鹿沼・彼岸花に染まる花のお寺「常楽寺」(東国花の寺百ヶ寺栃木6番札所)

鹿沼・彼岸花に染まる花のお寺「常楽寺」(東国花の寺百ヶ寺栃木6番札所)

更新日:2016/08/08 17:22

栃木県鹿沼市の常楽寺は真言宗豊山派のお寺。祀られている「録事法眼(ろくじほうがん)」は、平安時代に後鳥羽上皇の病を治した功績により医名を賜った、粕尾郷の医師「中野智玄(なかのちげん)」で、”日本昔ばなし”にも登場しています。

常楽寺は、「花のお寺」と称され、境内1面を朱色に染める彼岸花は華麗です。お寺は山々に囲まれ、近くには粕尾川の清流が流れ、豊かな自然が残っています。

彼岸花の常楽寺は東国花の寺百ヶ寺・栃木6番札所

彼岸花の常楽寺は東国花の寺百ヶ寺・栃木6番札所
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関東1都6県にある花で有名なお寺で作られた「東国花の寺百ヶ寺」があります。東京は、ボタンの西新井大師や、サクラの護国寺など12のお寺、埼玉は、紅葉の西善寺や秋海棠(シュウカイドウ)の法性寺など14のお寺と、群馬、栃木、茨城、千葉、神奈川の103のお寺が参加しています。

栃木は、アジサイの吉祥寺やハナミズキの光永寺など11のお寺があり、彼岸花のお寺常楽寺は、栃木6番札所です。常楽寺のある粕尾地区は、栃木と群馬の県境にある地蔵岳の沢を源流とする粕尾川の渓谷沿いにあり、豊かな自然が残っています。

イワナやヤマメ、アユが釣れる清流と緑に染まる山々、豊かな水に支えられた圃場が広がっています。また、粕尾川沿いを通る鹿沼足尾線は、車の交通量も少なくゆっくりと散策が楽しめます。

日本ではじめて解剖をした医師!中野智玄(録事法眼)

日本ではじめて解剖をした医師!中野智玄(録事法眼)
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安蘇郡粕尾村の中野智玄医師は病を治す名人と慕われ、近隣はもとより遠方から沢山の人が訪れていました。智玄医師が40歳のころ、1人娘が病にかかりましたが自分では治すことが出来なかったため、「治らなければ帰ってこなくても良い」と治せる医師を探す旅に娘を出しました。

娘が旅に出て間もなくの夜、ある老人から「七つ葉のヨモギでお灸をすれば治る」と言われ、その通りにしたところ18日目で病が治り、家に帰ることが出来ました。

智玄は戻った娘に治療の内容を聞きましたが、疑問が晴れず本人の同意を得て身体を解剖します。それは娘の死を意味するものですが「1人の死を求めて万人が助かる」と裏山の沢で身体を調べました。この場所を子見谷沢と伝えられています。それを知った妻は智玄を許すことが出来ず、いたたまれなくなった智玄は医師修行に出ることになりました。

後鳥羽上皇の病を治し「録事法眼」の医名を賜った!

後鳥羽上皇の病を治し「録事法眼」の医名を賜った!
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修行に出た智玄は、関八州から奥州、上方から九州と日本全国にわたりました。そのころ後鳥羽上皇が病にかかり、あらゆる手立てにも関わらず回復しないため、智玄に上洛の勅命が下されました。

上洛した智玄は後鳥羽上皇の病を回復させたため、その功績により「録事法眼」の医名と薬師如来像などの品々と共に、粕尾郷の拝領を賜り領主となりました。しかし、智玄の妻は、わが子の死を受け入れられず、出家し小さな庵を立てそこに住むことになります。

常楽寺の録事堂の裏に3体の石仏がありますが、それは、智玄と妻・娘をかたどったものといわれています。医術を探求する智玄と自分の命を父に託した娘、そしてそれを後から知った母はどのような気持ちだったのでしょうか。手を合わさずにはいられません。

“日本昔ばなし”の「雷様の病気」に登場した中野智玄医師

“日本昔ばなし”の「雷様の病気」に登場した中野智玄医師
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中野智玄医師は“日本昔ばなし”に登場しています。病を治した智玄医師は雷様と2つの約束をします、そして“粕尾7不思議”として今も語られています。“日本昔ばなし”で放送された「雷様の病気」を紹介します。

智玄和尚は下野の国粕尾のお寺の住職と共に名医と言われる医師でもありました。ある夏の日、雷雨に見舞われ、雷の音から雷様の病に気が付きました。その夜、雷様が和尚を訪ね、お灸をすえてもらうと病がすっかり良くなりました。そして、雷様と2つの約束をします。

1つは「粕尾に雷を落とさないこと」、2つ目は「洪水を起こす粕尾川の流れを山側に移すこと」。これに対して、雷様は、お寺から雷除けの御札を配ればその家には雷を落とさない。川の流れを変えて欲しい場所に“サイカチの木”を植えればそこに流れを変える約束をして天に帰っていきました。その後、粕尾では、洪水の被害も雷の被害もなくなったと言われています。(写真は”サイカチの木”です)

「粕尾の七不思議」と「録事尊の村回り」

「粕尾の七不思議」と「録事尊の村回り」
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粕尾では、雷様の病気伝説や智玄医師と結び付けて「粕尾の七不思議」として伝説となっています。雷様との約束により、「雷によるケガの被害」がなくなり、「粕尾川の川筋」が変わらなくなったそうです。この地区では、人の手による治水工事業によらず、水害から免れているそうです。

この他、猫にたかった蚤を智玄医師が処方した薬で駆除したことから「蚤のたかった猫はいない」や、「クツワムシやスズムシの鳴声が小さい」は、秋の虫の鳴き声があまりにも大きく、患者などとの会話が聞き取れないため「静かに鳴け」と言ったところ粕尾の虫は小さな声で鳴くようになったそうです。

このように智玄医師にまつわる伝説が多いのは、いかに地元の人から親しまれていたかを今に伝えるものです。また、粕尾では今でも生前の智玄医師を偲び、智玄医師を“地蔵菩薩”、夫人を“聖観音菩薩”に祀り、それぞれを厨子に納め各家々を廻し祀る“録事尊の村回り”が今も続いています。(いつ頃から始まったのかは不明ですが300年以前との説があります)

粕尾川の渓谷にある常楽寺は豊かな自然に包まれています

常楽寺は「東国花の寺百ヶ寺」 の栃木6番札所の「花のお寺」です。毎年お彼岸の頃には境内1面が朱色に染まり、白いそばの花とのコントラストは見事です。また、雷様にお灸をすえて病を治したことから雷除けのお寺としても知られています。

祀られている録事法眼は、後鳥羽上皇の病を治し、雷様にお灸をすえた医術の名人を祀っている録事堂の横には薬師堂があり祀られているのは「病をすくい、災難をなくす」と誓い仏となった薬師如来です。常楽寺は無病息災のお寺でもあります。

平安時代の録事法眼を偲び「録事尊の村回り」を、今も続けている素朴な街、粕尾地区。そこに立つ常楽寺は今年も美しい花を咲かせることでしょう。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/07/18 訪問

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