眺望も抜群!烏城の別名を持つ「岡山城」は岡山県のシンボル

眺望も抜群!烏城の別名を持つ「岡山城」は岡山県のシンボル

更新日:2024/03/07 11:20

乾口 達司のプロフィール写真 乾口 達司 著述業/日本近代文学会・昭和文学会・日本文学協会会員
「岡山城」は岡山県を代表するお城。日本100名城の一つにも数えられています。しかし、岡山城が、いつ、どのように築造され、現在の城郭を形成するにいたったのかを知る人は、意外に少ないのではないでしょうか。岡山城には、宇喜多氏・小早川氏・池田氏という三つの大名の歴史が堆積しています。今回は岡山城に対する彼らの関わりや必見スポットを紹介しながら、岡山城の隠された歴史と魅力をお伝えしましょう。

古式を伝える望楼型・複合式の天守閣

古式を伝える望楼型・複合式の天守閣

写真:乾口 達司

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「岡山城(おかやまじょう)」は、岡山県岡山市に位置する城郭。戦国時代末期、当地に覇をとなえた宇喜多直家が、現在の本丸の西方にあった「石山」の地をみずからの居城に定めたことで、本格的な築城事業がはじまりました。その後、直家の子・秀家が「石山」にあった城郭を取り込む形で、現在の地に新たに本丸を構築。本丸の築かれた地が「岡山」と呼ばれていたことから、岡山城と呼ばれるようになりました。

築城に際して、本丸東側の防御をかためるため、秀家は旭川を本丸に沿うように付け替え、天然の掘割としました。城郭の増改築は、その後、新たに国主となった小早川氏や池田氏に引き継がれ、池田忠雄の時代に完成しますが、天守閣に沿って流れる旭川が、本丸を守るために人為的に付け替えられたというエピソードからは、当時の工事がいかに大規模なものであったかがうかがえますね。

古式を伝える望楼型・複合式の天守閣

写真:乾口 達司

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築造当初の天守閣は、1945年(昭和20)6月29日の岡山大空襲によって、消失。現在の天守閣は、1966年(昭和41)、コンクリート造りで再建されたものですが、かつての天守閣を忠実に再現していることもあり、かつての岡山城がどのようなものであったかを知ることができます。

写真からは、入母屋造の基部の上に3層から成る高楼が設けられているのが、おわかりになるでしょう。これは「望楼型」と呼ばれる様式で、城郭に天守閣が設けられるようになった初期の様式を伝えています。左側にある白壁の施設は「塩蔵」と呼ばれる、天守閣とは別の櫓。櫓と天守閣とが、直接、連結している形式は「複合式天守」と呼ばれており、国宝の犬山城や松江城にも見ることができます。

外壁の下見板が黒塗りであることから、岡山城は、カラスの羽根の色にちなみ、「烏城(うじょう)」とも呼ばれていました。

古式を伝える望楼型・複合式の天守閣

写真:乾口 達司

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天守閣で注目したいのは、背面(北側)の構造。石垣および初層に角度がついていること、おわかりいただけるでしょう。そうなのです。天守閣はいびつな不等辺五角形の上に構築されているのです。

それは「岡山」の地盤形状にあわせて築造されたことに起因しますが、背面にまわらないとわからない特徴ゆえ、こちらからもぜひご覧ください。

天守閣内の博物館

天守閣内の博物館

写真:乾口 達司

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天守閣の内部は、各地の再建天守にしばしば見られるように、岡山城や岡山の歴史を紹介した博物館となっています。天守閣の内部にも入ってみましょう。

たとえば、こちらは江戸時代の岡山城を再現した展示模型。当時は、これだけの建造物が、本丸とその周辺に立ち並んでいたのですね。もちろん、左端には天守閣も見られます。

天守閣内の博物館

写真:乾口 達司

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城内の一部を再現したコーナーもあります。

天守閣内の博物館

写真:乾口 達司

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戦国時代・江戸時代を体験できる記念撮影コーナーも充実しています。たとえば、こちらの駕籠、内部に入ることもできるのです。ぜひ、駕籠に入って記念写真を撮りましょう。

市街地を一望!天守閣からの抜群の眺め

市街地を一望!天守閣からの抜群の眺め

写真:乾口 達司

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最上階からの眺望は抜群!かつて城下町として整備された岡山の市街地を一望することができます。

写真は天守閣から北の方向を撮影したもの。本丸と鉄橋で結ばれた旭川の対岸は、日本三名園の一つ・後楽園です。岡山城は後楽園とセットで訪れることをおすすめします。

市街地を一望!天守閣からの抜群の眺め

写真:乾口 達司

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こちらは東の方向。遠くの見える山は「操山(みさおやま)」。後楽園の借景ともなっている丘陵です。

市街地を一望!天守閣からの抜群の眺め

写真:乾口 達司

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かと思えば、すぐ目の前には、金箔を貼り付けたしゃちほこ。もちろん、天守閣にとりつけられているもので、金色に輝いています。こんな間近に金のしゃちほこを見られる機会もそうないことでしょう。

現存する江戸時代の遺構・月見櫓やその他の施設

現存する江戸時代の遺構・月見櫓やその他の施設

写真:乾口 達司

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天守閣の西方には「月見櫓」と呼ばれる建物もあります。築造当時から残る遺構で、本丸内では、唯一、明治時代以降の解体や戦災をまぬがれた貴重な建物。現在、国の重要文化財となっています。

現存する江戸時代の遺構・月見櫓やその他の施設

写真:乾口 達司

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こちらは「不明門(あかずのもん)」。天守閣の位置する本段に入るための城門です。その向こう側は藩主の生活空間が広がっており、普段はかたく閉ざされていました。それが「不明門」の名の由来となっています。

こちらは天守閣と同じく1966年(昭和41)に再建されました。

現存する江戸時代の遺構・月見櫓やその他の施設

写真:乾口 達司

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月見櫓の南側に広がる広大な空間は「表書院」「表向御殿」と呼ばれ、藩主の公邸および岡山藩の政治をおこなう藩庁でした。大小60を越える部屋がありましたが、現在、建物は残されていません。ただし、どこにどのような部屋があったかを示す区割りは示されています。

刻印のある石垣

刻印のある石垣

写真:乾口 達司

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「表書院」の跡地を散策すると、地面より一段低くなったところに、写真のような石垣を見ることができます。これは宇喜多秀家の時代に作られたものであると考えられています。

刻印のある石垣

写真:乾口 達司

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各所に見られる石垣もじっくりご覧ください。写真の石垣には「+」のような刻印が見られますよね。刻印は別の形をしたものもあり、刻印ごとに、それぞれの石積み集団が作業にかかわっていたことがわかります。

岡山城が、宇喜多・小早川・池田氏というそれぞれの大名によって、長年にわたり、整備されてきたことがおわかりになったのではないでしょうか。岡山城を訪れたら、岡山城の歴史もあわせて振り返りながら、天守閣とそれをとりかこむ城郭の見事さを実感してみてください。

岡山城の基本情報

住所:岡山県岡山市北区丸の内2-3-1
電話番号:086-226-4809
開館時間:午前9時〜午後5時半(最終入場は午後5時)
休館日:12月29日〜12月31日
入場料:天守閣のみ有料(1月1日は入場無料)

2024年3月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2024/01/01 訪問

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