写真:松縄 正彦
地図を見るストーンサークルといえば英国のストーンヘンジ“を思い浮かべる方もおられるでしょう。しかし、我が国にも北海道から三重県まで176ヵ所ものストーンサークルがあるのです。
中でも秋田県には74ヵ所、次の北海道に29ヵ所・・と、秋田県は圧倒的な多さを誇っています。中でも「大湯環状列石」はその代表で、日本のストーンサークルとして特別史跡第一号(昭和31年)となりました。また、作られたのは4,000年前です(日本のストーンサークルは6,000年前から作られたといわれますが、頻繁に作られたのは3,000年前頃といわれます)。
大湯環状列石には、万座と野中堂という2つのサークルがあります。写真は万座ストーンサークルで、最大直径は約52mです(野中堂は44m)。また写真のように後述の“組石”で二重のサークルが作られ、“日時計状組石”が中心から見て北西方向に作られています。ちなみに万座と野中堂の2つのサークルのの中心と、各々の日時計状組石は一直線に並び、ほぼ“夏至の日没”方向を指しています。
数多く見つかっているストーンサークルですが、何のために作られたのか、という点については残念ながら分かっていません。この他にも不思議な点が多くあります。これから大湯ストーンサークルの不思議をご紹介しましょう。
写真:松縄 正彦
地図を見る大湯環状列石では、使用されている石(7,200個以上)の95%が”淡い緑色の石“(石英閃緑ひん岩:写真)で、5〜6kmもはなれた安久谷川からわざわざ運ばれました。なぜ緑色にこだわったのでしょうか?これが分かっていないのです。
しかし、ここのサークルでは、数個から20個程度の石を組み合わせた”組石“が円形に並べられ、この組石の下に死者が眠っていました(ストーンサークルには死者が眠っていないものもあります)。
厳しい冬を過ぎ、春になれば木々に緑の若葉が再生しますが、ひょっとすると、眠っている死者の再生を願い、その象徴として緑の石を使用したのでは?という説があります。またこの組石ですが、男女や成年・未成年などによって形(円形、方形、楕円やひし形など)が異なるといわれます。
緑の石、果たして再生を願ったものなのでしょうか?ストーンサークルを見て、この謎を解いてみませんか?
写真:松縄 正彦
地図を見るところで、大湯ストーンサークルからは不思議な物が出土しています。近くの「大湯ストーンサークル館」に展示されていますので、見てみましょう。
まずは写真の土製の板(土版:どばん)に注目です。タバコの箱ぐらいの大きさの板ですが、板の表面の“孔“を見て下さい。真ん中少し上に大きな1つの孔があります。また下部の向かって左手に3つ、右手には4つの孔が穿かれています。実は写真の面には数字の1〜5に対応した孔が穿かれ、裏面にも6つの孔が穿かれ、土版全体で数字の1〜6に対応した孔があるのです。
この土版は何なのでしょうか?数字表示板でしょうか?ルールさえ決めておけば電卓としても使えそうですが、実はこれも良く分かっていないのです。
ところで、土版の下部中央を見て下さい。コの字形の溝が彫られています。実はこの土版は“人体が表現”されており、コの字部は人体の“股部”、上部の大きな1つの孔が“口”、その上の数字の2に対応する孔が“目”なのだといわれます。人体として見ると、ちょっとカワイイ顔をしており、NHKBSのキャラクターの“どーもくん”に似ているようです。
一説によれば、縄文時代には建物を作るときに4.2mの“尺度”を既に用いていたともいわれます。これが正しければ、この土版は、実用というよりは、1〜6までの数字を誰かに、キャラクター付きで易しく教えるため、あるいは緑の石を運ぶ時に、1人分の運ぶ石の数を指定するために使われたのかもしれません。いずれにせよ人型と数字を組み合わせるとは不思議な土版です。
写真:松縄 正彦
地図を見る面白い模様の土器も出土しています。S字形の文様が入り組んで連続(入組文)し、かつ帯状パターンの中に縄目模様(帯縄文)が付けられた土器です(写真)。このような文様の土器は“大湯式土器“とされています。
通常の縄文土器では、特定の帯形を選んでその中に模様をつける事はしませんが、どのような意味があるのでしょう?正確にはこれも分かっていません。
最近の説では“注連縄は2匹の蛇を象徴”している、あるいは“渦巻き模様や蛇は生命や再生を意味”しているともいわれ、縄・蛇・渦巻きが関連している可能性があります。ひょっとすればこれらの模様は“蛇“の形をアレンジしたり、渦巻き模様を変形したものなのかもしれません。
こう考えると、死者が埋葬されたストーンサークルから出土した事と意味が整合するようにも思われます。皆さんも土器を見ながら想像してみて下さい。
この他にも、大きな4つの飾りがついた迫力のある深鉢形土器や“土器の内側に文様が描かれた”珍しい浅鉢式土器なども展示されています。
写真:松縄 正彦
地図を見るところで万座ストーンサークルの北西側に“5本柱の建物”が“東”に口を開けて建てられています(写真)。この建物中心の地面で火を焚いた跡も見つかっているのですが、この建物の目的がやはり良く分かっていません。
写真のように5本柱は短めの木のサークルで囲まれています。まさにここは“ウッドサークル”になっているのです。ストーンサークルの横にウッドサークルがあるとは不思議です(日本のウッドサークルは石川県から富山県にかけてのみ見つかっています)が、サークル内で何をしていたのでしょうか?
皆さんならこの建物をどう考えられますか?お盆の踊りのように死者を迎え、また送り返すためにここでお祭りをしたのでしょうか?
ストーンサークル館には夏至や冬至の太陽の動きを示す展示もありますので、方角などもぜひ参考にして、この建物の意味を解明してみて下さい。
大湯のストーンサークルはこのように謎だらけです。しかしここは死者を祀った特殊な場所。ストーンサークルの周りでは掘立柱建物の跡が見つかっており、ここで祭祀を行っていたといわれます。緑の石で死者の再生を願ったストーンサークル。ここは4,000年前,縄文の人々が特別の儀式を行う聖地”だったのかもしれません。
ここでいろんな不思議を体験し、縄文の謎解きに挑戦してみてはいかがでしょう。
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(2024/4/25更新)
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