写真:Hiroko Oji
地図を見る南仏の港町「マルセイユ(Marseille)」は、紀元前600年に、古代ギリシアのフォカイア人によって港が開かれました。その後、カルタゴと敵対したポエニ戦争後はローマ帝国の支配下に入り、10世紀にはプロヴァンス伯の支配下に、そして1481年にはフランス王国に併合されるなど、地中海の良港を巡る覇権争いの舞台となってきた歴史のある町。そのマルセイユも、今では、南フランスにおける貿易をはじめ、商・工業の中心地であり、フランス最大の港湾都市です。
標高150メートルの白い石灰質の丘の上に聳える「ノートルダム・ド・ラ・ギャルド・バジリカ聖堂」は、このマルセイユを代表する観光の目玉の一つ。陽光溢れる市内のどこからも、また、海の上からもその堂々たる姿を仰ぎ見られるシンボル的存在です。地元の人々からは「ラ・ボンヌ・メール」(優しい聖母さま)と呼ばれて親しまれています。
写真:Hiroko Oji
地図を見る聖堂の南側正面には、巨大な四角柱の形をした高さ41メートルの鐘楼があります。その上に高さ12.5メートルの塔があり、これを土台として、高さ11.2メートルの巨大な黄金の聖母子像が据えられています。航海に出る船乗りたちを見守り続けてきたマリア様です。
聖堂は、地下のクリプタ(納骨堂)と地上の聖堂の二層にわかれており、クリプタはロマネスク様式、地上の聖堂はネオ・ビザンチン色が強い様式となっています。
外観には、多種類の色の石材が組み合わされており、白い石材は石灰岩で、エクス・アン・プロヴァンス近郊の町で切り出されたものです。これと組み合わせて使われている緑色がかった石材は、トスカーナ産の石で、美しい縞模様が縁取り、アクセントになっています。
写真:Hiroko Oji
地図を見るロマネスク・ビザンチン様式の聖堂内には、金色を使用した美しいモザイク画が壁面や天井を埋め尽くし、白とえんじ色の大理石を使った縞模様をなす柱やアーチが並び、壮麗そのもの。モザイクはヴェネツィアのガラスでできたテッセラ(角片)を用いており、床にも幾何学模様のモザイクが施されています。
祭壇に祀られている銀色のマリア像は、パリの彫刻家ジャン・ピエール・コルトの案で、マルセイユの銀細工職人シャニュエル (Chanuel) が5年がかりで製作したものです。マリア像の後陣の半円蓋に施された煌びやかなモザイクは、金地に植物と32羽の鳥で楽園を表しています。その中心には波高い海に浮かぶ船が描かれており、その帆と空に輝く星には、マリアのМがデザインされています。
写真:Hiroko Oji
地図を見るこの聖堂の特色が、沢山の船の模型や絵画が納められていることで、地元の船乗りたちの為の寺院とも言える神聖なスポットとなっています。天井からはいくつもの船の模型がつりさげられ、壁一面には、大小さまざまな船の絵が掛けられています。
写真:Hiroko Oji
地図を見るここで、何よりも見逃せないのが、テラスからの眺め!360度のパノラマが一望の下です。建物がびっしり建ち並ぶ町並みを取り囲むように遠くには山並みが見え、とても壮観な素晴らしい眺めですが、地中海方面の眺めもお忘れなく!こちらには、デュマの小説「モンテ・クリスト泊」の主人公が無実の罪に問われ幽閉されてしまったイフ島、その奥に「最後の楽園」ともいわれる自然真っただ中のフリウル島が姿を見せています。
「ノートルダム・ド・ラ・ギャルド・バジリカ大聖堂」へは、旧港から石畳の坂道を上って行くこと20分ほどで行くことができますが、坂道を上るのはちょっと・・・という方には、市内バスやプチトラン(観光用のミニトレイン)をお薦めします。旧港そばから60番の市内バスが出ています。また、プチトランも旧港から出ており、料金とルートは違いますが、同じように「ノートルダム・ド・ラ・ギャルド・バジリカ大聖堂」まで上って行きます。
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(2024/3/29更新)
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