近江八幡で異国情緒あふれるヴォーリズ建築をめぐる旅

近江八幡で異国情緒あふれるヴォーリズ建築をめぐる旅

更新日:2016/07/22 09:55

江戸時代以降の古き良き日本の街並みを残している近江八幡は、時代劇のロケ地としても有名です。
街歩きをしていると、素敵な洋館をいくつも見ることができますが、その多くはこの地を愛したウィリアム・メレル・ヴォーリズによって建てられました。住む人、使う人への思いやりあふれたヴォーリズの設計は、感動すら覚えてしまうほど。近江八幡駅で自転車をレンタルして、ヴォーリズの設計した洋館めぐりをしてみましょう。

クラブハリエ 近江八幡日牟禮ヴィレッジでお茶をしながらヴォーリズ建築に親しむ

クラブハリエ 近江八幡日牟禮ヴィレッジでお茶をしながらヴォーリズ建築に親しむ
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近江八幡のシンボルともなっている八幡山のふもとにある近江八幡日牟禮ヴィレッジには、昔ながらの茶店をイメージとした甘味処「たねや」やバームクーヘンが有名な「クラブハリエ」のお店があります。そのクラブハリエの敷地内にヴォーリズが設計した旧忠田邸を補修改築した特別室が4部屋あり、予約をすればそのお部屋を貸し切ってお茶をいただくことができます。

ヴォーリズの設計では、太陽の光を室内に取り入れる「明かり取り」の窓を多く作ることが特徴です。中に入ってみると、外観から受ける印象以上に室内が明るく感じることでしょう。利用料金は2016年7月現在、500円です。
ちょっとぜいたくなお茶の時間を味わってみませんか?

町屋めぐりに加えたいスポット。「近江八幡市立郷土資料館」

町屋めぐりに加えたいスポット。「近江八幡市立郷土資料館」
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近江八幡日牟禮ヴィレッジを訪れたのちは、町屋が並ぶ新町通りへ。
通称「近江商人の街並み」と呼ばれていて、その名のとおり、近江商人の住宅が立ち並んでいます。その一角にヴォーリズが手がけた近江八幡市立郷土資料館(旧八幡警察署)の建物があります。

明治19年(1886)に八幡警察署として建設された建物を、昭和28年(1953)にヴォーリズ建築事務所により大幅に改築されて現在の形になりました。現在は近江八幡市立郷土資料館として市内の民俗・美術工芸や文書などの資料を展示する場となっています。
エントランスを入るとすぐ、カウンターがあり、いかにも「御用をきく受付窓口」といったつくりになっています。洋風の2階建ての建物は窓が多く作られているものの、外観からして他のヴォーリズの居住用の建物などとは異なり、見るからに「お役所」のようで、他の建物との違いがわかることでしょう。

近くには江戸時代の民家を改築して公開している歴史民俗資料館、旧西川家住宅、旧伴家住宅があります。町屋を訪れたら、郷土資料館も共通の入館券で入場できるため、ぜひ立ち寄ってみてください。

大正時代のレトロな建物「旧八幡郵便局」

大正時代のレトロな建物「旧八幡郵便局」
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市立資料館を訪れたら、次は旧八幡郵便局へ。
大正10年(1921)にヴォーリズにより建てられた旧八幡郵便局は、現在はヴォーリズの資料や観光パンフレットなどを販売したり、多目的スペースとして公開されています。思わず足をとめて中を覗きたくなってしまうくらいレトロな雰囲気があふれる建物です。

かつては1階は郵便局業務、2階は電話交換室として使用されていました。郵便局としての使用が終わったあと、空き家となっていましたが、NPO法人ヴォーリズ建築保存再生運動「一粒の会」によって、できるだけ当時の様子に近づけて補修されています。
お客を迎えるカウンターの裏側が物入れとなっていたりと、使う人を考えたヴォーリズの思いやりが感じられます。建物の大きさの割に窓は小さめであるため、中は暗いとおもいきや、明りとりの窓や天窓がふんだんにあり、これなら1階でも昼間の事務作業は苦ではなかったことでしょう。

1階を見学したら、1階の裏側にもまわってみてください。
「一粒の会」が手作りで改修したというトイレには、敷石や壁のタイルなどにヴォーリズのこだわりが感じられます。
もうひとつのこだわりが「ドアノブ」です。当時はドアノブが日本では手に入らず、ヴォーリズが自らアメリカから輸入したというクリスタルのドアノブがこの建物には5か所あるので、探してみましょう。

