富山県高岡市「山町筋でレトロな土蔵造りの町並みを楽しもう!」

富山県高岡市「山町筋でレトロな土蔵造りの町並みを楽しもう!」

更新日:2016/09/08 09:29

北陸新幹線が開業して身近になったと言われる北陸地方。
終点金沢駅の1つ前の停車駅、高岡市には、全国的にも珍しい土蔵造りの家々が連なる町並みが残っています。味わい深いこの町並みの見所を紹介したいと思います。

秀吉ゆかりの絢爛たる山車を所有する町人の町

秀吉ゆかりの絢爛たる山車を所有する町人の町
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富山県高岡市。
県庁所在地の富山市に次いで大きな都市ですが、戦災にあっておらず、古い町並みが残っていることで知られます。かつて加賀藩の2代目藩主、前田利長が金沢から退き、隠居の地として高岡を選び、城下町として町はスタートします。
しかし、ほどなく利長が逝去、また、江戸幕府の一国一城令によって、高岡城は廃城となってしまいます。

城下町でなくなったため、武士は高岡から金沢に引き上げ、町人達も商売相手のメインであった武士がいなければ経済がたちゆかないとの不安で町を離れる者が相次ぎ、このまま町は衰退してしまうかと思われました。そんな折、加賀藩3代目藩主利常が、高岡を商業・工業の町としてなんとか存続させようと手を打ちはじめます。もちろんいざというときのために、高岡の地の利をみすみす手放すのは惜しいという思惑があったと言われています。

城のあった場所に加賀藩の米倉・塩蔵を置き、軍事利用ではなく、あくまで平和利用していると江戸からの監視を逸らしつつ、高岡の町を発展させて、いざという時のために城跡共々守ったのです。
それが、今日の高岡市の礎となった歴史です。

さて、豊臣秀吉が後陽成天皇を聚楽第に迎えた際に使ったとされる御所車を、加賀藩初代藩主利家が拝領し、二代目利長が1609年、高岡に入った際、町民に与えたという謂れのある、7基の山車(やま)。高岡の工芸技術者たちの手によって、絢爛たる装飾が加えられ、町民たちが町ごとに大切に保管してきたものが残っています。
それを年に1度曳いて回る大祭、「高岡御車山祭り」が毎年5月1日に行われているものがこの写真です。毎年5月1日に開催される日程は変わりません。ぜひいつか、この祭りも実際に訪れて楽しんでくださいね。

さて、その山車を与えられた町は、山町(やままち)と呼び習わされてきました。その歴史の面影を色濃く残す町の見所をご紹介しましょう。

重厚な漆喰塗りの、火災に強い「土蔵造り」の町。

重厚な漆喰塗りの、火災に強い「土蔵造り」の町。
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高岡市では、この山車を授かった町、山町(やままち)は、そこに住んでいること、あるいは婚姻関係を結んだだけでも大変栄誉があることとされてきました。というのも山町は、特に経済力を持った豪商が多く軒を連ねた町で、高岡のみならず、北陸地方の経済の中心として発展してきた歴史があります。
そのため、町人といえど、非常に贅をこらした屋敷を造ることができました。

先に紹介した、絢爛たる山車を曳き回す「高岡御車山祭り」ですが、山車を曳く力仕事は山町の旦那衆が行ったわけではありません。山町の旦那衆は町人であるにも関わらずまるで武士のような裃(かみしも)姿で山車の参列を先導しましたが、力仕事は周辺の村々から集められた若者達でした。彼らの衣装は決して侍のようなものではなくて普通の法被(はっぴ)姿です。山車の上に乗せてもらっている山町の子息たちは、子どもながらにやはり裃姿です。山町は、かつてそのような特権的な町であったのです。

明治33年に大火が起きて、この辺りの町の大部分が焼け落ちてしまうという不幸がありました。しかし大火の中でも多く焼け残ったのが土蔵造りの建物でした。それを教訓として、燃えにくい家を建てるという規則ができ、現在のこの土蔵造りの家々の連なる町並みとなったのです。壁は燃えにくい漆喰で塗り固められ、延焼を防ぐために家と家の間には、レンガ造りの壁を設けてあります。
写真は特に財力のあったと言われている菅野家の外観です。

