ポーランドの世界遺産ワルシャワの町!ショパンの面影を訪ねて

ポーランドの世界遺産ワルシャワの町!ショパンの面影を訪ねて

更新日:2016/09/27 16:14

Hiroko Ojiのプロフィール写真 Hiroko Oji ヨーロッパ一人旅愛好家
北はバルト海に面し、南は山脈に隔てられ、ドイツやチェコなど7カ国と国境を接するポーランドは、緑溢れる大平原の国。この国で生まれたのが、フレデリック・ショパンです。

前期ロマン派音楽を代表する作曲家で、ピアニストとしても名を知られ、作曲のほとんどをピアノ独奏曲が占めるため、「ピアノの詩人」とも呼ばれています。彼の生家がある村はワルシャワ郊外ですが、ワルシャワ市内には彼に因んだ見所が散在しています。

ショパン一家の暮らした建物は宮殿ばかり?!

ショパン一家の暮らした建物は宮殿ばかり?!

写真:Hiroko Oji

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ポーランドの世界遺産ワルシャワは、16世紀にクラクフから首都が移されて以来、派手さは無いけれどカラフルで美しい建物が残されてきました。この町並みは、第二次世界大戦でことごとく破壊され尽くしたのですが、ワルシャワ市民の情熱の下で、見事に復元され、今では、17世紀から18世紀にかけてのゴシック様式やバロック様式の建物が、当時そのままの姿で建ち並んでいます。その中に残る、ポーランドが生んだ大作曲家ショパンに纏わるスポットを巡ってみましょう。

ワルシャワ郊外のジェラゾヴァ・ヴォラ村で生まれたショパン。生後7か月の時に、彼の父がワルシャワ学院でフランス語を教えることになり、ワルシャワ市内に移り住みました。また彼自身も学院で学ぶこととなって、ショパン一家は市内のいくつかの場所で暮らすことになりました。その時の建物が、宮殿として残されているのです。というより、宮殿に住むことができたショパン一家の地位が、いかに重要だったかが偲ばれます。

一家は、最初、ワルシャワ学院のサクソン宮殿の庭園に住んでいたのですが、学院が今のワルシャワ大学に移動することとなり、住居もその隣にあるカジミエーシュ宮殿にお引越し。その後も、クラシンスキ公園内に建つクラシンスキ宮殿(写真の建物です)の南館やクラクフ郊外通りの美術アカデミーとなっているチャプスキ宮殿などへ移り住んでいくこととなりました。今ではそれぞれが宮殿としての立派な建物として残されています。

ショパンに最も縁のある教会「聖十字架教会」

ショパンに最も縁のある教会「聖十字架教会」

写真:Hiroko Oji

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39歳という若さでこの世を去ったショパンに縁のある教会が、ワルシャワ市内、新世界通りからクラクフ郊外通りへと名が変わったすぐ近くにあります。ワルシャワ大学の南、地動説を唱えたコペルニクス像の向かいに建っている教会が、聖十字架教会なのです。

緑の屋根をもつ二つの塔があり、白とクリーム色が美しい外観のデザインを設計したのはユゼフ・べロッティ。そのデザインを基にユゼフ・フォンタナとヤクブ・フォンタナが建てた教会です。教会内は、四角いどっしりとした白い柱で3身廊に隔てられ、白地の壁には、金銀をふんだんに使った荘厳で美しい祭壇が並びます。ショパンの幼少期から、一家がずっと通い続けていた教会です。

ショパンの心臓が埋まる柱を見つけよう!

ショパンの心臓が埋まる柱を見つけよう!

写真:Hiroko Oji

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ポーランドを離れ、最終的にはパリを拠点に音楽活動をしていたショパン。彼の死後、聖十字架教会には、遺言によって彼の心臓だけが生まれ故郷のワルシャワに持ち帰られ、埋められました(ショパンのお墓はフランスのパリにあります。)アルコール漬けの心臓が壺に入れられて埋め込まれているのが、この写真の柱です。金色の神々しいばかりの主祭壇の左側、2番目の柱で、「ショパンの心臓、ここに眠る」という文が刻まれた、胸像付きのプレートが飾られています。

教会の上の階では、ショパンのみならず、ポーランドの多くの著名人のお墓もあり、追悼文などが刻まれ、墓碑銘も見ることができます。

バロック様式のオストロフスキ宮殿は「ショパン博物館」

バロック様式のオストロフスキ宮殿は「ショパン博物館」

写真:Hiroko Oji

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「ショパン博物館」といえば、郊外のジェラゾヴァ・ヴォラ村にあるショパンの生家を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。しかし、このワルシャワ市内にも、「ショパン博物館」なる建物があるのです。

ショパン博物館は、ワルシャワ中央駅の一つ東側にあるワルシャワ・ポヴィシレ駅の北、カジミエーシュ宮殿とのちょうど中間あたりにあるオストロフスキ宮殿内に設置されています。オストロフスキ宮殿は17世紀、クラクフの騎士オストロフスキが建てたバロック様式の建物です。

ショパン協会が運営する館内には、ショパンが最後に使ったプレイエル製のピアノをはじめ作品・手紙・当時のパスポート・家具、さらには恋人だったジョルジュ・サンドの髪の毛などまで、2500点以上もの資料や写真が残されています。1・2階が博物館となっており、3階はコンサートホールとして利用されています。入館は予約制なので、メール(英語)で事前予約が必要です。

ショパン像が佇む「ワジェンキ公園」は市民の自慢の種

ショパン像が佇む「ワジェンキ公園」は市民の自慢の種

写真:Hiroko Oji

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ヨーロッパで最も美しい公園の一つに挙げられているのは、中心地の南方に広大な敷地を持つ「ワジェンキ公園」。ワルシャワ市民にとって自慢の、憩いの場となっている公園です。

18世紀、ポーランドの最後の王の命によって、30年もの歳月をかけて造営された公園です。公園内の池の畔に建つ、優美な姿のワジェンキ宮殿は、王の夏の離宮として建てられました。ワジェンキとは、“浴場”の意味を持つ言葉で、この離宮をはじめ園内に散在する離宮には、素晴らしい浴場がたくさんあります。

ここで、ショパンファンにとって忘れてならないのが、アールヌーヴォー様式の枝垂れ柳のそばに腰かけるショパン像!1926年に建てられたもので、緑とバラに囲まれた池の傍らにたっています。のんびりとお散歩したり、ベンチに腰掛けてゆったりとしたひとときを過ごすのに、最適の公園です。

悲劇に翻弄されたワルシャワですが・・・

9世紀に統一国家が誕生後、分割されたり、他国による占領を受け、一時は国土がなくなることもあったポーランド!第二次世界大戦では、壊滅状態にもなった悲劇の歴史を持つ国です。その中で、首都ワルシャワは、市民の、記録を頼りに「煉瓦の壁の罅1本までも忠実に」と目指した不屈の精神で見事に復興を果たし、1980年には、「ワルシャワ歴史地区」として世界遺産の町並みとして登録されました。

大戦中は、重要な美術品をはじめ、旧王宮の価値の高い調度品、ショパンの心臓などは、それぞれ国外に持ち出されたり、別の場所に保管されたりしたおかげで、現在も無事に残っているのです。そういった人々の多大なる苦労があったからこそ、世界遺産ともなった!と言えるでしょう。

新しいけれども古い「ワルシャワの歴史地区」で、ショパンの面影を求めて彷徨うのも、いいものではないでしょうか。

掲載内容は執筆時点のものです。 2005/07/28−2005/07/31 訪問

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