街道から古都奈良の歴史を知る!滝坂の道を守る石仏3選

街道から古都奈良の歴史を知る!滝坂の道を守る石仏3選

更新日:2016/08/25 14:27

日本を旅していると、色々なところで「石仏」を見かけることがありますよね。古くから人々の生活や平和を守る祈りの形は、時に恐れ多く、時にほほえましく親しみ深いものです。

そんな魅力的な石仏がたくさんあるのが、奈良県の柳生街道にあるノスタルジー漂うハイキングコース「滝坂の道」。何百年もかけて人々が踏み重ねて作った道で、あなたの旅路を照らす石仏に会えるかもしれません。

「滝坂の道」オススメの歩き方

「滝坂の道」オススメの歩き方
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滝坂の道は、奈良と柳生の里とをむすぶ「柳生街道」の一部で、柳生の名刹・忍辱山(にんにくせん)円成寺(えんじょうじ)から春日大社周辺までの約10kmの道のりです。平安から鎌倉の時代には僧侶たちの修行の場でしたが、江戸時代から昭和初期にかけては、奈良と柳生を結ぶ唯一の道として、牛や馬を使って生活用品などの物資を運んでいたそうです。
そして柳生といえば、柳生十兵衞で有名ですね。現在でも映画やドラマ、ゲームなどにも登場する江戸時代の剣豪です。その十兵衞を生んだ場所こそ、この街道先の柳生の里。この地にある道場を目指す武芸者たちの道でもありました。

滝坂の道は、歩きやすいように石畳が敷かれた街道ですが、さすがかつての修行の場…なかなかの起伏があります。道幅も広かったり狭かったり、短いですが、鎖場もあって、飽きさせない道のりです。

柳生の里を目指して歩くなら、春日大社からスタートして円成寺に向かうのがいいでしょう。ただし、もう少し楽に、余裕をもって歩きたいなら、近鉄奈良駅からバスで忍辱山・円成寺へ、そこから春日大社に向かうルートがオススメです。全体的に下りの行程となり、寄り道もしやすいのがポイント。
さあ、ルートを決めたら出発です!

癒しのほほえみ!「夕日観音」

癒しのほほえみ!「夕日観音」
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最初にご紹介するのが夕日観音です。
滝坂の道からは、目を凝らさないと見えないほど、崖の上にある石仏で、夕日を浴びるとさらに美しく映えるということから、夕日観音と呼ばれています。前に傾いたような崖の斜面に、ふっくらと彫られています。その姿はシンプルながら、優しく穏やかな面差しで、街道沿いから仰ぎ見ると、ほんのり微笑んでいるようにも見えます。
歩いて5分ほどの場所にある「朝日観音」と同じ作者と言われており、共に鎌倉時代の石仏です。看板の後ろにのびる急斜面をあがると、夕日観音に近づいて全体像を見ることもできますよ。健脚の方はぜひ。

平安の息吹を感じる「春日山石窟仏」

平安の息吹を感じる「春日山石窟仏」
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次にご紹介するのは、なんと平安時代後期の石仏!保元2年(1157年)につくられたという書名が残っています。
大仏殿を建立するための資材を探しているところ、こちらの石窟仏が発見されました。洞窟内部に彫られた石仏は全部で20体!長い年月をかけて自然へ還っていくのでしょう、完全な形の石仏はありません。
史跡として登録されたのが大正13年(1924年)。現在は金網とトタン屋根で覆われています。金網よりこちら側からでも、東西に分かれた洞窟の中にある地蔵菩薩や観音像、如来像などが確認できます。

高円山ドライブウェイから徒歩で行くこともできるので、ドライブ中の息抜きに歩くのもいいですね。車を降りて、急な階段を数段上がれば、深い自然に息づく平安時代の風を感じられるでしょう。

鮮やか!「地獄谷石窟仏」

鮮やか!「地獄谷石窟仏」
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最後にご紹介するのは、石をくりぬいてできた洞窟に、線刻された仏像が数体、しかも彩色が残っている驚異の石仏「地獄谷石窟仏」です。
これらの石仏は、同時期に彫られたものではなく、古いものは奈良時代(!)、新しいもので室町時代といわれています。春日山石窟仏と同じく損傷が激しいため、金網で保護されており、そこから確認できるのは正面の三体ですが、とにかく彩りが美しい!
残る彩色もさることながら、深く深く生えた苔がグラデーションのように広がって、石に彫られた石仏たちをあやしく浮かび上がらせます。

旅のはじまりに

滝坂の道は、長らく人の立ち入らなかった原生林を掻き分けるようにしてできた街道です。時代に取り残されたような、ある種の哀愁のような郷愁のような空気を肌で感じてください。
街道沿いの有名・無名の石仏たちが、あなたの旅路を守ってくれるから、何度でも訪れたくなるかも!

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/04/15−2016/04/18 訪問

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