創建は奈良時代!見所だらけの飛騨高山「飛騨国分寺」

創建は奈良時代!見所だらけの飛騨高山「飛騨国分寺」

更新日:2016/09/05 16:33

やまざき にんふぇあのプロフィール写真 やまざき にんふぇあ 一人旅ブロガー
岐阜県・高山市の高山駅近くは城下町の雰囲気を今でもよく残しており、世界でも高い知名度を誇る観光地です。そんな江戸時代の雰囲気を残した町として知られる飛騨高山に、奈良時代の寺があることをご存知でしょうか。

その寺の名は「飛騨国分寺」。聖武天皇の発令した国分寺建立の詔で建てられました。今回は飛騨高山でも特に長い歴史を持つスポット・飛騨国分寺をご案内します。

高山城の遺構を利用。意外な歴史を持つ鐘楼門

高山城の遺構を利用。意外な歴史を持つ鐘楼門

写真:やまざき にんふぇあ

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山門をくぐるとすぐ正面には鐘楼門があります。実はこの鐘楼門、下部分は高山城の遺構を利用したものといわれています。高山城は、豊臣秀吉に命じられて三木氏を討伐した金森長近が建て始め、三代目の重頼の時に完成した城。江戸時代に幕府の天領(直轄地)となった際に取り壊されました。

ちなみに上半分は、1761年に鐘を交換した時に作られたものです。鐘楼門一つとってもちょっとしたエピソードがある辺り、さすが歴史ある町の歴史ある寺ですね。

飛騨高山で唯一の三重塔

飛騨高山で唯一の三重塔

写真:やまざき にんふぇあ

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敷地内で圧倒的な存在感を放っているのは、何といってもこの三重塔です。国分寺建立の詔で七重塔として建てられたものの、819年に一度焼失。850年代にようやく再建されますが、戦乱によりさらに二度消失と再建をくり返します。1791年には強風で倒壊しますが、1821年に信者の浄財により再建され、現在に至ります。

昔ながらの街並みが広がる飛騨高山ですが、意外にも三重塔はここにしかありません。消失と再建をくり返しながらも、飛騨高山の歴史を見守り続けた必見スポットです。

室町時代に建築!重要文化財の本堂

室町時代に建築!重要文化財の本堂

写真:やまざき にんふぇあ

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鐘楼門の奥には本堂が待ち構えています。現存する本堂は室町時代に建てられたもの。前述した金森氏により一度大修理が施され、さらに昭和29年にも解体をともなう修理が施されました。

大きな修理を経ているものの、室町時代からの貴重な建築物であり、重要文化財に指定されています。

大銀杏にまつわる少し怖い伝説とは?

大銀杏にまつわる少し怖い伝説とは?

写真:やまざき にんふぇあ

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さて、ここまでで鐘楼門と本堂、そして三重塔、合計3つの建物を紹介しました。前述した通り鐘楼門の後ろには本堂があるのですが、先ほどの鐘楼門の写真では、ほとんど本堂が見えないことに気づきましたでしょうか。

そう、銀杏の巨木が本堂を隠してしまっているのです。この銀杏には、三重塔にまつわる伝説があります。

創建当時、ここに初めて七重塔(初めは三重ではありませんでした)が建つ時、棟梁が誤って柱を短く切ってしまったそうです。棟梁の娘である八重菊という少女は父に「柱の上に枡組(木を方形に組むこと)を作ればかえって美しくなるのでは」と助言しました。無事に塔は完成しましたが、父は自分の名誉を守るため八重菊を殺して境内に埋めてしまいます。八重菊は自分の死を受け入れ、この寺の人柱となりました。

八重菊の塚の上には銀杏が植えられ、今では鐘楼門を軽く越す巨木に成長しました。この銀杏に願かけをすると母乳の出ない母親は母乳が出るようになる、この銀杏の葉が落ちると雪が降る、などといわれています。

良い話と見るか、怖い話と見るかはあなた次第です。

終わりに

他にも細かい見所としては、さわると念願のかなう石でできた願掛けさるぼぼや、その横にある、満願成就したさるぼぼをかけておく満願成就の棚などがあります。

高山駅や飛騨高山中心部からのアクセスも良く、飛騨高山観光の際には外せないスポットといえる飛騨国分寺。ぜひ一度訪れてみてくださいね。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2016/07/28 訪問

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