力士が狛犬を支える訳は?奈良県桜井市「十二柱神社」

力士が狛犬を支える訳は?奈良県桜井市「十二柱神社」

更新日:2023/06/12 15:48

乾口 達司のプロフィール写真 乾口 達司 著述業/日本近代文学会・昭和文学会・日本文学協会会員
狛犬といえば、神社の参道の両脇に鎮座する神獣であり、ご存知の方も多いでしょう。奈良県桜井市の「十二柱神社」には、何とそんな狛犬たちを台座の下から支える力士たちがいらっしゃいます。文字通り、縁の下の力持ち!しかし、なぜ、力士なのでしょうか。今回はその理由に迫りながら、意外と知られていない「十二柱神社」の豊かな歴史をご紹介しましょう。

相撲の神様・野見宿禰ゆかりの古社

相撲の神様・野見宿禰ゆかりの古社

写真:乾口 達司

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「十二柱神社(じゅうにはしらじんじゃ)」は奈良県桜井市にある神社。近鉄大阪線と平行して走る旧初瀬街道沿いに鎮座しています。その珍しい社名は、神世七代の神々と地神五代の神、計十二柱の神々をまつっていることに由来します。

相撲の神様・野見宿禰ゆかりの古社

写真:乾口 達司

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では、この十二柱神社がどのようないわれで力士とかかわりがあるのでしょうか。それは十二柱神社のある地区が、古代、はじめての天覧試合で相撲をとったとされる力士・野見宿禰(のみのすくね)を祖としていることにちなみます。

『日本書紀』によると、天覧試合がとりおこなわれたのは、垂仁天皇の時代。野見宿禰は天皇の前で当麻蹴速(たいまのけはや)と対戦し、勝利しました。つまり、ここ、十二柱神社は、実際に取り組みのおこなわれたと伝わる同市穴師の相撲神社とともに、我が国の相撲発祥の地でもあるわけです。

十二柱神社が、日本の国技である相撲の歴史と深いかかわりを持っていたこと、ご存知でしたか?

狛犬を支える力士たち

狛犬を支える力士たち

写真:乾口 達司

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では、狛犬を支える力士たちをご紹介しましょう。

ご覧のように、狛犬の乗る台座を力士たちが四方から支えているのが、おわかりいただけるでしょう。狛犬は参道の両脇に1匹ずつ鎮座しているので、狛犬を支える力士たちの数も8人いらっしゃいます。

狛犬を支える力士たち

写真:乾口 達司

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その造形もそれぞれ異なっており、こちらは両腕を前で組み、頭で台座で支えています。

力士たちの造形の違いをじっくり観察しましょう。

狛犬を支える力士たち

写真:乾口 達司

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台座には西暦 1861年から1864年にかけて使われていた「文久」の元号が刻まれているため、力士像もそのときに造られたものと考えられます。

一字一石経を納めた巨大な石造五輪塔

一字一石経を納めた巨大な石造五輪塔

写真:乾口 達司

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珍しいのは、何も力士像だけではありません。写真は鳥居の近くに立つ石造五輪塔。鎌倉時代の作と考えられており、その高さは2メートル85センチメートル。県内第2位の規模を誇ります。

なかでも、貴重なのは、台座部分に当たる地輪に一字一石経が納められていたこと。一字一石経とは、その名のとおり、石にお経が記されたもので、五輪塔の内部におさめられているのは全国的にも珍しい事例です。

ここからも十二柱神社ならではの特徴がうかがえますね。

一字一石経を納めた巨大な石造五輪塔

写真:乾口 達司

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五輪塔はもとは十二柱神社から300メートルほど南方にあった野見宿禰塚の上に置かれていました。しかし、1883年(明治16)、農地整理のために塚が消滅したのを契機に、十二柱神社の境内に移されました。

現在、塚のあったところには、ご覧のような石碑が建立されています。

武烈天皇「泊瀬列城宮」伝承地の石碑

武烈天皇「泊瀬列城宮」伝承地の石碑

写真:乾口 達司

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十二柱神社ならではのもう一つの歴史は、当社が武烈天皇(ぶれつてんのう)の「泊瀬列城宮」(はつせのなみきのみや)があったとされる伝承が残されていること。

武烈天皇は第25代の天皇。『日本書紀』によると、裁判の公平性を確保するなどの善政をおこなう一方、妊婦の腹を割いて胎内を観察したり、爪を抜いて芋を掘らせたり、樹に上らせた人を弓で射って墜としたりと、残虐な所業を繰り返したとされています。これは武烈天皇を悪逆非道な暴君に仕立てることにより、武烈天皇によってそれまでの王権(河内王権)が断絶し、北陸からやって来た継体天皇によって新しい王権が打ち立てられたことを暗に示しているとする学説もあります。

そのような大王の宮が十二柱神社に置かれていたとは、興味深いですね。

武烈天皇「泊瀬列城宮」伝承地の石碑

写真:乾口 達司

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したがって、本殿の脇には、武烈天皇をまつった武烈天皇社も残されています。

武烈天皇「泊瀬列城宮」伝承地の石碑

写真:乾口 達司

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注目していただきたいのは、社にまつられている木製の狛犬。ユーモラスでかわいい狛犬だと思いませんか?

こちらは別に力士たちに支えられているわけではありませんが、必見です。

出雲族が暮らしていた?謎を秘めた十二柱神社

出雲族が暮らしていた?謎を秘めた十二柱神社

写真:乾口 達司

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もう一点、注目したいのが、十二柱神社のある地区の名前。写真の掲示板からもわかるように、十二柱神社は「出雲」という名の地区に位置しています。

十二柱神社の裏山には「ダンノダイラ」と呼ばれている一角があり、古代、出雲から移住してきた出雲族がそこに暮らしていたとされています。そんな彼らが里へ下りてきて定住したのが、ここ、出雲地区であったとのこと。そのように考えると、十二柱神社は、本来、出雲族の神をまつっていた神社であったのかもしれませんね。

十二柱神社の歴史と文化財としての意外な魅力、おわかりいただけたでしょうか。近鉄大阪線の沿線にあり、電車を利用してもアクセスは快適。あまり知られていない十二柱神社を訪れ、相撲の歴史や古代天皇の事跡にも思いを馳せてみてください。

十二柱神社の基本情報

住所:奈良県桜井市出雲650
アクセス:桜井市コミュニティバス「出雲」バス停より徒歩3分

2023年6月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2023/05/20 訪問

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