うだつも駕籠も!広重が描いた東海道が残る名古屋「有松」は歴史と絞りの街

うだつも駕籠も!広重が描いた東海道が残る名古屋「有松」は歴史と絞りの街

更新日:2021/02/23 12:07

名古屋駅から名鉄本線乗車約20分。名古屋市有松には歌川広重が描いたままの旧東海道の街並みが残っています。軒先にかかる有松絞りの「のれん」が風に揺れると、いつの間にか江戸情緒や明治初期の雰囲気が漂います。約800メートル続くこの街には、江戸時代に大名や将軍も絞りをもとめ立ち寄った豪壮な町家が並びます。そんな有松の見どころをご紹介します。

有松駅は、旧東海道有松の街並みと桶狭間古戦場への出発点

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有松駅に到着すると、すぐに目に入るのが有松と桶狭間古戦場の文字。桶狭間もここから約2km。駅から50mほど県道237号を南へ下ると、旧東海道有松の街並み(県道222号)を東西二分する交差点。左手(東)へ入るとすぐに絞り商・中濱商店(国登録有形文化財)の蔵と大店が目に入ります。

有松駅は、旧東海道有松の街並みと桶狭間古戦場への出発点
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近づいていくと江戸情緒が漂ってきます。のれんの手前で是非立ち止まってみて下さい。馬をつないだ、「馬つなぎ環」が柱についています。

服部邸「井桁屋」で江戸時代にタイムスリップ!店内には驚きの・・・

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更に50mほど東へ進むと、大店・井桁屋「服部邸」。旧東海道は、ゆるやかな登りと共に蛇行し、タイムスリップするように江戸情緒を満喫できます。服部邸は、手前の塀から写真中央の絞り商店、向こう側のなまこ壁の蔵までの広大な敷地を誇ります。うだつが店の建物両側に上がっています。かつては、名鉄電車の向こう側まで敷地が続いていました。

服部邸「井桁屋」で江戸時代にタイムスリップ!店内には驚きの・・・
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「商い中」の看板が出ていたら格子戸を開け中に入ってみてはいかがでしょう。屋号の「井桁」がかり、のきの右上端の瓦の文様が家紋です。家紋入り陣笠を店内で見ることができます。カラフルな絞りの小物や、アクセサリー類のほか、お気に入りの反物から浴衣を仕立てることもできます。井桁屋は、有松有数の大店、築220年の店内は、天井を太い梁が何本も行き交い、県指定文化財です。

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更に見上げると、陣笠の上に駕籠が2台。その上は明り取りの天窓から天然光が差し込み、工夫された構造です。当家に嫁いだ方たちが乗ってきた駕籠が展示されているのです。店内を見せていただくととても得した気分になれますので、立ち寄ってみて下さい。

徳川将軍や大名が通った町家

徳川将軍や大名が通った町家
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駅から南下した県道237号と旧東海道(県道222号)の交差点から西へ入ると、50m程で、明治になって有松の開祖・竹田庄九郎の店を継いだ竹田嘉兵衛商店の大店(写真)です。市指定文化財です。幕末に将軍家茂が2度立ち寄り絞りを買い求めたことで有名です。有松の町家の特徴は、「間口は狭く、奥行きは深い」でなく、「間口も広く、奥行も深い」という豪壮さ。特に、大小大名が来店するので商売用玄関とは別に、大名を招き入れる玄関(次の写真)があること。町屋では蔵は通常敷地奥深くありますが、有松では蔵は間口の広さを競うように、旧東海道に面しているものもあります。

旅籠が無かった有松は「茶屋集落」と呼ばれていますが、大名が立ち寄る際に、庭園や茶室に案内して茶やお茶菓子を振る舞い接待しました。こうした豪壮な町家が並ぶ有松の景色は、「これより江戸までの間、これほど見事な店はなし。東海道第一の見ものと言うべし。」の言葉が残るほどの風景でした。竹田嘉兵衛商店の壮大な屋敷の大きさをご堪能ください。

徳川将軍や大名が通った町家
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竹田嘉兵衛商店の茶室(写真)などは、通常見学できません。お祭りなどイベントの際などに一般見学できることがありますので、ご確認下さい。

広重が描いた風景がそのまま残る街並み

広重が描いた風景がそのまま残る街並み
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竹田嘉兵衛商店から50mほど西へ歩くと、広重が描いた有松の街並みが出現します。道の先に見える高速道が現代に居ることを思い出させます。写真左手、広重版画に入っている岡邸や小塚邸はいずれも市指定文化財。広重の版画では「東海道五十三次乃内四十一鳴海」ですが、「有松絞り」となっており、まさにこの場所の風景。有松絞りは開祖・竹田庄九郎が豊後絞にヒントを得て、技術の習得と新技術の開発を進め、街道筋で人気が上がって行きます。有松絞りのブレークは、尾張藩二代藩主光友(みつもと)への手綱の献上。これをきっかけに、尾張藩から代々の将軍就任時に有松絞りの手綱が献上され、全国ブランドへ飛躍しました。

広重が描いた風景がそのまま残る街並み
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広重が描いた場所は反対側から見ても旧東海道の風情が残っています。

一里塚が有松の西端にあります

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有松旧東海道の西端にある祇園寺脇に一里塚が復元されています。是非ご覧になって下さい。

おわりに

有松は、旧東海道の池鯉鮒(ちりゅう)宿と鳴海(なるみ)宿の間にあります。尾張藩が1608年に桶狭間村の支村(新村:あらまち)として移住者を募集、これに阿久比村の竹田庄九郎など29家族が応じて開かれた村です。「新村(あらまち)を作る」ところから、「あらまち」が「ありまつ」になったとも、松が多いところから「有松」になったとも言われています。家康の生母・於大の方の再婚先が阿久比村だったことで、移住者が全員阿久比村出身者だったとの推測もあり、家康や尾張藩との因縁が感じられる話です。

現在有松は、名古屋市から「有松町並み保存地区」に指定されているほか、国から「重要伝統的建造物群保存地区」にも指定され、街並みが篤く保存されています。有松にはわずか800m程の街道筋に3輌の山車があり、往時の財力が想像されます。有松山車会館は祝日など公開されていますので、是非ご覧になって下さい。

交通は、名鉄名古屋駅から20分程、下車後徒歩5分。急行は止まらず、鳴海駅で乗り換えます。車は、高速の名二環出口から1〜2分でとても便利。有松・鳴海絞会館に無料駐車場があり、絞り教室などがある有松・鳴海絞会館見学にも便利です。関連情報をMEMO欄に入れておきます。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/12/21 訪問

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