写真:いまづる めぐ
地図を見るリトアニア北部の都市シャウレイから16kmの距離に位置し、縦60メートル、横は40メートルから50メートルにも広がる巡礼地です。十字架の丘はリトアニアの人々だけでなく、ヨーロッパを始め多くの人々が、平和への祈りを捧げる場所として知られています。
キリスト教徒の人々が自らはじめた十字架を捧げる行為は、犠牲者への悲しみを表現するものでもありますが、無数の十字架は決して罪や死だけを意味するものではなく、信仰や愛を意味しているのです。
キリスト教徒の人々やリトアニアの人々が十字架を建てるだけでなく、世界中の人々が平和を祈る為に欠かせない場所であり、また現在ではこの無数に広がる十字架を見に、世界中の人が訪れる観光地として愛されるようになりました。
現在でも十字架を建てる人が絶えず、十字架の数は年々増えています。また、枝を使い自ら十字架を作る人もいるようです。
写真:いまづる めぐ
地図を見る行ってみるとわかるのですが、十字架の丘のまわりは田んぼや畑が広がる、ごく普通の田舎町です。そしてこの田舎町の1カ所に、無数の十字架が建てられているのです。しかしこの無数の十字架1本1本に意味があり、中にはエストニアでのフェリー大破後に建てられた十字架もあります。
十字架の丘の始まりは、1831年にリトアニアとポーランドがロシア帝国に対して起こした11月蜂起と言われています。多くの人がこの反乱により亡くなり、犠牲者の為に十字架が建てられました。また1863年の1月蜂起後にはさらに多くの十字架がこの丘に並んでいたのです。
この十字架、もちろん最初からこんなに多かったわけではなく、1900年に十字架が数えられた際は、130本でした。2年後に数えると155本あった十字架でしたが、第一次世界戦争後には50本に減ってしまいました。
しかし1938年400本、1966年にはなんと5000本にも及ぶ十字架が建てられました。現在では50000本以上あると言われていますが年々増えていくため、正確な数字はわかっていません。
写真:いまづる めぐ
地図を見る長い歴史の中で、多くの戦争や反乱で多くの人が亡くなり、犠牲者のために十字架が建てられてきました。しかし、十字架の丘は犠牲者への悲しみを示すだけでなく、二度と同じ悲しみを起こさない為に、平和や愛を祈り、象徴としている場所でもあります。
そして現在、愛のシンボルとしてリトアニアの人々を始め、世界中の人から親しまれています。
シャウレイからバスで15分から20分程で十字架の丘に行くことが出来ます。バスの間隔は1時間から1時間半に1本なので、必ず乗り場と時間を事前に確認しましょう。
リトアニアではあまり英語が通じませんが、十字架の丘に訪れる人が多いため、バスターミナルでは既に案内を記載した紙が用意されています。バスの本数も限られていますので、午前中、もしくは午後の早い時間に行くことをオススメします。
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(2024/4/25更新)
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