時間〜2時間30分の電車の旅となります。もし平泉にホテルが確保できない場合は、一関に宿泊しても旅に支障はありません。

平泉に到着後時間に余裕がある場合は、毛越寺、中尊寺と並ぶ世界遺産構成資産である"観自在王院跡"、"無量光院跡"、"金鶏山"などをご覧になられると良いでしょう。

「芭蕉直筆の句碑」がある「毛越寺」へ

「芭蕉直筆の句碑」がある「毛越寺」へ

写真:彰 伴治

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三日目は世界遺産平泉の「毛越寺」と「中尊寺」に参拝します。

二つのお寺のうち先に参拝したいのは毛越寺。中尊寺は月見坂という急な坂を上らないといけないので朝食後すぐには不向きなのと、初めての四寺廻廊で結願したい理由があるので、どちらが先かと言われれば毛越寺が先ということになります。中尊寺で結願したい理由は、この後の中尊寺の説明の中に記載します。

毛越寺は、円仁がこの地を訪れた際に山中で白鹿の毛を見つけ、それを辿って行ったら薬師如来の化身が表れて寺を作る様お告げがあったとの言い伝えが残っています。また芭蕉は毛越寺の管理下にある義経終焉の地"高舘義経堂(たかだちぎけいどう)で「夏草や 兵どもが夢の跡」の句を残していて、境内には「芭蕉直筆の句碑」があり手水社の隣にたっています。

四寺廻廊御朱印は、山門を入ってすぐのところにある御朱印所で頂けます。

「金色堂」のある「中尊寺」で結願

「金色堂」のある「中尊寺」で結願

写真:彰 伴治

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毛越寺参拝後は徒歩で「中尊寺」へ向かいます。所要時間は約20分です。

毛越寺と同じ年に円仁によって開かれた中尊寺。世界遺産平泉の中心でありなんといっても国宝建造物第一号「金色堂」の美しさは素晴らしく、覆堂(おおいどう)の無い時代に中尊寺を訪れた芭蕉は、雨の中でも金色に光輝くお堂を見て「五月雨の 降残してや光堂」の名句を残しています。

四寺廻廊は円仁が開き芭蕉が歩いたお寺を巡る旅です。円仁が眠る立石寺から始まり、芭蕉がその目で見て名句を残した金色堂がある中尊寺で結願する、これが初めての四寺廻廊に最もふさわしく、また移動に効率的なルートでもあるというのが中尊寺で結願したい理由です。

中尊寺では本堂脇の御朱印所で御朱印を頂きます。これで四寺廻廊は結願し写真の色紙が頂けます。色紙はそれぞれお寺毎に文字が異なっていて、立石寺は「忍」、瑞巌寺は「鼎」、毛越寺では「夢」です。熱心な方の中には順番を変えて4回廻り、すべての色紙を頂いている方もいらっしゃいます。

中尊寺から平泉駅までは徒歩約20分、駅からは東北本線で一ノ関駅まで、一ノ関から新幹線に乗り換えとなります。平泉駅15:25発一ノ関行きに乗れば18時台に東京駅に到着できます。

「四寺廻廊」で特別な御朱印と色紙を頂く。

いかがでしたか?
四寺廻廊は他の巡礼では絶対に手に入らない特別な御朱印と色紙が頂ける旅です。是非みちのく東北を代表する四つのお寺を巡り、芭蕉と曽良の句を思い出しながら平安から江戸の時代に思いを巡らせ、特別な思い出も一緒にお持ち帰り下さい。

今回は初めてのルートとして立石寺、瑞巌寺、毛越寺、中尊寺の順番でご案内しましたが、四寺廻廊にはお寺を廻る順番に決まりはありませんので、二回目からはご都合に合わせてアレンジして頂ければと思います。

また、今回は二泊三日を想定してのご案内でしたが、お寺の参拝時間を短縮し周辺観光を省略すれば土日の二日間でも廻ることができます。その際はお寺の閉門時刻に十分注意するとともに最低限本堂には参拝し、くれぐれも御朱印だけを頂いて帰るなどという本末転倒な旅にならない様に心がけをお願い致します。

なお、瑞巌寺は平成30年3月頃まで平成の大修理が行われていて、拝観が制限されている部分がありますので、お出かけ前に関連MEMOに記載した公式ホームページでご確認されることをお勧めします。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/10/01−2016/10/10 訪問

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