写真:乾口 達司
地図を見る広兼邸(ひろかねてい)は岡山県高梁市の山中に建つ歴史的建造物。その名のとおり、もとは広兼家の所有物でした。広兼家は、代々、大野呂地区の庄屋をつとめた家で、享和・文化年間には小泉銅山の経営やベンガラの原材料となるローハの製造を引き受け、莫大な富を築き上げました。
広兼邸を建設したのは、2代目の元治。写真は駐車場付近から広兼邸を撮影したものですが、巨大な石垣に支えられながら、山肌にへばりつくようにして建つ様子は「豪壮」の一言に尽きます。家屋というよりも城塞という言葉がピッタリだと思いませんか?広兼邸を訪れたら、まずは駐車場付近から見上げ、その豪壮な威容をお確かめ下さい。
写真:乾口 達司
地図を見る広兼邸に近づいてみましょう。昭和52年(1977)に公開された野村芳太郎監督の映画『八つ墓村』をご覧になった方であれば、坂道になった写真の門前に見覚えのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。『八つ墓村』では、田治見家の跡取りであることを知らされた主人公・辰弥(萩原健一)が森美也子(小川真由美)とともにはじめて田治見家を訪れたとき、姉に当たる春代(山本陽子)が辰弥たちを出迎えるシーンがここで撮影されました。まだご覧になっていない方は、あらかじめ『八つ墓村』をご覧になってからお出掛けになると、広兼邸に対する理解がよりいっそう深まりますよ。
写真:乾口 達司
地図を見る写真は正門に当たる楼門。二層からなる構造で、二階部分には不寝番部屋と呼ばれる見張り部屋まで設けられていました。見張り役が人の出入りを常に監視していたとは、家屋というよりも城塞のイメージをますます強く喚起しますよね。
写真:乾口 達司
地図を見る敷地内は二階建ての母屋や離れのほか、3棟の土蔵や使用人たちの暮らした長屋などがあり、敷地は781坪にもおよぶとのこと。母屋だけでも98坪もあり、その広さに圧倒されること、間違いありません。
もちろん、母屋の内部にも入らせていただけます。写真は囲炉裏のある居間を撮影したものですが、天井部分が吹き抜けになっているため、見上げると、長い梁が何本もわたされているのがご覧いただけます。
写真:乾口 達司
地図を見るこのような豪壮な建物ゆえ、『八つ墓村』では中国地方きっての名家とうたわれた田治見家のモデルとなったのもうなずけるでしょう。では、物語の後半以降、辰弥が暴徒化した村人たちから避難するために逃げ込み、田治見家を皆殺しにしようとたくらんで暗躍する殺人鬼が行き来するあの巨大鍾乳洞の入口は、映画に描かれていたように、果たして家屋の裏手に存在するのでしょうか。
残念ながら、田治見家の裏手からのびていた巨大鍾乳洞は存在しません。あれはあくまで物語のなかの設定であり、実際には同じ岡山県内の満奇洞などを使って撮影したもの。母屋の裏手にまわると、すぐ前まで崖が迫っているのがおわかりいただけるでしょう。しかし、崖からは湧き水が流れ出しており、広兼邸では、その湧き水を日常生活のなかで使っていました。天然の湧き水まで流れているのですから、このような山中に城塞と見間違うほどの巨大な家屋を建てても充分に暮らしていけたわけですね。
広兼邸がいかに豪壮で、映画のロケ地としても活用されるだけの魅力のある建造物であるか、おわかりいただけたでしょうか。ほかにも、邸内には水琴窟まで設けられている庭園がある上、邸内から見下ろせる場所には広兼家が代々まつって来た個人の神社までそなわっており、見どころは満載。広兼邸を訪れ、銅山経営で莫大な富を築き上げた広兼家の権勢をしのんで下さい。
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(2024/3/19更新)
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