古代ミステリーファン必訪!日本三古碑・宮城「多賀城碑」

古代ミステリーファン必訪!日本三古碑・宮城「多賀城碑」

更新日:2016/09/06 11:10

古代東北の政治・軍事の中心地として役割を果たしていた多賀城。ここには、日本三古碑であり重要文化財でもある「多賀城碑」があります。
この石碑には、未だ解明されていない謎が数多くあります。謎の石碑「多賀城碑」を目指して、謎解きの旅へ出かけてみましょう。

平城宮跡、大宰府跡に並ぶ、日本三大史跡「多賀城跡」

平城宮跡、大宰府跡に並ぶ、日本三大史跡「多賀城跡」
地図を見る

国内には「日本三大」とつく様々なものがありますが、「日本三古碑」と呼ばれる三つの碑があることをご存知でしょうか。日本各地に点在する古代碑のうち、書道史の上から極めて重要とされているもので、栃木県・群馬県・宮城県にそれぞれあります。
宮城県多賀城市にある「多賀城跡」。ここに日本三古碑の一つ「多賀城碑」があります。

多賀城は、奈良時代から平安時代に陸奥国府や鎮守府が置かれ、11世紀中頃までの東北地方の政治・文化・軍事の要だった場所です。
西は大宰府、東は多賀城と言われ、国の特別史跡にも指定されています。

多賀城跡は、JR東北本線国府多賀城駅から徒歩10分程の見晴らしの良い高台に位置し、多賀城跡まで辿り着くと、木々の間から、多賀城市の街並みが見えます。

はるか昔の東北の中心都市

はるか昔の東北の中心都市
地図を見る

多賀城跡なので建物は残っていませんが、環境整備が綺麗にされており、政庁跡などは非常によく柱の跡が残っています。このような建物だったらしいという政庁復元模型や説明書きも随所にあり、礎石の上から当時の様子を想像し、古代ロマンを感じながら見て回ると楽しいですよ。

かなり広大な敷地で、全てを見て回ると2時間程かかります。特に見どころの多い北に位置する政庁跡から、ちょうど南に位置する多賀城碑まで、まっすぐ歩くと往復30分程度でしょう。
全体的になだらかな高低差があり階段もあるので、歩きやすい靴で行くことをおすすめします。
城内には道路も通っており、道路を横断する場所もあるので、回りに注意して歩いてくださいね。

松尾芭蕉も深く感激した多賀城碑

松尾芭蕉も深く感激した多賀城碑
地図を見る

政庁跡から多賀城南門へ向かって歩くと、すぐのところに多賀城碑があります。覆屋が建てられており、大切に保存されています。

高さ約2m、幅約1m、厚さ約50cmの大きな石碑で、歌枕で有名な「壷碑」とも呼ばれています。碑面 には、724年に多賀城が大野東人によって創建され、762年に藤原朝狩によって修造されたことを記しており、他の文献にはない貴重な情報が彫り込まれています。多賀城の造営について他に記録がなく、貴重な資料の一つであり、国の重要文化財にも指定されています。

かの松尾芭蕉も参観に訪れ、古き碑文を拝読して「世の中には変わっていくものと変わらないものがある」と非常に感激されたそうです。

未だに解明されていない、多賀城碑の謎!

未だに解明されていない、多賀城碑の謎!
地図を見る

建立から1200年が経つ多賀城碑。あまりの保存状態の良さに長く真偽論争にさらされ、未解決な謎が多い石碑です。

碑には、上部に大きく「西」の文字が刻まれており、「なぜ西と刻まれているのか」、など解明されていない点も多くあります。
平成24年に開催された、建立1250年イベント『多賀城碑の謎を探る』の際には、「天皇のいる平城宮を指している」「国際的視点での大陸からの脅威」「陰陽五行説で多賀城に割り当てられた元素」など、様々な意見が披露されています。

多賀城碑に実際に訪れ「西が意味するものは何か」想像力を掻き立て、自分なりに読み解いてみると面白いですね。

多くの謎に包まれている「多賀城碑」を目指して歩こう!

奈良時代の文字が、今なお、しっかりと刻まれている日本三大古碑のひとつ「多賀城碑」。その姿は、東北の地をどっしりと支え、私たちに何かを伝えているかのようです。

未だ多くの謎に包まれている多賀城碑を目指し、古代歴史の謎解きウォーキングで、知的好奇心を刺激してみてはいかがでしょうか。

この記事の関連MEMO

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/06/04 訪問

- PR -

条件を指定して検索

- PR -

この記事に関するお問い合わせ

- 広告 -