外は重厚、内部は繊細。重要文化財「菅野家住宅」を訪ねる

外は重厚、内部は繊細。重要文化財「菅野家住宅」を訪ねる
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さて、ひとつ前の写真で外観をご紹介した、黒い漆喰塗りの外観が重厚な菅野家は、この山筋町の中でも一際目を引く存在です。やはり明治33年の大火で消失してしまったのですが、当時のお金でなんと一般の民家400軒ぶんといわれる10万円を投じて直後に再建されました。

どっしりとした外観の迫力もさることながら、内部のがらっと雰囲気の違う数寄屋風の繊細な造りも見ごたえがあり、ぜひ中に入っての見学もおすすめします。観覧料は一般200円。(開館時間など詳しい情報はMEMOにリンクしてあるサイトでご確認ください)。

ここ菅野家の座敷も、金沢の茶屋街の座敷などでもよく目にする北陸地方独自の朱壁となっています。
この朱壁は、インドのベンガル地方から渡来したため紅殻(べんがら)と呼ばれる赤色顔料を使って塗られますが、贅を尽くした菅野家では、さらに赤色をした幾種類かの自然石をくだいたものを混ぜているため、年月が経ってなお、当時の鮮やかな色を保っていると言われています。

また、金箔を施した仏壇は、加賀百万石の文化として石川県での生産が有名ですが、この菅野家には、通常の金泊と比べて桁違いに分厚い純金を張り巡らした豪華絢爛な仏壇が所蔵されており、常時展示してあります。ただ巨大なだけの仏壇なら他にあっても、ここまで大量の金を惜しげもなく使っているものは類を見ないものだと言われています。ぜひ実際に訪れて実物の凄まじさをご覧下さい。

北陸の金融街としても栄えた山町筋には銀行がたくさん

北陸の金融街としても栄えた山町筋には銀行がたくさん
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さて、先述した菅野家は、もともとは北前船で財を築いたといわれていますが、そののち、現在の富山県の主力銀行である北陸銀行のもととなった高岡銀行を設立、その後も様々な分野に事業を拡大していきます。商工の町として発展してきた高岡は、かつての基幹産業である米と綿花の集散地となり、米取引所がおかれました。
そのため経済の中心地として、多くの銀行がこの山町筋に集まることにもなりました。

写真はこの山町筋にある富山銀行本店。「赤レンガの銀行」として市民に親しまれてきました。現在も普通に銀行の業務を行っており、レトロな外観とは裏腹に、内部は実に近代的な様相にリフォームされています。富山銀行はこの建物を高岡市に寄贈することを決定しており、将来的には本店の業務は高岡駅前に建築予定の新社屋に移されるそう。その先は、この赤レンガ建物は市の管轄で保存されていくことになるそうです。銀行の業務を実際に行っている姿を見られるのは移転するまでです。ぜひ今のうちに足を運んでみてくださいね。

ほかにも目を楽しませてくれる個性的な建物がたくさん!

ほかにも目を楽しませてくれる個性的な建物がたくさん!
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山町筋には、ほかにも個性的な建物がたくさんあります。写真は西洋の建築技法と様式を取り入れた、井波屋仏壇店で、人気のある土蔵作りの1つです。最近、新幹線開業と前後して、新しく、センスあふれる土産物屋やカフェが次々とオープンしており、往時の活気を取り戻すとまではいかなくとも、若い人が生み出す新しい潮流が感じられるようになっています。

おわりに

いかがでしたか?
一軒一軒じっくりと建築物の意匠を観察しながら歩くのもよし、途中のお土産屋さんなどをひやかしながらそぞろ歩き、雰囲気を堪能するだけでも楽しい場所です。北陸においでの際は、ぜひこの歴史の趣に満ちた高岡市・山町筋を訪問先の一つに検討してみてくださいね。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/07/31 訪問

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