写真:乾口 達司
地図を見る神戸市西区の太山寺は、近年、ニュータウンとして大規模に開発されている「西神地区」に隣接しています。境内はニュータウンの合間に残る里山や田畑によってかこまれており、ニュータウンにとりかこまれた地であることを忘れさせてくれるほど、のどかな風景が広がっています。
寺伝によると、太山寺は藤原鎌足の子・定恵(じょうえ)によって開かれ、奈良時代初期、鎌足の孫に当たる宇合(うまかい)によって伽藍の建立と整備がなされたとのこと。以来、当地を代表する寺院として広く信仰されました。しかし、その後、衰退と復興を繰り返し、現在は龍象院・成就院・遍照院・安養院・歓喜院という5つの子院を持つにとどまっています。
山門をくぐると、真正面に見えるのが、国宝の本堂。ご覧のように、圧倒的な存在感を放つ仏堂であり、その点からも太山寺の豊かな歴史をしのぶことが出来ることでしょう。
写真:乾口 達司
地図を見るでは、本堂をじっくり観察してみましょう。境内でもひときわ高くなったところに建つ入母屋造の本堂は、鎌倉時代後期の再建。間口(桁行)7間、奥行(梁間)6間の大型仏堂で、屋根には銅板が葺かれています。
写真はその正面部分を撮影したもの。ご覧のように、7間のすべてに蔀戸(しとみど)がはめ込まれています。蔀戸は古代以来使われている伝統的な建具で、長押よりつりさげられているため、ご覧のように必要に応じて開放し、外の光を採り入れることも可能。貴族の邸宅を連想させる寝殿造の建具として目にした方も多いのではないでしょうか。
その一方、背面部分は中央に板戸がはめられている以外は土壁となっており、開放的な前面部に対して後背部が閉鎖的な空間として位置付けられていることがうかがえます。その違いは、後で説明するように、外陣と内陣との機能の違いを反映していると考えられますが、いずれにせよ、まずは古代・中世の雰囲気をいまに伝える蔀戸の並びをご覧ください。
写真:乾口 達司
地図を見る堂内に足を踏み入れると、ご覧のように、内部が大きく2つの空間に区画されていることにお気づきになるでしょう。格子戸の手前は参拝者を招き入れる外陣。格子戸の向こう側は本尊・薬師如来の入った厨子などが安置された内陣であり、いわば仏の空間。格子戸を結界として、内陣と外陣とを明確に分ける形態は中世の密教系仏堂に良く見られるものであり、太山寺の本堂はその代表的な作例とされます。
先に紹介したように、外陣と接する正面部分に開放的な蔀戸がはめ込まれているのに対して、内陣に接する後背部が閉鎖的であるのは、内陣と外陣とを分けるこの形態に由来しています。
写真:乾口 達司
地図を見る本堂正面から境内を見渡すと、目の前に大きな三重塔が立っているのが、ご覧いただけます。建立は江戸時代前期の貞享5年(1688)。兵庫県指定の文化財に登録されています。塔身には各層に彩色がほどこされており、彩色が各層でそれぞれ異なっているのも特徴の一つ。彩色の違いをご自身の目でご確認ください。
写真:乾口 達司
地図を見る本堂の右側に建つ仏堂は阿弥陀堂。貞享5年(1688)に再建されたもので、その名のとおり、堂内には阿弥陀如来座像がまつられています。阿弥陀如来座像は鎌倉時代初期の作と考えられており、国の重要文化財に指定されています。像高は2メートル74センチメートル。いわゆる丈六仏ですが、実際に拝観すると、その大きさに圧倒されることでしょう。太山寺といえば、国宝の本堂にばかり目を奪われがちですが、こちらもお見逃しなく。
太山寺の魅力、おわかりいただけたでしょうか。お車でお出かけの場合は、阪神高速7号北神戸線・布施畑西インターチェンジから数分の距離にあり、アクセスも快適。神戸市唯一の国宝建造物を要する太山寺にお参りし、その豊かな歴史と貴重な文化財の数々をご堪能ください。
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(2024/4/25更新)
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