“女一代守神”子授け・安産祈願にお勧め!秋田・大仙市「唐松神社」

“女一代守神”子授け・安産祈願にお勧め!秋田・大仙市「唐松神社」

更新日:2016/08/12 14:14

松縄 正彦のプロフィール写真 松縄 正彦 ビジネスコンサルタント、眼・視覚・色ブロガー、歴史旅ブロガー
子授け・安産祈願や子育てを願うなら秋田県大仙市の唐松神社が一番です。“女一代守神”として知られるお宮で、ご神体はなんとあの神功皇后の腹帯ともいわれます。ホームページもなく、広報活動をしていない神社ですが、ご利益は抜群。秋田県ならず全国から参拝客が訪れています。また古代豪族の物部氏と関係する伝承もあり、歴史好きの方にもお薦めのスポットです。

参道〜天然記念物の杉並木〜

参道〜天然記念物の杉並木〜

写真:松縄 正彦

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この神社は秋田県の羽後境駅から歩いて14分ほどの所にあります。二の鳥居から拝殿にいたる参道の両側には背の高い杉並木が茂っています(写真)が、これは樹齢300余年といわれ、県の天然記念物にもなっています。これらの杉は、久保田藩の第三代藩主であった佐竹義処(さたけよしずみ)によって植えられたものといわれます。

安産祈願は当社が一番〜神功皇后の腹帯と関係〜

安産祈願は当社が一番〜神功皇后の腹帯と関係〜

写真:松縄 正彦

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さてそれでは拝殿(写真)に行ってみましょう。もともと当社は、拝殿背後の唐松山山頂にあり、古くから女性に信仰されていたといわれます。しかし現在、拝殿は参道を“下った”先の台地にあります。
参道よりも低地に拝殿(本殿)がある神社は通常ほとんどありませんが、不思議な事にこの場所に下りてくると、何故か安心感があります。参道の下に拝殿が設けられている理由についてはいろんな説がありますが、階段を背に周りを見ていると、”子宮”の中で守られながら外を見ているようにも感じられます。参拝前、まずこの安心感を感じてみて下さい。

唐松神社の祭神は5柱です(MEMO欄参照)。この中で特に重要なのは、息氣長足姫命(オキナガタラシヒメノミコト)、皆さんご存知の“神功皇后”です。
応神天皇を身ごもっていながら、石を腹に当て、腹帯で巻いて冷やす事で出産時期をずらし、三韓征伐をなし終えた後に出産されたという逸話がある方です。

この命が祀られているだけでもご利益があるのですが、この神社のご神体がなんと“神功皇后の腹帯”だともいわれます(唐松山がご神体という説もあります)。
まさに安産祈願なら当社、という理由がここにあるのです。更に、前出の佐竹義処が娘の難産をみかね、当社に安産祈願したところ、無事に男子を出産できた所から、当社を「女一代守神」に指定したといわれています。古くから女性に信仰されてきた理由が良くわかる逸話です。

参道を楽しむ〜狛犬、石灯篭〜

参道を楽しむ〜狛犬、石灯篭〜

写真:松縄 正彦

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次に、参道を少し戻りましょう。
参道にはりっぱな大きな狛犬や細工が施された石灯篭があります。狛犬の胸には顔の形の飾りに鈴が付けられ(写真)、左右の狛犬の足元には玉や子供(?)が彫られています。

先ほど参拝した拝殿の中にはたくさんの“鈴”が奉納されていました。当社で子宝・安産祈願をして、無事に子どもを授かった人が、お礼に奉納した喜びの鈴だといわれます。この狛犬の胸に飾られている鈴は、この喜びの鈴を象徴しているのかもしれません。
また石灯篭には迫力満点、立派な龍が彫られています。参道に設置しておくには少しもったいない石像達です。これらを楽しみながら戻ってください。

撫でると妊娠する石?〜水豪の中にある天日宮〜

撫でると妊娠する石?〜水豪の中にある天日宮〜

写真:松縄 正彦

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参道を戻ると右手(参道から拝殿に向い左手)、社務所の手前(東側)に「唐松山天日宮(てんにちぐう、あめひのみや)」があります。このお宮も子授け・安産のご利益があります。

まずはこの宮をご覧ください(写真)。円く浅い水豪に囲まれた石組の築山上に社殿が設けられています。こんな形のお宮、初めて見ると驚かれるはず・・・。古墳の上に社殿があるようにも見えます、またこの社殿、先の拝殿とは逆で、略“西南”に向いています。

この社殿の裏に3つの形の違う“石(玉鉾石、女石、男石)”が鎮座しています。実は、これらの3つの石を廻りながら撫でる事で子宝に恵まれ、安産になるといわれているのです。
“玉鉾”は、通常、男形を象徴するお守りとされ、子宝と関係しているのですが、当社の玉鉾石は卵形です。子宝を祈願する方は社殿に参拝後、必ず撫でてください。但し男女、また子宝や安産など祈願内容で廻り方や撫でる石が違いますのでご注意下さい(社務所にて要確認)。

物部氏と関係〜宮司家〜

物部氏と関係〜宮司家〜

写真:松縄 正彦

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天日宮のご祭神は、饒速日命、玉鉾神、愛子神の3柱です。饒速日命(ニギハヤヒのミコト)は物部氏の祖といわれる神様で、愛子大神は物部氏の氏神である火結神(ホムスビノカミ)です。また物部氏は奈良の石上神宮(昔は武器庫であった)と関係が深い事で知られていますが、玉鉾神は武器であった玉鉾が転じて邪悪を祓う神になったとされ、ここ天日宮の横の丘には玉鉾大神の石碑も建てられています(写真)。

天日宮は宮司家の邸内にありますが、一説によれば、宮司家は秋田物部氏の末裔とか。実は、先ほどの神功皇后の腹帯ですが、新羅征討に一緒に参加した、物部膽咋連(モノノベノイクイノムラジ)が拝受し、当地に来てこの神社を創建したといわれているのです。
また天日宮はその昔、物部氏の祖神、饒速日命が日殿山(唐松山)に「日の宮」を造営したのが始まりで、その後この地に移ったとか。この宮が特殊なのは、このような関係が背景にあるのかもしれません。

ちなみに饒速日はまず鳥海山に天降り、日の宮を造営し、住民に神楽(当社には「蛇頭神楽(じゃとうかぐら)」が伝わっています)、呪術、医術などを教えた後、大和に移られたとか。真偽は分かりませんが、先の神功皇后といい、当社はまさに古代史のロマンが広がってくる神社なのです。

静かに伝統を守る

当社には神社紹介のホームページもなく、社務所には社史等を記載した資料も用意されておりません。物部氏との関係があるともいわれる有名な神社ですが、商業主義に走らず、淡々と歴史や伝統を守ってこられました。この奢らない姿勢が”子育てにもご利益”があるといわれる理由になっている様にも思われます。

神功皇后と関係し、古い歴史を持つ神社。唐松神社はまさに「女一代守神」、子宝・安産の神社です。じっくりとご参拝下さい。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/07/14 訪問

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