写真:浅井 みら野
地図を見る父親が牧師だったこと、自身の熱意もあり、20代のゴッホは聖職者のなかでも特に伝道師を強く志望しています。当時、炭鉱で栄えていたモンス近郊のボリナージュ地方へ赴いたのも伝道師になるための第一歩を踏み出すためでした。写真は1879年8月-1880年10月までゴッホが寄宿していた場所です。
破損がすすんでいたため、建物自体は改装されていますが、ゴッホが暮らしていた当時の雰囲気を忠実に再現しています。自然のなかにぽつんと取り残されたような、素朴さが感じられる一軒家ですね。
写真:浅井 みら野
地図を見るゴッホの家は3部屋に分かれ、それぞれの部屋が見学可能です。当時のゴッホの暮らしを再現した部屋もあります。窓に面した机の上には、木製の十字架が置かれ、彼の信仰に対する厚い姿勢が感じられますね。壁に掛けられた衣類や最低限の日用品から質素な生活を送っていたことも伺えます。
当時のこの地域は、炭鉱が主な産業でしたが、決して労働環境は良いものとはいえませんでした。そのなかでゴッホの話に耳を傾ける人も少なく、最終的には伝道師としての仮免許もはく奪されてしまいます。夢を絶たれたゴッホは、それでもこの地から離れることはありませんでした。
写真:浅井 みら野
地図を見る2部屋目には、ゴッホが持参した聖書やシェイクスピアなどの書籍が展示されています。手紙や残された資料から、伝道師への道を絶たれたゴッホはデッサンに一日の大半を占めていたことが分かります。同居していた坑夫一家はじめ、労働者の生活や日常風景から絵のアイデアをもらっていたのです。
デッサンを重ね、彼は将来や自身のことを考えます。そして…“私は再び力が戻ってきたことを感じた。一度落胆ゆえに手放した鉛筆をとり、絵を描き始めれば何が起きようと乗り越えられる。その瞬間から私のすべてが変わった” 画家として自分の人生を生きることを決めたのです。
写真:浅井 みら野
地図を見るゴッホの家3部屋目は、ゴッホがこの地域を暮らしていた内容を中心に映像が流れています。それ以外にも家の外に出て右手を歩けば、ゴッホの生涯や、この地域の歴史などが書かれたパネルがあり、改めて歴史を振り返ることができますよ。家の正面にも道が舗装され、並木道が訪れた人を出迎えます。家のなかを巡ったあとは、周囲を散策されてみるのもいかがでしょうか。
写真:浅井 みら野
地図を見るゴッホの家は資料館として設けられていますので、正面に建っている木造建ての新しいオフィスでチケットやお土産をご購入ください。ゴッホや周辺地域の概要も資料として展示されています。
「ゴッホの家」はモンス中心地の旧市街から西へ2km、赤レンガの家が続くクウェム村(Cuesmes)にあります。ゴッホの家は大通りに面していないので見つけにくいかもしれませんが、ゴッホの似顔絵が描いてある旗が立っていますので、それを目印にしてください。モンスには鉄道駅があり、ブリュッセルから電車(IC)で約1時間。駅目の前からクウェム村行きのバスが出ており、バスだと約10分、歩けば30分ほどかかります。
クウェム村はモンスと比べ、ゴッホの家以外の観光地もなく、人の生活があるだけです。昔盛んだった炭坑も今では寂れ、周辺は静けさに包まれています。まるで村全体がひとつの大仕事を終えたようにも感じられます。日常の何気ないシーンから絵のモチーフを得たゴッホ、その画家ゴッホの誕生にふさわしい場所です。
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(2024/4/20更新)
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