写真:やまざき にんふぇあ
地図を見る山口駅から15分ほどのところに流れている一の坂川。ここは大内弘世により京都の鴨川に見立てられたと言われています。どうしても周囲の街並みに目がいってしまいますが、この川自体も見どころの1つです。
山口駅から歩いてすぐのところにあるにも関わらず辺りには草が生い茂り、ここだけ見るとまるで里山に流れている川のようです。
さらに川に沿ってソメイヨシノが植えられており、春は川に沿って桜並木が出現します。初夏にはホタルが現れ、多くの観光客が訪れます。
写真は4月末の一の坂川の様子です。桜の時期(3月末〜4月の頭)や初夏(5月下旬〜6月上旬)をねらって訪れるともっと美しいかもしれませんね。
写真:やまざき にんふぇあ
地図を見る山口駅から一の坂川をたどっていくと、30分ほどで臨済宗の洞春寺という寺にたどりつきます。元は弘世の息子の盛見が建立した国清寺という寺でしたが、のちに毛利元就の菩提寺となり洞春寺となりました。
山門は四脚門という奈良時代から作られ始めた格式高い造りになっており、国清寺時代からの遺構とされ、重要文化財に指定されています。
大内氏、毛利氏と深い関わりがあり、この辺りの歴史を語る上では絶対に外せないスポットです。
写真:やまざき にんふぇあ
地図を見る洞春寺の隣に、瑠璃光寺という曹洞宗の寺院があります。
元々ここは、大内氏の当主だった大内義弘が建立した香積寺という寺院があった場所でした。義弘は1399年に応仁の乱を起こし足利義満と戦うも戦死します。弟の盛見は兄を弔うため香積寺に五重塔を建てることにしますが、彼もまたまもなく戦死します。五重塔はその後、1442年頃完成しました。
江戸時代に入ると、毛利輝元により香積寺が萩に移されます。跡地に山口県・仁保から瑠璃光寺が移され、現在の形になりました。
法隆寺や醍醐寺の塔と並び日本三名塔の一つに数えられ、国宝に指定されています。高さは約31メートルもあり、「大内文化」を象徴するスポットとなっています。
写真:やまざき にんふぇあ
地図を見る龍福寺は、元々市内の別の場所にあった大内氏建立の寺でした。1551年に戦争で破壊されそのままになっていましたが、1557年に毛利隆元が主君の大内義隆を弔うために再興しました。その後1881年に火災に見舞われ焼失しましたが、大内氏の氏寺だった興隆寺の本堂がここに移築され、復活を果たしました。さらに2005年から2011年にかけて大規模な修理が施され、現在に至ります。
瑠璃光寺と同じく少々複雑な経緯を持っていますが、室町時代の貴重な建築物として重要文化財に指定されています。
建物自体もさることながら、前述の洞春寺、瑠璃光寺と共に、大内氏の歴史を語る上でも大切なスポットです。
山口駅一の坂川周辺には他にも、大内弘世が京都から分霊した八坂神社、大内政弘により山口の鎮守と定められた今八幡宮など、「大内文化」を語る上ではかかせない寺社があちらこちらにあります。
ぜひ町並みだけではなく、京都に強くあこがれ代々理想の町作りを推し進めてきた大内氏の栄枯盛衰の歴史も感じながら散策してみてください。
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(2024/3/28更新)
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