2階に上がったら「窓の外を見る」ことをお忘れなく。明かりとりの窓や天窓が作られているのに気が付くことでしょう。明るい部屋を作り出すヴォーリズの秘密がわかります。

まるでヨーロッパの学校の寄宿舎のような「ハイド記念館」

まるでヨーロッパの学校の寄宿舎のような「ハイド記念館」
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旧八幡郵便局を訪ねた後は、ヴォーリズ学園の敷地内にあるハイド記念館へ。ハイド記念館がある場所はヴォーリズ学園の構内ですが、ハイド記念館のみ内部の見学が可能です。

キリスト教の伝道のために来日したヴォーリズは、英語教師となりました。授業が終わった後に生徒たちにキリスト教を教えていましたが、キリスト教の影響力を恐れられ、教師の職を辞することに。その後はアメリカにいた時に学んでいた建築に携わることになります。
一柳満喜子という女性と結婚したヴォーリズは、メンターム(メンソレータム)の販売権を取得して販売を開始します。のちにその会社は「近江兄弟社」となります。

満喜子は近江八幡で幼稚園「清友園」を開園。のちに近江兄弟社グループの学校法人として発展していくことになりますが、この清友園の園舎がヴォーリズ学園の敷地内にあり、ハイド記念館として公開されています。
ヴォーリズが設計したこの幼稚園は、2003年3月まで使用されていました。外観はまるでヨーロッパの学校の寄宿舎のような素敵な建物ですが、内部は園児にあわせた工夫が随所に施された実用的な建物です。

「園児にとって過ごしやすい空間」をとことん考えつくされた「広間」

「園児にとって過ごしやすい空間」をとことん考えつくされた「広間」

建物の中は、木の温かみが伝わってくるようで、それでいて名門のホテルのようなクラシックな雰囲気です。1階の廊下の両脇に目をやると、ドアがついていない低めのロッカーのような家具が壁一面にそって並んでいます。園児の身の回りの物を置くためのもので、通園バッグをかけるフックがついていたりと、とても使いやすそうです。

写真の「広間」は、窓が大きく設けられているのが特徴ですが、窓の位置がとても低いことがわかるでしょうか? 子供が外を眺めやすいようにというだけではなく、外の光をできるだけ多く取り入れるということも考慮されているのでしょう。
この部屋にはヴォーリズ建築のもうひとつの特徴である暖炉が設置されています。ヴォーリズは住居を建てるときには暖炉を作りました。幼稚舎の建物とはいえ、暖炉は危険では?と思われますが、使った形跡があることから、開園後しばらくは使われていたようです。冬の寒い日には暖炉の前に椅子を並べ、先生を囲んでうたを歌ったりしている子供達の様子が目に浮かぶようです。

2階には保健室がほぼ当時のまま残されているほか、ヴォーリズの生涯についてのパネル展示やヘレン・ケラー来日時のエピソードなどが展示されています。

その後のヴォーリズ

ヴォーリズは近江八幡だけではなく、明治学院大学のチャペル、軽井沢ユニオン教会、大丸心斎橋店など個人の邸宅から病院や学校などの公共施設、商業施設など多くの建物を手がけました。
第二次世界大戦中に結婚し、日本国籍を得て一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と改名した後は、スパイの疑いをかけられながらも国民服を着て日本人として大戦をのりきりました。戦後は近江八幡市の名誉市民第一号に選ばれるほど近江八幡の人々に昔も今も愛されています。

近江八幡だけでも今回は紹介しきれなかったヴォーリズによる建築はまだたくさんあります。ハイド記念館のそばにあるヴォーリズ夫妻宅、和風と洋風が混ざった近江八幡協会牧師館、池田町の洋風住宅街(吉田邸、ダブルハウス、ウォーターハウス記念館など)。どれも100年以上も前につくられた建物ですが、おしゃれで凝っていて素敵な建物ばかり。現在も個人宅や企業などで使用されているため内部の見学は不可の場合が多いですが、特別公開をしている場合もありますので、自治体のホームページなどでご確認ください。

今回紹介した建物は、すべて近江八幡駅からレンタサイクルを借り、半日でまわれる範囲にあります。観光スポットである八幡山を散策し、日牟禮八幡宮付近でお昼ごはんを食べ、クラブハリエでお茶をし、町屋めぐりをしたとしても、夕方までにはひとまわりできます。
近江八幡を訪ねる際には、和風の町屋建築のみならず、ヴォーリズの洋風建築もぜひ訪れてみてください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/03/26−2016/03/27 訪問

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